〜純血〜
「誰かいるの!?」
ドアが開いて、廊下の明りが差し込む。
その光と共に凛とした女の声が聞こえた。
私がドアの方に目を向けると、朔夜がチッと舌打ちをしたのが聞こえる。
「来たな……」
コトハ。
朔夜を攫って監禁していた人……。
私から、ひと月も朔夜を奪った女――。
嫉妬もだけれど、それとも違う憎しみに似た感情も湧き出てくるのを感じた。
私は近付いてくるコトハがベッドにたどり着く前に、天蓋から出た。
「お前は……」
私を見たコトハは、眉を寄せいぶかしげな表情で呟く。
私は精神を集中させ、コトハを睨んでいた。
金の髪はゆったりと巻かれ、漆黒の瞳は黒耀石の様にきらめいている。
白い肌に唇の赤が映えていた。
「お前は……クレハは何をしていたのかしら。始末しろと言っておいたのに……」
私は黙ってコトハの様子を窺う。
「それにしても……その尋常ではない美しさ……」
そこまで言ったコトハは次の瞬間形相が変わった。
さっきまでの落ち着いた雰囲気はどこにも無く、ただ嫉妬と憎しみの炎だけをその瞳に映す。
「思っていた通り、お前は邪魔よ!」
叫ぶと同時に、コトハは私に襲い掛かってきた。
私は余裕でそれを避ける。
不思議……何も恐ろしくない。
コトハの動きも止まって見える。
それどころか、次の動きまで分かってしまう。
……誰にも、負ける気がしない……。
「くっ! 憎い……お前が憎いわ! その美しさは私が持つはずなのに。その力も、私が持っているべきなのに!」
何度攻撃をかわされても、コトハは憎しみの言葉を吐きながら襲い掛かってきた。
「朔夜を捕らえて、私にその血を与えるように言っても彼はその血をくれない!」
振り下ろされた右手を受け流す。
「彼が直接注入してくれないと意味は無いと言うのに!!」
足をなぎ払うように振られた蹴りを飛んでかわす。
「私には純血の血を受けられる資質があるわ! なのに……なのに何故! 何故私がダメで、お前のような小娘は良いと言うの!?」
爪を立てた両手が振り下ろされ、私はその手首を掴んで止めた。
「…………色々と説明ありがとう。つまり貴方は、純血の血を受けて力を得るために朔夜を監禁していたの?」
私は、何の感情も映さない目で確認した。
「そうよ。純血種は人間で言うところの王のような存在。血を受ければ、純血種にはなれなくてもそれに近い美貌と力が手に入る!」
「……そんなことのために、朔夜を一ヶ月も監禁していたの?」
「……それだけではないわね」
少し落ち着きを取り戻した口調でそう言ったコトハは、後ろに飛んで私から距離をとった。
「力を得たい。美貌も欲しい。……でもね」
と、コトハは妖艶に微笑む。
「男も、欲しいのよ」
「っ!」
それはつまり、朔夜自身も欲しいということだった。
私の中の憎しみが、確実に嫉妬へと変わる。
ひと月も、朔夜はこんな女の元にいたなんて。
朔夜は、私のものなのに!!
