中学編 第15話 違い
まだ空が真っ暗な朝、目覚まし時計の音が鳴る数秒前、土屋隆一郎はパチッと目が覚め、鳴る前にスイッチをカチッと押して止めた。
大きくあくびをしてベッドから出る。カーテンを開け、まだ全く太陽の光がない外を見て小さくガッツポーズをする。
昨日みたいに迷惑をかけることがこれ以上あってはならない。だから今までの晩飯前しかしていなかった鍛錬を早朝にもすることにしたのだ。ただ、今回はやる気に満ち溢れているが基本的に早起きが苦手で、明日からも続けられるかが少し不安だ。
パジャマから動きやすい服に着替えて、家族を起こさないようそーっと地下へと続く階段を下りる。だが、静かに静かに移動しているはずなのに何故か微かに音がする。地下の扉の奥からだ。不審に思ってゆっくりと音を立てずに扉を開ける。
「未来…。」
音の正体、それはびっしょりと汗をかいている未来と、余裕で軽やかに動く未来の二人がやり合っている音だった。
一瞬こんな時間に死人かと思ったが、よく見ると軽やかな未来の方の胸元にキューブが展開して張り付いている模様が見える。つまり汗だくの未来は本物の未来で、軽やか未来はキューブで作った偽物未来という事だ。
本物未来はキューブ無しで素手で戦っていて、対する偽物未来は本体がキューブだから、能力を多用している。
「不利にも程があるだろ…。」
しかし未来はそんな状態でも強かった。
キューブ本体じゃないとできないような、人間の想像力なんかはるかに上回る想像、知識を駆使し、人間ならできないような技の同時生成や物体。それらを完全に見切って受け止める、躱す。もしくは敢えて身を委ね、その流れを利用してカウンター。
見ているこちらが勉強になるような、体術のセンス。凄い。心の底からそう思う。
このセンスが、周りのマダーが相沢未来が世界最強だと言う理由の一つである。凪さんみたいに未来より強い人だっているはずだけど、それでもこう言われるのは未来が誰よりも死人に真摯に向き合っている事を皆知っているから。
この事を一般人が知っていてくれたら、どれだけ未来が生きやすくなるか…。
キューブの針葉樹の葉が未来に襲いかかる。ほとんど無いその葉と葉の間をジャンプして、ひねって、当たればひとたまりもない鋭い葉を避けきる。
着地した足元に蔓が張って足を取られそうになるも、そのままゴロンと回転して次に来ていた三ノ矢を躱し、一つ体をのけぞらせて掴む。そのまま後ろに後転しながら三ノ矢を投げ返す。
キューブも背中を反らしてそれを躱す。その一瞬の視界が狭くなる瞬間を見逃さない。グンと距離を詰め、キューブの真下に入る。姿勢を戻すその瞬間に、渾身の力を込めてアッパー。
顎から響く痛そうな音に続き胸元の展開したキューブ目掛けて殴りかかる。だが今度は命中せず、盾である種皮に阻まれる。
キューブのカウンター、恐らく針葉樹からの連想による無数の大きな針が未来目掛けて飛ぶ。キューブとゼロ距離だった未来は瞬時にキューブの後ろへと跳び、針を種皮を利用してガードする。キューブの背面に、盾はなかった。
「黙祷。」
拳に体重を乗せ、最大限の力で。背中側から、心臓部を殴りつける。体の形が変わるぐらいの力で急所を打たれたキューブは、最後の力を振り絞り一つ種を未来の足元に投げそのまま破裂した。
キューブはそのまま箱型へと形を戻していったが、その瞬間に種が爆成長をし驚いた顔の未来が木の中に取り込まれた。
「未来…ッ」
助けようと咄嗟に中へと入る。しかしものの数秒でメキメキと木の鳴る音が聞こえ、そのすぐ後にバキッと音がして、内側から押し破られるように樹皮がめくれた。
