中学編 第4話 二年三組③
「未来、どうだった。」
保健室での治療を終え、1限目がほぼ終わる時間に教室に戻ってきた未来に、俺はコソッと状態を聞いた。というのも、先生の計らいで俺と未来の席が隣同士になるように席替えをしてくれたのだ。椅子から腰が離れないように首だけ横へずらして問いかける。
「うん、特に縫ったりしなくて大丈夫。ただちょっと傷口が深いから暫く安静にしてろって言われた。」
ガーゼの貼られたおでこを隠すように前髪を弄っている彼女に、俺はなんとも言えない罪悪感を覚えた。今朝、大丈夫だと励ましたのはもしかしたら間違いだったかもしれないと。そう思いながらも、とりあえずなんとかなってくれて良かったとも感じていた。
一方斎は未来より先に教室に帰ってきていて、席に戻る前に俺の横をわざと通り、「話があるから次の休み時間便所。」とメモを置いていった。トイレかよ、と思った。
(キーンコーンカーンコーン)
「未来、次体育。水泳な。見学しろよ!」
この学校では2年までは男女混合、3年は男女別で体育を行っている。つまり参加してたらすぐわかるということだ。未来は心底嫌そうな顔をしてガックリと肩を落とした。お前泳ぐの大好きだもんな。
とりあえず俺は着替えと、話をしないといけないため斎と秀と更衣室へ向かう振りをしながら途中にあるトイレに向かった。
俺たちの後ろを歩く未来はクラスの派手系の女子達に絡まれていた。ぼーっと歩いているように見せかけ、後ろの会話に聞き耳を立てる。
「アタシー
未来は今まで人と話す機会があまりなかったせいか、質問されたことに返すだけで精一杯になっているようだ。かなり心配だ。
トイレに入る時にちらっと見てみると、長谷川凛子は未来の右腕をガッチリホールドして抱きついていた。その距離に慣れない彼女は足しか動いていない状態で、上半身は緊張のせいか固まっていた。
「どう思う?」
トイレの最奥で斎が口を開いた。
「僕としてはすぐに離れさせた方がいいと思うけど。」
秀もぼそっと言った。
2人が気にしているのは、今の長谷川凛子の行動についてだ。朝の時間、未来に最初に定規を投げたのも、ハサミを投げたのも、死人と断言したのも、つまり彼女なのだ。未来はあの時必死だったから気付いていないようだが、俺達にはその行動がとても不可解である。
「謝っても無かったし、やっぱ何か企んでるとしか思えないんだよ。」
斎が言いながら着替え始めた。あ、ここで着替えるつもりなのな。
「でも未来がなぁ...頑張って仲良くなろうとしてんだよな。これで意外と相性があって和解出来たらそれも問題なくなるんだろうけど。」
俺も夏用のズボンの下に水着を履き、半袖のカッターを脱ぐ。更衣室はすぐそこなので、脱いでしまっていても特に問題は無い。廊下で誰かとすれ違った時にその洗練された筋肉が晒されるだけだ。
「じゃあ...様子見する?大丈夫かな?」
「やけに心配するね。斎どうしたの。」
秀が眼鏡を外し、その長い睫毛を1回瞬きさせた。その少し伸びつつある黒髪を後ろで纏めると、ガリ勉風だったのが一気にチャラ男みたいになる。まあ目鼻立ちが元々くっきりしてるせいもあるが。
「お前が気にしてくれてるのはキューブのせいか。」
俺は十中八九間違いないと思われるその理由を斎に問う。視線を落とし、歯がゆそうな顔をする彼の顔を見て確信した。が、言葉に出そうとしないその様子から、その詳細まで聞こうとは思わなかった。俺と秀はそれについて知っているし、きっと未来にも時を見て話してくれるだろうと思ったからだ。
「別に意図してやったわけじゃないけど、一部始終を知ってるだけに...ちょっと、申し訳なくて。」
「そういう細かいこと気にしないやつだから大丈夫だと思うぞ。」
そこまで話して予鈴がなった。やばいと言いながらプールへ向かい、とにかく現状を見極めてから行動しようという話で一旦区切りをつけた。
――――――――――――
