二年三組③

 いつきに連れられ教室を出た未来みくは、初めて人に受け入れられたことに大いに戸惑っていた。

 最初の暴虐こそこれまでとは比べ物にならない程ではあったものの、そもそも自分の話を誰かが最後まで聞いてくれたことなど、今まで一度も無かったからだ。

 ましてや彼らが行った行為について、促されるでなく自ら謝りに来てくれるなんて思いもしなかった。


 驚きと感動と、まだ振り払いきれない若干の恐怖心を携えながら、未来は斎へと顔を向ける。


「あ、あの。さっき、ありがとうございました」


 隆一郎や家の人、マダー関連でない人と久しく喋っていない。緊張して少し吃ってしまったけれど、未来は素直にお礼を言った。

 みんなが話を聞いてくれたのは、手を引いてくれている彼がきっかけを作ってくれたからだと伝えるために。


「どういたしまして。あっ、俺、谷川たにかわいつきっていいます。やー土屋から聞いてたけど、こんな可愛い子だとは思わなかったなー! モテそう〜」


 手を掴んだまま斎は未来を保健室へと誘導する。傷口を気にしているようで、明るく返事をしながらゆっくりと隣を歩いてくれた。


「そんな……私はそういうの全くないです。目も、こんななんで」


 自虐的な発言をしたのち、未来はしまったと思ってついと床に視線を落とした。


(どうしよう、言葉を返すのにいっぱいいっぱいでつい否定しちゃった)


 実際にそういったことは生まれてこの方一度もなかったけれど、それでも目のことにまで触れる必要はなかったと。

 自分で欠点だと思っているものを、他人が前向きに汲み取ってくれるはずがないのだから。


 嫌そうな顔をしているだろうか。

 面倒だと感じているだろうか。


 怖い。怖い。斎の顔を見ることができない。

 すると突然、隣を歩いていた足がピタッと止まった。逃げ出したくなって未来は無意識に一歩後ろに下がる。

 まだ握られていた手に、ほんの少し力が入ったように思えた。


「んーそだね。青い目はなかなか珍しいよね。だから先生が来る前にちょっと聞きたいんだけど」


 誰もいない廊下で斎は振り返り、未来の顔をじっと見た。あまり身長差は無く、目を見て話そうとするなら未来が若干上を向く必要があるくらいの位置。そこから真っ直ぐ見つめられ、口が開かれる。


「君はもしかして、相沢未来さん? 六歳の時にキューブに好まれてマダーになった、所謂世界初のマダーさん?」


「え……」


 斎から告げられた言葉に、未来は目を丸くした。

 なんで知っているのだろうと。


 教室でも今も、自己紹介すらできていないのに名前を知られていて──もしかしたらりゅうが言っていたのかもしれないとは思ったが──何よりキューブを初めて使った人だなんて言いふらさないし、死人に知れたら狙われるから誰も口外しない。

 なら、なぜなのだろう。


「なんで知ってるんですか」


 不安に駆られオドオドしながら聞くと、斎の顔からこれでもかというほど明るい笑顔がこぼれた。


「やっぱそっかー! ずっと会ってみたいなって思ってたんだよー!!」


 そう言いながらズボンのポケットに手を突っ込み、すぐさまサイコロの形をした小さな機械を取り出した。

 サイコロの目はスイッチになっているようで、いくつかあるうちの一つが押され、カチッと音が鳴る。

 するとたちまち二人の周りにテレビのような画面が数個現れ、未来が驚いたのも気にせずそのうちの一つを斎が指さした。


「これ、相沢さんね」


 鮮明に映し出された幼い自分。懐かしさを覚えるとともに、その映像の横にあるもう一つの画面が気になった。

 そちらに映っているのは当時の未来と同い年ぐらいの男の子で、なんだか隣に居る彼に面影が似ているように思えて。


「で、これが俺ね」


 未来の予想は的中し、この子どもは斎であることを知る。


(これは……記憶? それとも記録された何か?)


 見ている映像の意味もわからず、両者ともにほとんど動きのないまま流れた数十秒。

 これは何なのかと斎に聞こうとしたその時、子どもの斎が映った動画に変化が訪れる。

 思いついたように小さな斎が立ち上がり、部屋を移動して違う画面に映り込む。他に誰がいるでもないけれど、そこにある作業台の前でぺこりと一礼して、置かれた一つの小さな箱を手に取った。


「見てて」


 隣から声をかけられる。

 小さな斎は箱の中に何一つ迷うことなく長短の線やらチップを埋め込み、その蓋を閉じた。するとその箱はひとりでに宙に浮き、あろうことか部屋から出て外へと飛んでいく。

 取り残された小さな斎の映像はそこで動きが止まり、わずかの間をおいて未来のいる画面に箱が現れた。

 ゆっくりと未来に近付き、その存在に未来が気付くと箱はたちまち消えてしまって、直後に足元から草花が生えてくる。


「これは……」

「んーちょっとこれだと分かりづらいかな? こっちにしようか」


 よく分かっていない様子の未来に気付き、斎はサイコロのボタンをもう一度押した。

 すると今度は目の前が急に明るくなって、眩しいと思った瞬間、ガクンと膝から崩れ落ちてしまう。


「相沢さん!?」


 咄嗟に斎が未来の体を支え、頭を床で打つことはかろうじて避けられた。はっとした未来は意識が飛んで倒れかけたのだとすぐに状況を理解し、立ち上がろうとする。

 しかし思いのほか体に力が入らず、支えてもらい、よろめきながらなんとか立ったといったところだろうか。


「ごめんね、出血してる時にできることじゃなかった。また今度にしよう」


  いったい何をしようとしたのか未来にはわからなかったが、焦った顔で言う斎に怖いという感情は芽生えなかった。

 本能的に、何か凄いことをしようとしていたのだと気付いていたからだろう。

 足もとがおぼつかず、そのまま支えられながら改めて保健室へと向かう。


「とりあえずね、俺は理由があって相沢さんが世界で初めてマダーになった人って知ってるだけで、情報が漏れたりしてるわけじゃないから安心して。それよりね」


 未来が情報漏洩を心配しているのをわかっていたのか、斎は明るくフォローを入れた。しかし、可愛らしく笑う顔はすぐに真剣な表情に変わり、高いと思っていた声が少し低くなる。

 二人の間に緊張が走った。


「俺たちのクラスには、相沢さんや土屋以外にも何人かマダーがいる。その中に恐らく……いや、ほぼ百パーセント君のことが気に入らない人がいる。何かしてくるかもしれないから気をつけて」


 心配そうに言う斎に、未来は目の近くに手をやった。


「それは私の……」

「あ、ううん。理由は目じゃなくて……順番、かな」


 そこまで言った斎は、それ以上口に出すのを怖がっているように見えた。

 何か理由があるのかもしれないと未来は悟り、聞くことはせず、お互い無言のまま保健室の前に着く。

 結局その内容についてしっかりと語られることはなかった。

 だから未来は、斎が懸念することをあまり重く受け取らず、話したいタイミングで話せるよう何も言わないでいた。

 自分にも話したくないことがあるように、彼にもそんな思いがあるのだろうと、察する部分があったからだ。


 それでも、やはり聞いておけば良かったとのちに後悔することになるとは、この時の未来は思いもしなかった。

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