〜拘束〜


 目を覚ますと、見知らぬ部屋だった。


 天蓋付きのベッドに寝かされているのか、真っ先に見えたのは天井ではなく青色の布地だった。



「ここは……?」


 呟くように小さな声を上げ起き上がろうとした。


 ジャラ……


「え?」


 何かに両腕が繋ぎ止められているらしく起き上がることが出来なかった。


 腕を見ると、手首にはめられた枷に鎖がついていて、それがベッドの両端に繋がっている。


 この鎖の長さだと寝返りもろくに出来ない。



 とりあえず、殺されないだけマシなのかもしれないと思い息をつく。


 そして気付いた、服が着替えさせられてる。



 ブルーのシンプルな生地のドレス。


 シルクと思われるそれは着心地はよかった。


 ただ、ノースリーブで胸元が開いていたり、背中はほとんど隠れていなかったりと露出の多いドレスだ。



 誰が着替えさせたのかと一瞬考えたけど、すぐに止めた。


 誰であったとしても気分のいいことじゃないのは同じだ。




 それより、ここはどこだろう?


 あのクレハという少年は何がしたくて私を拘束するのか……。



 そのことを少し考えていると、ドアが開閉される音が静かに聞こえた。


 軽い足音が近付いてくる。



「ああ、良かった。そのドレス似合ってるね」


 ベッドのすぐ側まで来たクレハは、屈託の無い笑顔で微笑んだ。



 そんなクレハを私は憤然と睨み付ける。




「私を……どうするつもりなの?」


 怒りに任せて怒鳴ったりはしなかった。


 そんなことは体力の無駄でしかないことは分かっていたし、何より感情の赴くまま怒鳴り散らすと肝心なことを聞き逃しかねない。



 クレハは少しの間思案するように間を開けた後、ゆっくり口を開いた。


「……コトハ姉さんには殺せと言われていたんだ」



 姉さん!?

 姉弟なの!?



 さらりと明かされた事実に秘かに驚く。



「でもね、僕は君に興味があったんだ」


「私、に……?」



 私はクレハの意図を図りかねて思わず眉を寄せた。



「最初はね、ただ単に純血種が骨抜きになった人間の女ってどんな人なんだろうって思っただけ」



 骨抜き……ねぇ……。


 寧ろ骨抜きにされているのは私の方な気がするんだけど……。



「どんな人か見たら、姉さんに言われた通り殺すつもりだったんだ。……実際に目にするまでそう思ってた」


 言葉の最後の方の口調が変わり、私は改めてクレハを見る。


 彼はこの上なく美しく、それでいて無邪気な笑顔を浮かべていた。



「望……。貴女は綺麗だね。姉さんも綺麗だけれど、それとは全く違う美しさ」


 恍惚とした声。



 硬い、男の手が頬に触れた。


 顔にはまだ幼さが残るクレハだけれど、その手は……その身体は既に大人の男と変わりないようだ。



 それに気付き、私は身体を強張らせる。


 敵だと分かってからも、子供だと思って“そういう”意味での警戒はしていなかった。



 でも、頬に触れた手に対して感じたのは純粋な男への恐怖。




「殺すのは、もったいないと思った。あの恐ろしいほどに美しい純血種が貴方に骨抜きにされた理由を、もっと知りたくなったんだ」


 硬い手が頬を上から下へゆっくりと撫で、顎のあたりでスッと離れていく。


 思わずホッと息をついた。



 それに気付いてか、クレハはクスリと笑う。



「今、僕のこと男として警戒してた?」


「……」


「ふふ……何だか嬉しいな」


 無言を肯定と取ったクレハは子供の無邪気な笑顔を浮かべる。



 こんな笑顔をしていても、私はもう彼を可愛いなんて思えなかった。



 警戒するべき相手。


 敵としても、男としても……。



「もう、そんなに睨まないでよ」


 警戒するべき相手だと思っていた所為か、いつの間にか睨んでしまっていたらしい。


 口を尖らせ拗ねたクレハは、次に意味深な笑みを作った。



「ま、いいか。これから時間はたっぷりある。……望、僕は君をここから逃がすつもりは全く無いからね」


 そう言い残すと、クレハは部屋を出て行く。



 私はそれを注意深く睨みながら見送った。




 ドアが閉まり、耳を澄ませて足音が遠ざかって行くのを聞いて、気配が完全に無くなってから私は深く息を吐いた。



 どんなに子供に見えたって、どんなに可愛く見えたって、クレハは……男なんだ。


 さっきの強い力。


 吸血鬼だからとか、そういうのだけじゃない。


 確かな男と女の力の差。



 まあ、欲しいものを欲しいと突き通す所は子供っぽいといえなくは無いかもしれないけど……。



「でも……そんなこと、どうだっていい」


 そう、私にとって大事なのは朔夜のことだけ。


 朔夜はきっと今も動ける状態じゃないはずだ。


 なら、やっぱり私が探しに行かなくちゃ。



 ……でも、探しに行く以前に自分がこの状況から逃げなきゃならない。


 鎖に繋がれ、正に監禁状態。



 まずはこの鎖を外さなきゃならないけど……。



 何とか逃れられないかと拘束されている腕を何度も引っ張ってみるけど、外れる様子は無い。



 普段の力があれば、これぐらい頑張れば外せそうなのに……。



 私は、自分が思っている以上に弱っているのかも知れない。



「どうしよう……このままじゃ朔夜に会えない……」



 やっと見つけた手がかりなのに。


 朔夜がやっとのことで私に伝えてくれた情報なのに……。



 私が朔夜の元に行くって、待っててって言ったのに……。




 だめ、弱気になってたって何も変わらないよ……。



 私はともすれば弱気になりそうな心を奮い立たせた。


 