梅雨が明けた外の空気はとにかく暑く、ミンミン鳴く蝉のせいで実際の気温よりももっと高く感じた。冷たそうなプールの水の表面が風でごく小さな波を立てる。
「ねえー相沢ちんどうして長袖着てんの?暑くない?」
ブレザーはさすがに羽織っていないが、朝は長袖のカッターシャツ、今は長袖の体操服を着て見学している未来の傍に、長谷川凛子がラジオ体操をサボって近付いてきた。先生はタイマーが壊れたとか言い、今は不在なため彼女だけでなく皆適当になっている。
「あ...ちょっと紫外線アレルギーで。」
嘘だ。彼女はアレルギーは持っていない。しかし長谷川凛子は納得したような顔で「ふぅん。」と目を見開いた。
先生が戻ってきて、各自授業を再開する。今日は200メートル泳いだやつから自由時間だそうだ。ラッキー。
スタート位置から我先にと泳ぎ出す。中でもダントツで前を泳ぐのが長谷川凛子だ。とにかく速い。あっという間に折り返し地点だ。俺は得意というほどではないので適度にって感じだ。
息継ぎに顔を出す時に見えた、未来の目がとてもキラキラしている。あー、泳ぎたいんだろうな。あ、ダメだぞプールサイドまで寄ってくるな。お前嘘とはいえさっき紫外線アレルギーって言ったろ。そう言ってやりたい。
「長谷川さん速いんやな!!」
テンションが上がってつい方言が出た未来。既に泳ぎ切ってしまった長谷川凛子はふっと苦笑した。
「相沢ちん手ぇ貸してー」
引き上げてくれと、手を伸ばす。未来がその手を取ろうとしたとき「わっ!」波に押されたように見せかけ、長谷川凛子が未来をプールへ引き込んだのだ。未来はドボン!と音を鳴らしてプールへ頭から飛び込む形でダイブした。
「土屋」
反対側を泳いでいた俺はいち早く状況に気づいた秀に呼ばれ、水から顔を出した未来を認識した。傷口が沁みたのだろう。ガーゼ部分を手で押さえている。
「ごっめん相沢ちん引っ張っちゃった!暑いとはいえ風邪ひいちゃうよ早く脱ごう!」
長谷川凛子が未来の体操服に手をかけている。何をするつもりだ。いや、何とかとりあえず後ででいい。理由があって長袖着てんだ、やめてくれ。
「一人で脱げるから大丈夫!いいから授業戻って?」
未来が慌てて手から逃れ、更衣室へと走る。が、長谷川凛子もその後を小走りで追いかけて行く。その後を秀が俺より先に追いかけてくれた。女の水着姿なんて特に見たくないだろうに。
「あれ...」
更衣室のロッカーを開けた未来は少し慌てた様子でキョロキョロと視線を巡らせる。入れていた制服が無いのだ。場所を間違えたかと思い他のロッカーを開けさせてもらうが、どこにもない。
「相沢ちんどしたの?着替えないならアタシ体操服予備あるよ〜」
追い付いた長谷川凛子がわざとらしく半袖の体操服を未来に渡し、脱ぎにくいでしょとまた服に手をかけた。嘘をついたのがバレているのかもしれないと未来は思う。
コンコンコン
秀が更衣室のドアを叩く。
「長谷川、集合だって。早く来て。」
声をかけられた長谷川凛子は少し悔しそうな顔をしてすぐに未来の方へ振り向いた。
「呼ばれちゃった!行ってくるね、また後で。」
「...うん。」
長谷川凛子が出ていくと、ドアの後ろに隠れていた俺は未来の制服の入ったカバンを持ちながら、来い来いと手招きした。流石に女子更衣室に入るのは気が引けたからだ。気付いた未来が小走りで寄ってくる。
「シャワーのとこの裏側にあった。...見られてないか?」
「ありがとう。多分大丈夫。」と返す未来は自分の右腕を隠すように左腕で覆った。表情は少し曇っていた。
「あの...ありがとう。」
名前を知らない未来は続けて秀にも礼を言った。秀はパッと視線を逸らしたが、「秋月秀。」と短く名乗り、先に戻って行った。俺は女の子が苦手なだけだと補足した。
授業が終わり、その後は特に何事も無く昼休みになった。俺は未来をこっちに呼んで一緒に食べるか悩んでいた。今朝は仲良くしてとは言わないと言っていたが、心の底では皆と仲良くなりたいと思っている未来の友達作りを邪魔してはいけないと思うからだ。ただ、プールでの出来事が引っかかっていた。斎がどうすると聞いてきたとき
