~遭遇~

 数年ぶりに憎む相手を目の前にし、私の体は小刻みに震えた。



 それが武者震いなのか、もしくは恐怖からくるものか。


 どちらなのかは分からなかった。




「十六夜……」



 私はとても小さな声で囁く。


 だというのに、十六夜にはちゃんと聞こえたようだった。




「名前を覚えてくれたみたいで嬉しいよ」


 優し気に微笑む十六夜。



 その微笑みだけを見ると、人を殺した事があるとは思えない。


 でも、こいつは確かに私の両親を殺したんだ。




 今と同じく、優し気に微笑みながら。



「あいつの姿を見せれば来てくれると思ったよ。でも、あの朔夜という男は邪魔だから、君だけ来てくれるように催眠術をかけたんだ」


 十六夜の言葉にそういえばと思う。



「あの男はどうしたの?」


「どうしただろう……死んでるかもね。かなり無理させたから」


 フフフ、と楽しそうに笑う十六夜。


 笑いながら、死という言葉を簡単に使う。




 怖い。


 狂ってる……。




「何でそんな顔をするのかな? 君をおびき寄せる事が出来ればそれで良かったんだ。あんなやつのその後なんて知らないよ」



 本当にどうでもいい様な口調。


 私は納得出来なかったけど、他にも聞きたい事があるから男のことはそれ以上聞かなかった。




 そう、それよりも聞きたい事。


 ずっと疑問だった。




「何で、私の両親を殺したの?」


 この疑問は、いくら考えても思いつかなかった。



 両親は、恨みでもあるかのような残酷な殺され方をしていた。


 でも、二人はそこまで恨まれる様な人達じゃなかったし、大体吸血鬼と面識があるとは思えなかった。




「『何で』だって? 君の母親が僕を拒んだからさ!」


 十六夜の口調が突然荒々しくなる。


 私は思わずビクンと体を震わせた。



「何度好きだと言っても、何度愛を囁いたとしても、彼女は僕を好きになってくれなかった! ……そしてしばらく姿を見ないと思ったら、彼女は結婚してるじゃないか!?」


 話が続くごとに、十六夜の声の荒々しさは増す。



「だから殺したんだよ。僕のものにならないのなら、この世からいなくなればいいんだ」


 そして十六夜は声高々に笑った。




 狂ってる。


 十六夜は、完全に狂っていた。


 



 廃ビルにこだまする十六夜の笑い声が、私の鼓膜だけでなく全身を震わせる。


 今度の震えは、確実に恐怖からくるものだった。




 笑い声が徐々に小さくなり、十六夜の視線がヒタリと私をとらえる。


 私は、金縛りにあったかの様に動けない。


 まるでヘビに睨まれたカエルだ。




「本当はね、望。君も殺すつもりだったんだよ?」


 美しく優しい微笑みも、先ほどの狂気を見た後では恐ろしいものにしか映らない。



「だってさあ、彼女と別の男との子だよ? 言わば愛の結晶だぁ! 憎まないわけがない!」


 でも、と付け加えて十六夜が近付いて来た。



 私は動けない。


 十六夜の狂気は私の心を侵食して、僅かな抵抗すら出来なくさせた。



 数歩で目の前に来た十六夜は私の顎を掴み上向かせる。



「望、お前は出会った頃の彼女そっくりだったんだ……」


 十六夜は嬉しそうに目を細め、猫撫で声で囁いた。



 しばらく私の顔を見つめ、優しく微笑む。



「うん、やっぱり彼女そっくりだ……あの時殺さないでおいて良かった」




 何だろう……この嫌な感覚は……。



 気持ち悪い。




 恐怖も手伝って、吐き気がしてきた。




 つまり、私はお母さんの代わり?


 お母さんを自分勝手な理由で殺しておきながら、私をその代わりにするの?




「今度こそは、必ずモノにしたかった。だから……」



 だから私を……?




「だから君に最高の痛みと憎しみを与えたのさ」


 優しそうでありながら凶悪な笑み。



「僕を憎んだだろう? 僕を忘れられなかっただろう? だから君は僕を追いかけた!」


 子供の様にはしゃぎ、私を抱きしめる。



 私は十六夜とは対称的に全身を強ばらせた。




「君が大人になるまで待ってたんだ。今度は最高の快楽を教えてあげるよ」


 私の首の後ろを掴み、頭を固定した。


 私は、これからされることに恐怖を抱きながらも、拒否の声一つ出せなかった。



 視線が交わる。


 優しい眼差しなのに、その瞳の奥に宿るものは暗い。



 視線を逸らすことも出来ないまま、私の唇は奪われた。




 すぐに舌が入り込み、私の口内を蹂躙じゅうりんする。



 


 イヤ……。



 服の上から胸を掴まれる。



 気持ち悪い……。



 手が服の中に入ってきて、柔肌を撫でた。




 やだぁ……朔夜ぁ!



 目を閉じ、想い人の名を心で叫んだ。



 でも、そんな都合良く助けに来てくれるわけがない。


 私は尚も十六夜に身体を触られ続けた。



「ふっうぅ……んっ」


 自分で何とかするしかない。


 でも、身体を動かすことが出来ない。


 もしかすると、催眠術もかけられていたのかもしれない。



 十六夜の手が、太ももの内側を撫でた。



 嫌っ!


 このままだと、私は……。



 朔夜ぁ!!



