明日の方向

於田縫紀

明日の方向

 夜11時過ぎ、仕事バイトが終わった後。

 俺はコンビニと花屋で買い物をした後、駅近くの駐輪場に止めておいたバイクにまたがる。今日は明日を見に行く日だ。

 キック1発、2発、3発目でエンジンが何とかかかる。この季節にしてはかかりがいい。このボロバイクも少しは所有者の気分を解してくれるようだ。


 駅前の花屋で購入した5千円の花束ブーケを後席にゴムで括りつける。好きだった黄色中心にセレクトしたものだ。3千円では花の数が少なかったからちょっと奮発した。貧乏学生の懐にはかなりこたえる出費だが仕方ない。


 ヘルメットをして、グラブをはめて走り出す。行く先は東だ。明日が見たい、それが彼女あいつの最後の台詞だったから。


 バイクを走らせながら思い出す。


「明日の方向って、どっちだと思う?」

 以前彼女あいつにそんな訳わからない質問をされた時の事を。


「方向って、右左とか東西南北じゃ指示不可能だろ。宇宙空間的にはさ。強いて言えば時間軸方向で未来側とかか?」


「うーん、夢がないなあ」


「理系の、それも物理学専攻の学生にそんな事聞かないでくれ」

 当時はまだ1年だったからそんなに専門的な事をやっていなかったけれど。


「あくまでイメージでよ。そうね、東西南北で、どっちだと思う?」

 そう言われても困る。

 そもそも東西南北なんて存在するのは地球上、それも南極点と北極点以外だ。南極点だと南方向が無いし、北極点だと北方向が無い。


「イメージで、か。どうにも思いつかないな」

 その時の俺はきっと苦い顔をしたのだろうと思う。


「そんな難しく考える事ないじゃない。単なるたわいもない質問なんだから」

 彼女あいつはそう言って微笑んで、そして続ける。


「私は東だと思うの。ほら、この病室へやの窓って南東側じゃない。こういう生活だからあまり疲れなくて、つい朝方暗いうちに目がさめちゃう事があるの。


 何もすることがないから外を見ている。そうするとだんだん東の空がじわじわと赤く明るくなっていく。そしてついには日が出てくるじゃない。そうするとああ、昨日は明日だった今日が来た、今日にたどり着けたんだなって思うの。


 だから明日ってずっと東の方に隠れていて、その時が来たらやってくるんじゃないかって。だから東」


 彼女あいつはそう言った。だから明日の方向は東。

 俺はバイクを東へと走らせる。明日の方向へ。

 

 道はまっすぐに東へと向かっていない。ハンドルにつけた登山用コンパスが右へ左へ動くたび、俺は東へ向かう道を探す。

 折角ちょうど東を向いていた道がいきなり線路や川で止まっていたりする。平野とは言え台地程度の起伏はあるから崖で先に進めない場合もある。


 それでも何とか俺は道を探して東へ向かう。ただがむしゃらに東を目指す。俺は彼女あいつと違ってまだ走れる、だから。

 夜の暗闇に迷いながら道を探す。まるで俺自身のようだなと自嘲する。いつもさまよってばかりだなと。彼女あいつと違って。


 それでも言った事がある。俺としては一大決心。清水の舞台からバンジーなしジャンプをする位の意気込みで、彼女あいつに「好きだ」って。


 でもあいつはにまーっといつも通りの笑みを浮かべた後、『駄目だよ』と言った。

「駄目だよ、久くん。その言葉はちゃんと一緒に歩ける人の為にとっておかないと」


 何故そこで俺はそれ以上何も言えなかったのだろう。そう思っても時は戻らない。明日の方向が東なら、西の果てに消えてしまっているのだろう。たどり着けないくらい西の国、Gandharaガンダーラあたりにでも、きっと。


 感傷的と書いてセンチメンタルと読む。そんな気分で俺はバイクを走らせる。ただただ、東へ。


 少しだけ明日の方向が白み始めた頃、ようやくバイクはこれ以上東に行けない場所へとたどり着いた。昨年と同じ堤防だった。道を気にせずただただ東に走っただけなのにまたこの場所に来てしまった。

 きっと俺がまだ同じ場所から進めていないからだろう。明日のある方向に。


 バイクを止めてヘルメットを外し、ミラーに下げる。どうせこの時間こんな処に他人は来ない。

 俺は背負っていたディパックからビッグプリンの入った袋を出す。後席からゴムを解いて花束ブーケを出す。花束ブーケと袋を持って堤防の先端に向かって歩き出す。先端で陽が見えるまで凍えつつ待つ。


 陽が出た瞬間、俺は花束ブーケとプリン入りの袋を思い切り東へ、明日の方向へ向かって投げた。花束ブーケも袋も沖へ、東へ向かって少し動いて、そして波の間に沈む。


 今日は彼女あいつが旅立って3回目の、記念日だ。

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