「相沢ちん一緒に食べなーい?」
またも長谷川凛子が未来に抱きつきに来た。エイコとナツが返事も聞かず未来の席に椅子を3つ運ぶ。3人は弁当を広げ始め、もう断るタイミングは無かった。
「様子見ながら食べよう。」
こちらも弁当を広げる。ずっと見ていてはバレてしまうためちらちら見る程度にしていた。だが既に先手を打たれ、こっちから未来が見えないようになる位置に、エイコが陣取った。
「相沢さんこれ美味しいから食べなよ!」
未来の弁当に栗色の物体を3個エイコが置いた。ニヤニヤしている。箸を取らない未来。何を置かれた?未来がエイコの顔を見た。表情はよく分からないが不審に思っているようだ。
しかしすぐに顔を弁当に戻し箸を取って、その栗色の物体を口に運んだ。パリっパキッと乾燥した音が口の中に拡がる。
「あ、確かに美味しいね!」
エイコがガタッと椅子を揺らした。「お、美味しいでしょ?」声を震わせて未来に聞いた。未来は満面の笑顔でその感想を3人に言った。「舌触りはよくないけどアーモンドみたいな味がする!すごく香ばしい!」と。3人は青ざめた顔をしていた。
「土屋。やっぱ大丈夫じゃないぞ。」
斎の位置から辛うじて見えたらしい。斎が青い顔で言った。虫を食べさせられていると。
――――――――――
「じゃあ気をつけて帰れなー。」
午後の授業を終え、俺は流石に心配になって早く帰ろうと未来に声をかけようとした時、ナツが未来に近付いてきた。
「相沢さん一緒に帰らない?」
長谷川凛子と同じようにとにかく近い。体が密着するぐらいの近さで誘う。未来はたじろいだ。
「ごめん、今日は先生に呼ばれてて。」
世紀末先生は今朝の事を改めて謝りたいと言ってくれたらしい。この後少し職員室に顔を出す予定なのだ。
「そっか!じゃあまた明日ね。」
しつこくも無くすぐに切り上げたナツ。長谷川凛子とエイコと一緒にそそくさと帰って行った。未来はスカートのベルトに視線をやり、困った顔をした。
「土屋、昼の件も含めてあの3人やっぱ変だ。相沢さんちゃんと送って行けよ。」
斎はそう促し、秀と急ぎ足で帰って行った。あの二人は下校後は忙しいのだ。未来に行こうと声をかけ、職員室に寄ってから俺達も帰路についた。
「先生めっちゃ謝ってたな。」
「だね。もういいのにね」
他の先生の目もあるだろうに、頭を下げて謝ってくれた。朝の先生の態度や生徒達からの乱暴の事も。何もしてやれなくて申し訳ないと。
「隆...ちょっといい?先生や隆の友達がいい人なのはすごくわかったんだけど...」
彼女の視線が俺の視線を追わせるように目配せして、スカートに手を当てる。すぐにそのスカートがおかしい事に俺は気づいた。ベルト部分にチェーンで付けていたキューブが、死人と渡り合うための植物を操る能力の源であるあの箱がそこに無かった。
「お前、キューブはどうした。」
「多分...帰る前に...。」
俺は唖然とした。あの女子3人はこんな大事なものまで手をかけたのか。未来は困った顔で俺を見上げる。多分彼女は、今まで人と上手く接していないせいでどこからどこまでが許せる範囲、つまり問題が無いのかがわからないのだ。それが大事なものでも。
「ちょっと待てな。」
俺はスマホをポケットから出し、カレンダーを開く。死人は毎晩生まれる。毎夜毎夜闘っていたらこっちの身が持たないため、俺達は地区ごとにシフト制でゴミ箱の周りを巡回しているのだ。因みに未来はまだシフトに入っていないため俺が出る時に一緒に出るようになっている。
「...今日、来る。」
「え?」
未来が聞き直す。俺は言うか悩んだ末言った。
「長谷川凛子とあとの二人が、今日は当番だ。あの3人もマダーなんだ。...長谷川凛子は、お前の次、世界で2番目にマダーになった奴だ。」
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