「ふーっ。危ない、木にされちゃうとこやった…。あれ、隆?こんな時間にどうしたん?」
そのめくれた一部からキョトンとした未来の顔が見える。外側からも樹皮を引っ張って外に出るのを手伝ってやる。
「いや、俺の方が聞きたいんだけど。お前一体何時からやってたんだ?まだ5時まわったところだぞ。」
「んー、大体1時間ぐらいかな?多分。」
多分て。
曖昧に答える未来をじっと見る。木から脱出した未来は、汗だくだし肩で息はしているものの、完全に身体能力だけで戦っていたのに怪我はしておらずしゃんとしている。
「…何?マテリアルの粉かなんか付いてる?」
「あ、いや。」
顔をぺたぺたと触って確かめる。なんやの?と言いながら壁にかけてあるタオルを取って顔の汗を拭った。と、その次の瞬間。
「ちょ!未来、おま、もう少し恥じらいを持て!男の前で脱ぐなバカ!」
服を何の抵抗もなく脱いで体の汗もタオルで拭き取っていく未来に、俺は首を180度反対に捻った。
「何言うてん。下着じゃあるまいしいいやんか。」
「や、そうだけどそうじゃない!」
そう、別に服を脱いだからって裸でもないし下着姿になった訳でもない。
ただ未来の戦闘服は軽さを出すために装甲が少なく、生地も少ない。単純に、肌の上に下着、その上に柔らかい装甲、その上に服、更にその上にゴツイ装甲、という形になっている。
つまり今は柔らかい装甲とズボン、という状態なのだが、この装甲、急所だけ守るように出来ているため鎖骨の5センチぐらい下からアンダーバストぐらいの位置までしかないのだ。下着同然だろう。
「もうちょっと自覚を持ってくれよ…。」
一瞬見えてしまった未来の細い腰。ぎゅっと抱きしめたら折れてしまいそうで。
どうしても思い出してしまう今見た記憶をかき消そうと頭をブンブンと振り、話題を考える。
「未来、さ。お前いつもこんな時間から練習してんのか?」
「んーそうやね、仕事じゃない日は大体してるかな?」
なんだと。
「隆晩御飯前にしてるやん。それと同じやよ。…あ。」
「うん?」
「…えーと。晩御飯前にしてるでしょ。それと同じだよ。」
「どうした。わざわざ言い直して。」
「や、えとね。凛ちゃん達と話してるときにヒートアップするとつい出ちゃうんだよね。だから普段から気をつけようかと思って。」
「そんなに気にしなくてもいいんじゃねーの?ほら、最初は馴染めないかもしれないって理由で関西弁封印しようとしてただけだし、今は友達ちゃんといるんだからさ。」
「と、友達!」
タオルと一緒にかけていた着替えの服を着る未来。「友達」にとても反応して、頬を少し赤くした。ああ、そうだよな。これまで言う機会なんてなかったんだもんな。
可愛いなと思いながら平らになっているマテリアルに腰を下ろす。
「でも、やっぱり言い方によっては怖いみたいだから、気をつけたいかな。」
「俺ら関西人には何が怖いのか全然わからないけどなー。」
そうだねと、眉を八の字にして苦笑する未来は、さっきまでの戦闘モードとは違う人にも見える。長く一緒にいると、どっちが本物の未来かわからなくなることがある。可愛い未来も、真剣な未来も、どっちも未来なのに。
「ねえ隆、手合わせしない?どうせ昨日の事が気になって自主練しに来たんでしょ?」
「うっ。」
バレてやがる。
「でもお前今終わったとこだろ。さすがにしんどいんじゃ?」
「関係ないよ。実践は連戦なんて普通だし。"いつも通り"じゃないと練習にならないよ。」
まあ、それもそうだな。
「じゃあ…いくぞ!」
凪さんからのアドバイス通り、待たずに、すぐに!殺すつもりで!
ドガッシャーン!!