 考えなきゃ。


 今の私に出来ること。



 朔夜に会うためにどうするべきか。




 自由に動けない状況じゃあ難しいけど、少なくとも考えることは出来る。




 考えなきゃ……。




 


 



 数日後、私はまだベッドの上に拘束されていた。



 今の私じゃあこの鎖は外せないと分かっていても何度も試してみた。


 でも、当然ながら外れない。


 少しくらいは歪むなりするかな? と思ったけれどそれすらない。



 出来ることと言ったら、床ずれしない様に出来る限り身体を動かすことくらいだ。



 こんな状態で何日も……下手をすると何ヶ月もこのまま何て耐えられるわけがない。




 ……ああ、そうか。


 耐えられなきゃ、言うことを聞けってことなのね。




 可愛い顔をして結構酷い。



 結局はそんな考えに行きつく。


 そして思考は朔夜のことに移り、ただただ早く逢いたいと思う。


 そのためにはこの部屋から出なくてはならないんだ、とまた鎖を外そうと奮闘する。



 堂々巡りだ。



 

 そんな私の思考を唯一途切れさせる訪問者がクレハ。


 彼は頻繁に用事があると言ってはこの部屋に来るのだ。



 そう、今も。




「ほら、血飲みなよ。あんまり飲まれて元の強さに戻られるのも困るけど、全く飲まないで死なれるのも困るんだよ」


 クレハは最早口癖の様なその言葉を言って血液パックを差し出した。


 寝ながらでも飲めるようにストローがさしてある。



 私はその血液パックから顔を背けた。


 どうせ私は朔夜の口移しじゃないと血は飲めないし。



「もー。望死にたいの? ちゃんと飲んでよ!」


 クレハはそう言ってダダをこねた。



 やっぱりそういうところは子供だ。




 でも、微笑ましいとは思えない。



「私は朔夜の口移しじゃなきゃ血は飲めないわ。拒否反応で吐いてしまうから」


 無駄だとは思うけど、暗に“だから朔夜に会わせて”という意味を込めて淡々と説明した。



「えー何だよそれ」


 不服そうな声が返って来る。


「もしそうだとしても会わせてなんかやらないけどね。っいうか無理だし」


「無理?」


「そう、あの男は他の部屋で姉さんといるからね。姉さんにまだ望を始末して無いって知られたら怒られるし」


 クレハはやれやれと大人ぶって言った。



 他の部屋?


「他の部屋って事は朔夜は同じ建物の中にいるの!?」



 確かに今『他の部屋』って言った。


 それは同じ建物内だから言える言い方だ。



 案の定クレハはしまったという顔をした。


「あちゃー……でも会わせられないのも本当だし。会わせることが出来るとしても会わせてあげない」


 そうクレハが言い終えると、ベッドのスプリングがギシッと鳴った。


 クレハが私に覆いかぶさる。


 そのまま顎を強く掴まれ、口を開かされた。



「んんぅ!」


 突然のこと。


 こんなことまでしてくるとは思わなかった私は抵抗らしい抵抗もできなかった。



 唇が触れ、何か濃厚な液体が入ってくる。



 いつの間に口に含んでいたんだろう?


 それは血液だった。


 



 私は血を拒絶すると言うより、クレハを拒絶する感覚で血を飲み下さなかった。


 するとクレハはご丁寧に私の鼻をつまみ、呼吸出来なくさせる。



 息苦しさに耐え切れなくなった私は、仕方なく血を飲んだ。



「っくっげほっはぁ、はぁ……」


 クレハが離れていき口と鼻が自由になると、私はすぐに酸素を求めてむせた。




「僕の口移しならどうかなーと思ってやってみたんだけど。なんだ、やっぱりあの男じゃなくても――」


「ごほっ!」


 クレハの言葉の途中で私はせり上がって来るものを抑えきれず吐いた。




 やっぱりダメだ。


 朔夜じゃ無いと拒絶してしまう。





「ダメ、なんだ……じゃあ他の方法考えなきゃね……」


 クレハは少し落ち込んだ様にそう呟きながら私の吐いた血を処理する。


 そしてそのまま部屋から出て行ってしまった。



 残された私はただただ朔夜を想う。




 近くにいる。


 どこかは分からないけど、同じ屋根の下にいる。



 それが嬉しくて、私は少し泣いてしまった。



 でも、それなら尚更今の状況から抜け出さないと。


 朔夜は多分今も異物の血を入れられて動ける状態じゃない。



 佐久間さんや沙里さんも、きっと情報を掴んで何かしらの対応をしてくれていると思うけど、それがいつになるかはさっぱり分からない。



 やっぱり、動けるのは私しかいない。


 朔夜みたいに異物の血を入れられてるわけでもない。



 もう少し力があれば、この鎖を引きちぎって逃げ出すことも、朔夜がいる部屋を探すことも出来る。



 そうだ、“もう少し力があれば”出来る!



「満月っ!」


 私の魔力が上がる満月の夜。



 朔夜がツクヨミを通じて私と話をしたのは約一週間前。


 もう一週間ほどで満月だ。



 その日に賭けよう。


 


 血が飲めなくて弱っている私が、満月の夜にどれだけ強くなれるかは分からない。



 この鎖を外せるのか。


 この部屋から逃げ出して、朔夜のいる部屋に辿りつけるのか。



 全てが不確かなものだった。




 でも、その日しか無い。



 今の状況から脱して、朔夜を探すのはその日しか無いんだ。





 私は賭けた。


 私自身の力を信じて……。



 

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