「ふふ……凄い顔。私が憎いみたいね? でも、私の方がお前を憎んでいるのよ?」
コトハは微笑みながらも、その瞳に燃える様な憎しみを宿し続けている。
「力も、美貌も、朔夜も……私の欲しいもの全てをお前は持っているんだもの」
そしてまた形相が変わった。
「殺してあげる。お前さえいなくなれば、朔夜を私のものに出来るのだもの!!」
「私を殺したって朔夜は手に入らないわ。朔夜と私は二人で一つ。互いの唯一の存在だもの!」
「ぅるっさーい!!」
子供がダダをこねるかのように、コトハは頭を振り乱した。
「お前さえいなくなればいいのよ! そうすれば全て上手くいくの!!」
それは、自分に言い聞かせている様でもあった。
もはや狂気に近い。
私はそれに哀れみすら感じた。
目を閉じ、一呼吸する。
もう話すことはない。
目を開くと、私は義務的に告げた。
「吸血鬼コトハ。多数の人間の不法吸血首謀者として貴方を逮捕します」
ハンターとして言った言葉だった。
コトハが狂気に身を任せてしまった時点で、話し合いの余地は無くなったから。
「死ねぇ!」
そう叫んだコトハは、渾身の一撃を繰り出してきた。
私は、カウンターでその鳩尾に拳を入れる。
その一撃で、勝負は決まった……。
数歩たたらを踏んだコトハはそのまま床に倒れこむ。
倒れ伏さない様に手をつき上体を支えるのが精一杯のようだった。
「何故……? 何故元人間のお前ごときがこれほどの力を持っているというの!?」
その体勢のまま、コトハは声をしぼり出す様に叫んだ。
その問いに答えたのは私ではなく……。
「俺の血を飲んだからな……」
朔夜だった。
「朔夜!?」
私は朔夜の名を呼びながら声の方を見る。
まだ上手く体が動かないのか、ぎこちなくこっちに歩いて来ていた。
私の肩に腕を置き、それを支えのようにして立ち止まる。
「大丈夫なの?」
「大丈夫だ。痛いわけでも苦しいわけでもないからな」
朔夜はそう言って私の額に口付けた。
よくやった、とねぎらう様に。
そんな私達にコトハは呆然と問いかけてきた。
「朔夜の血を……飲んだ?」
その声にコトハを見ると、信じられないといった風に目を見開いていた。
「いくら貴方の血を受けて吸血鬼になったとしても、その血を飲んで耐えられるわけが……っ!?」
言いかけ、何かに気付いたように「まさか……」と呟く。
そして私をまじまじと見続けた。
……なに?
「……そう」
視線を私に向けた状態でポツリとつぶやいたコトハは、そのまま笑い出す。
「あはは……そうだったの。……これじゃあ勝てるわけが無いわね」
良く分からないけど、納得したらしいコトハはしばらく笑っていた。
そうしているうちに、ドアからクレハが入ってくる。
「姉さん!?」
コトハに駆け寄ったクレハは辛そうな表情で話す。
「姉さん。もう、やめよう?」
「クレハ……」
「この人たちに手を出しちゃいけなかったんだ……」
だから止めよう? とクレハは説得をはじめた。
「……そうね」
渋るかと思ったコトハは、意外とあっさり受け入れる。
「何だか、馬鹿馬鹿しくなっちゃったわ……」
そう言ったコトハは、力なく微笑んでクレハを支えに立ち上がった。
そして私達を見て苦笑する。
「そこまでするなんて呆れたわ。仕方ないから、諦めてあげる」
その顔は、どこかすがすがしくすら見えた。
でも、私にはさっぱり分からない。
何でそんないきなり諦められたの?
私が朔夜の血を飲んでも無事だったから?
じゃあ何で私は朔夜の血を飲んで無事なの?
疑問が疑問を呼ぶ。
そんな風に困惑している私を他所に、コトハはやっぱりすがすがしそうに言う。
「このままだと同胞達に報復をくらいそうだから、自分から協会に出頭するわ」
「……はあ」
「貴方達はここでゆっくりしていって? せめてものお詫び。自由に使ってくれていいわ」
「はあ……?」
わけが分からないまま返事をすると、コトハは「じゃあね」とクレハと一緒に出て行ってしまった。
そのまま呆然としている私を抱きよせ、朔夜はキスをしてくる。
口にではなく頬やこめかみ、耳などに。
「んっ……朔夜、ちょっと待って。今のどういうことなの?」
私の問いに、朔夜は首筋へとキスを移しながら答えた。
「ん? お前に勝てないとわかって、降参したということだろう?」
そして朔夜は首筋を下から舐め上げる。
「はぅっ……そうだけどそうじゃなくて! 何で私、朔夜の血を飲んでも平気だったのかが聞きたいの」
「ああ、それか。……俺がお前に口移しで血を飲ませるとき、毎回俺の血を混ぜて慣れさせたからな」
だからだろ、と言って鎖骨に舌を這わせようとした朔夜を私は押し止めた。
「……は?」
今知った衝撃の事実に片頬が引きつる。
「なにそれ? 初めて聞いたんだけど?」
「まあ、今初めて言ったからな」
と朔夜は悪びれもなく言ってのけた。
そして続けて言う。
「だからお前、俺がいない間血、飲めなかっただろう? お前は俺の血が入ってるものしか受け付けなくなっているはずだからな」
「んなっ!!?」
私はあまりの事に目をカッと開いて口をパカッと開ける。
血が飲めなくて弱っていた本当の原因がそういうことだったなんて!