…気合を入れて未来をコテンパンにするつもりだったのに、俺がやられたのはそのわずか5分後だった。
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「…なあ、何でキューブ使わずにやってたんだ?キューブで未来を作って、未来は未来でキューブ使えば良かったんじゃないのか?」
ボロボロにやられた俺は床に突っ伏しながら、さっき聞きそびれたことを改めて言うと、未来は何故かまたキョトンとした顔になった。
「ん?相手が必要だからキューブで作ったんじゃないのか?」
「うーんと、確かに相手は絶対必須だけど。」
次の言葉に、俺は驚愕した。
「死人が相手じゃないときは自主練でも一切キューブ使ってないよ。今までずっと。」
「…え?」
そう言って隣に座る未来。
「キューブは、元々私たちがちゃんと扱えるようになってるでしょ。キューブ自身が私たちを選んでくれてるんだから、不安に思う必要なんて無い。必要なのは、この力を100%発揮する為の知識と想像力。それとあともう一つ。」
今は全く何も反応していない四角いキューブを大事そうに手のひらで包み込む。
「キューブを使う使用者自身の身体能力。この3つが絶対要素なの。で、知識は色んなところで集めるべきだから、ここではしない。想像出来たことはある程度実践でやってみるべきだけど、想像できるイコール基本は実現可能だからこれも普段からする必要は無し。だとすると、ここで毎日できることは。」
キューブの真ん中のボタンを押してパラメータ画面を出す。
「如何に自分の体とキューブをリンクさせて無駄のない的確な動きができるようにするか。」
パラメータ、オールS。
攻撃力・防御力・素早さ・体力・身体能力
ゲームなんかでよく見るような名称のパラメータが、5段階評価S・A・B・C・Dのうち最高のS。が全部。
「すっげ…。待って、そもそも俺こんなの見れるの知らなかったんだけど。」
「えっそれじゃ練習しにくかったでしょ。とりあえずこういうパラメータを参考にして、自分の得意分野と苦手分野を見つけて底上げしていくと全然違うよ。」
なんで誰も教えてくれない。いや、俺が無知なのか?
「はー…すんげぇなあ。なあ未来?俺、なんでこんなに弱いんだろ?ホントに強くなれんのかな?」
ため息をつきながら弱音を吐く俺に、未来が少し唸る。
「んー。隆は死人相手なら安心だけど、対人戦はダメダメだよね。」
グサッ。凪さんにも言われたことを…。
「けど私は、隆は強いと思うよ。」
「…んぇ?」
今ダメダメだって。
「隆はね、勝ち負けに少しこだわってるように見えるよ。でもぶっちゃけさ、勝っても負けてもどっちでもいいんじゃない?役目を全うして、守るべきものを守れたらそれでいいと私は思う。」
「俺は…俺が守りたいのは…。」
未来。未来。守りたい人は、目の前にいるのに。
「情に流されるな。本来の目的を忘れないこと。仲間は確かに守れたらいいと思う。でもね、私たちが守らないといけないのは、この町。この世界。それを守る為に仲間が死ぬのは…尊いことなんだよ。」
天を仰ぐ未来。少し悲しそうな青い目が、天井の一点を見つめている。
俺は何も言えずに、ただただ沈黙した。
守りたいものと、守らなければいけないもの。それは同じじゃない。守りたいものじゃなくて、守らなければいけないものを守る。理屈はわかる。それが正しいことであることも、自分たちの使命であることも、わかる。わかってる。
常に死と隣り合わせにいる俺たちは、きっと普通の人間よりもずっと肝が据わってるだろう。
でもまだ中学生だった俺には、その"理屈"は"理屈"でしか無く、心の声とは相反するものだったのだ。
尊いこと。未来はそう言うけど、果たして本当にそうなんだろうか。
ヂヂヂッ
沈黙していた空間に、小さな機械音が鳴る。
二人のキューブに、同時に本部からの緊急案内が届いたのだ。
「何だ?こんな早い時間に。」
キューブの情報は死人死滅協議会本部に完全に筒抜けになっている。だから、どこに居ても本部からの情報は届く。
更にキューブを介して持ち主の情報を得ることができる。名前や身長等の基本データから、怪我や病気、生きているか、死んでいるか、とかも全部。
「夜の当番のメンバー変更みたいだね。かなりの人数が亡くなったから、大幅に変わってるみたい。」
「なるほどな。んーと…。」
リストの中から赤く光る自分の名前を見つける。お?今回はひとりじゃないぞ。
「俺次から秀とペアだ。」
「ん、隆と一緒なら秋月君も安心だね。私はひとりみたい。」
チラッと未来のキューブから表示されているデータを見ると、確かに未来単独になっている。
「ひとりか…気をつけてな。」
「うん、ありがとう。」
単独で戦うのは、思っているよりも厳しいものだ。どんな強敵も、どんなに不利でも、自分一人。孤独との戦い。
今まで一人でやっていた俺も、未来が一緒に来てくれるようになって、どれだけ救われたか。
だから、今一人じゃなくなったことに、単独になったのが未来だったことに、未来を守ると言ったにも関わらず俺は酷く安堵していた。
「最低だ…。」
俺は隣にいる彼女に聞こえぬよう小声で自分を戒めていた。
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