 やっぱりどうしようも出来なくて、涙を零してもう一度心の中で叫んだ。





「望から、離れろ……」


 息切れで途切れがちな朔夜の声がした。



 十六夜が私の唇を離して朔夜の方を向く。


 そうすると私にも朔夜の姿が見えた。



 数メートル離れたところに、疲れた様子の朔夜がいた。



「聞こえなかったのか? 望から離れろ」


 さっきよりは息が整ったのか、今度はしっかりした口調だった。



「もう来たの? 早かったね。それともあいつ、相当弱ってたかな?」



「ふん……俺の血を吸ったんだ。あの程度の男が耐えられるわけがない」


 朔夜の言葉で、二人の言っている男が誰のことなのか分かった。



 十六夜は知らない様な事を言っていたけれど、実際は朔夜の足止めに使われていたらしい。




「あんな弱っているヤツを囮にするとは、俺も舐められたものだな」


「純血種に舐めてかかるつもりは無かったよ。ただ単に、手駒が他に無かっただけさ」


 十六夜はそう返すと、わざとらしく嘆息した。



 


「……それで? いつになったらそいつを離すんだ?」


 朔夜が怒りにも似た冷たい眼光を十六夜に向ける。



 十六夜は全く動じず、寧ろ笑みを浮かべて話した。


「何故僕が僕のものを手放さなきゃならないんだい?」



「――っ貴様!!」




「間違ってはいないだろう? 貴方はまだ望を抱いていないようだし」


 言葉に詰まる朔夜に、十六夜は尚も言い募る。



「良かったよ。他の男の手垢がつく前に取り戻せて」


 無邪気に笑う十六夜。




 もう完全に私は物扱いだ。



 怒りも湧いてきたけれど、私はとにかく朔夜のもとへ行きたかった。


 十六夜から離れたかった。




 目の前にいるのに届かない。


 もどかしい。


 動けない自分が不甲斐ない。




 助けて……。



「助けて……朔夜ぁ」



 それが、やっとのことで出せた声だった。



 でも、私のその言葉を聞いた十六夜の雰囲気が一変する。


 内にくすぶっていた狂気が、一気に表に出てきたかのようだった。



 私の首を掴んでいた手が髪を掴み引っ張る。


「うっ!」


 痛みで歪む私の顔に十六夜の顔が重なる。



 噛み付く様にキスをされる。


 優しさなんて欠片もない、痛くて、苦しくて、気持ち悪いだけのキス。



「うんんぅ!」



「貴様!」


 ガツッ


 朔夜の怒りに満ちた叫びの後、鈍い音がすぐ近くで聞こえた。


 朔夜が十六夜を殴り飛ばしたんだ。



 十六夜と一緒に飛んでいかないように、朔夜が私の腕を引っ張る。


 そのまま私は朔夜の胸に飛び込んだ。



「朔夜ぁ……」


 朔夜は泣きながらしがみつく私の肩を掴んで、しっかりと抱き締めてくれる。




「殺してやる……」


 殴られた十六夜がユラリと立ち上がって、低い声を出す。



「望ぃ……君は僕だけを見ていなきゃいけないんだ。他の男の名を呼ばないでくれよぉ……」



 一定制の無い口調。


 目がイッてる……。




「君が僕以外を見るなら、僕はそいつを殺してあげるよ。そうすれば君は僕だけを見るだろう?」


 楽しそうに笑う十六夜。


 私はそんな十六夜に何も言えなかった。


 何を言っても無駄な気がしたから……。





「ではお前が俺を殺すと?」



 楽しそうな十六夜に、水を差すかの様に朔夜が言った。


「面白い冗談だ。お前程度の男に俺が殺せるか」


 朔夜は鼻で嘲笑う。



 すると十六夜は、少し正気を取り戻したようなしっかりとした目付きになった。



「今は無理だ……でも、策がないわけじゃないさ」


 暗い瞳に怒りを宿し、十六夜は目を見開いて異常な笑顔を作る。



「待っててよ、望ぃ~。出来るだけ早く準備をして、そいつを殺してあげるからぁ」




 気持ち悪い……。


 本当に吐き気が込み上げてきた。




 十六夜はそのまま高笑いしながらいずこかへと消えていく。



 私は、恐怖と気持ち悪さで震えてが止まらなかった。


 朔夜の体温だけが拠り所とでもいうように、彼の胸にしがみついている。




「……馬鹿が。何も考えず突っ込んで行くからだ。いつも俺が助けてやれるわけじゃないんだぞ?」



 悪態をついてはいたものの、朔夜の声は優しかった。



「うっ……朔夜……さくやぁ……」


「……何だ?」



「朔夜がいい……」


「何?」



「朔夜じゃないとやだぁ……」


 十六夜と再び会って、身体を触られて……それで分かったことがある。



 やっぱり朔夜が好き。


 抱かれるなら、朔夜でなければ嫌だ。



「唇も、髪も、この身体の全て……朔夜にしかあげたくない!」


「望?」



「朔夜が、好きなの……」




 ついに言ってしまった。


 私の、朔夜への想いを……。



 その想いの行き着く先が死だと分かっていても。


 朔夜が、受け止めてくれないのだとしても。



 もう止められない。


 朔夜が欲しい。



 涙と一緒に、想いは溢れて止まらない。


 もう言葉では表しきれない。




 私は、言葉の代わりに朔夜に抱きついた。


 背中に手を回し、朔夜の体温を全身で感じる。




 朔夜は何も言ってくれなかったけど……ただ、抱き返してくれた……。


 

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