私を吸血鬼にしたときといい、朔夜は一番大事なこと言ってくれない。
してしまった後でネタばらしするんだ……。
「もっと早く言ってよぉ! 大体何でそんなことしたの!?」
私が朔夜の血を飲めるようになって、何か利点があるんだろうか?
朔夜の血しか飲めなくなって不便でしか無いように思える。
問いの答えは、耳を疑うものだった。
「お前を純血種にするためだ」
「……え?」
私を……純血種に?
「ちょっ、ちょっと待って。さっきコトハも言ってたけど、朔夜の血を注入してもらったからって純血種にはなれないって……」
「ああ、注入しただけではな」
と朔夜はあっさりと言う。
「注入して、さらに純血の強い力を持つ血を飲み続けることで純血種と同等の力と寿命を得ることが出来るんだ」
朔夜は説明しながら私の顔を両手で包み込んだ。
「お前は吸血鬼になって普通の人間より寿命は延びたが、それでも俺の寿命には程遠い」
少し辛そうに眉を寄せた朔夜は、「だから」と続ける。
「俺と同じ時を生き続けられるように純血種にしたんだ。お前に先に逝かれるなどごめんだからな」
そして唇が触れ合う。
私は目を閉じ、仕方ないなぁ……と諦めた。
吸血鬼にされたときと同じ。
共に生きたいと言われて拒めるわけが無い。
だって、私も朔夜とずっと一緒にいたいから……。
キスが段々深まっていき、頬を包んでいた手が私の腰に回った。
そして引き寄せられたと思ったらそのまま抱き上げられる。
「え? わあ!?」
そう声を上げ驚く私を抱え、朔夜はさっきまで自分が寝ていたベッドへと歩いていく。
え……?
まさか……?
予想通り私はそのベッドに寝かされ、朔夜がその上に圧し掛かってきた。
「あの、朔夜……。まさかここでするの?」
聞くと、不敵に微笑まれる。
「もちろんだ」
「え……でも別にマンションに帰ってからでも……ぅんっ」
私の言葉はキスで遮られた。
すぐに離された唇は、余裕の無い声で囁く。
「一ヶ月もしてなくて溜まってるんだ。それに今日は満月」
そこで言葉を切った朔夜は私の頬を撫でる。
「こんな美しいお前を見て、我慢できるわけが無いだろう?」
そしてむしゃぶりつく様に首筋を吸われた。
「ああっ!」
朔夜はその言葉通り我慢出来ないようだった。
その唇や手はせわしなく動いている。
ここまできて、私に逆らえるわけが無い。
それに、朔夜と抱き合いたかったのは私も同じだったから……。
私はいつの間にか朔夜の背中に腕を回し、彼を受け入れていた。
一ヶ月ぶりの朔夜の肌。
一ヶ月ぶりの朔夜の体温。
それがとても愛しくて……嬉しくて……。
私は泣いてしまった。
「どうした? 辛いか?」
優しく聞いてくる朔夜に、私は頭を横に振った。
「ううん。違うの……嬉しくて……。朔夜、好き。好きで、好きすぎて……」
そこで私は朔夜にキスをした。
言葉はいらない。
この口付けが、全てを伝えてくれると思うから。
だから私達は何度もキスをした……。
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