中学編 第6話 2年3組④

「あああああああああ!!!」


 長谷川凛子が叫んでいる。目に大粒の涙を溜めながら。その目の前に広がる無惨な光景に、俺は酷く憤りを感じていた。

 死人の口周りには赤い赤い鮮血がベットリと、生々しい髪がそこにまとわりついていて。足元には捕食しきれなかった四肢が2セット、あちらこちらを向いて転がっている。その切れ端から真っ赤な血が溢れる。溢れる。溢れる。

【炎の槍】が、彼女らを襲うコンマ数秒前に追いついてその口の起動が僅かにずれ、全滅は免れた。だが残ったのは混乱して発狂している女王様と、戦う術がほとんどない碧眼の女の子だ。

 ギリギリで避ける形になった未来の鎖骨付近から右腕にかけて、服が引きちぎられていた。時折風で煽られて右腕の痛々しい傷が見えた。


「エイコ...ナツ...ああああ...」


 四つん這いの状態で手足に近づいていく長谷川凛子。足に力が入らないのだろうか。かくん、かくんと進む毎に体を大きく揺らしながら進み、まだ死人がいるそこで脱力した。


「長谷川さん、そこから離れて。」


 未来が警戒した声で言う。奴はまだきっと、残る俺達も食べるつもりだろうな。俺も警戒しながら少しずつ彼女らの近くに寄った。すると長谷川凛子の手から、展開して張り付いているはずのキューブが剥がれているのが見えた。


「長谷川、気を抜くな。早く戦闘態勢になれ。」


 小声で長谷川凛子に言った。

 人間の体とキューブは別物であるため、繋ぎ止めるために意識を集中していないといけないのだ。だが言っている間にキューブがどんどん分離していく。


「長谷川!」


 刹那、死人がその目を大きく見開いて、カチッとその秒針を鳴らす。また、時を止められる!


「【イカヅチ】!」


 ドォン!と音を鳴らして、死人の頭から強力な電気が走った。


『キョエアゥアウアア!』


 何とも言い表せない耳障りな呻き声がビリビリと辺り一面に広がる。耳を塞ぎたくなるような、不快な音。

 未来が長谷川凛子を庇うように前に出る。続けて2発、【雷】を足元に当て、麻痺させた。


「【灼熱地獄】!」


 間髪入れずに俺は炎の竜巻を起こす。呻き声をあげながら火花を散らせてプスプスと音を鳴らしている。


「おい、戦えないなら帰れ!邪魔!」


 厳しい言葉を掛けたのは俺じゃない。それは苛立ちと哀れみが混ざった未来の声。その声に長谷川凛子が小さく反応を見せた。


「忠告したからな!」


 手足に電気を纏わせ一言言い残し、まだ動かないでいるタイマーに殴り掛かる。

 あの力は元は死人の能力だから、直接奴らのダメージにはならない。つまりというそれでしか未来は奴の体力を削れないのだ。

 殴る蹴る肘で背中側から心臓部を突く!バチィ!っと音を鳴らしてタイマーが体を逸らす状態になる。


「【弓火ゆみのひ】!」


 弓を引く形で火の矢を飛ばす、心臓部を射抜く!射抜いたそこから炎が上がる。髪が焼ける独特の臭いがした。


「【雷】!」


 心臓を射抜かれふらついたタイマーを押しやるように【雷】が放たれた。数メートル吹き飛び砂埃が上がる。その視界が悪くなるタイミングを逃さず、俺は長谷川凛子をとりあえず安全な場所へ連れていこうと思った、が。


「...は、アイツホントに帰りやがった!?」


 未来の後ろにいたはずの彼女の姿がそこになかった。もしかしたら気付かぬ間に死人の餌食になったのかと思ったが、見えるのはエイコとナツの手足だけ。


「隆、いい。あのままおってもホンマに食われるだけや!」


 方言に戻っている未来の言葉に、余裕の無さを感じた。死人の力を使うのはかなり体力を使うのだと以前言っていたのを思い出す。よく見ると、肩で息をしている。それに纏っている電気が先程よりも弱々しい...長期戦は出来なさそうだ。


「未来、お前も下がれ。俺がどうにかする。」


 一歩前に出ると、未来は大人しく後ろに回った。


「あのタイマーさんな、まだ正気に戻れると思うねん。」


 息が上がったまま、彼女は一言そう言った。

 確かにさっきから時折殺気が消えているのは自分でも気付いていた。でも正気に戻せるかと問われると、即答できる程度ではない。ただ、死人になり切れていないとは思う。


「...どうするつもりだ?」

 砂埃が、もう完全に消えた。

「もう一度...話す。」

 タイマーが、いや

「あの状態で?」

 死人が、こちらを見ていた。カチカチと針を動かしながら。焼けた体が急速に元通りになっていく。

「未来、無理だ。」

「...そうやね。」


 もう戻れない。怒りと憎しみで溢れている。


 ふぅ...と、未来が一つ息を吐いた。体に纏っていた電気が消え、新たにひとつ、ガラス玉を割った。


「ごめんな隆、私は多分次の一発ぐらいで体力の限界や。ちょっと、使いすぎた。」


 彼女が体に纏うのは、花を豊富につけた植物の蔓。恐らく普段彼女が使っているキューブと一番似ている能力。


「何が出来る?」


 奴の体が完全に元通りになった。ゆっくりと一歩一歩こちらへ近付いてくる。


「せやな...あの力自体を栄養分として吸い取るぐらいしか出来へんな。悪いけど、その後のことは頼むわ。」


 そう言い残して未来が死人目がけて走り始めた。秒針がカチカチと動いている。時を止められたら終わり、右手の蔓が秒針に巻き付いて動きを止めさせた。左手の蔓が周りにある木に巻き付いて未来が宙に浮く。ぐるんぐるんと奴の前を飛び回って翻弄する。右へ左へ。悟られないように、背面から死人の半分ぐらいの大きさの花が姿を見せる。


 クパッと奴の大きな口が開いた。自身の周りを飛び交う未来に噛み付く。ガリッキン!肉と、歯と歯が当たる音、未来の足を掠めたのだ。


「【弓火】堕ちろ!」


 火を纏う矢が死人の上から刺さるように堕ちる。しかし体を器用に捻らせ間一髪避けられた。だが充分だ。未来が突き出した左手をぐっと握った。


「【喰え】。」


 命令を受けた花が死人の心臓部に食らいつく。ピシッと奴のひび割れる音が聞こえ、その隙間からエネルギーを液体に変えて飲んでいく。

 視界の端で未来が倒れるように膝と手を地面についていた。


『キュエキュルルルフ』





 苦しそうな声が聞こえる。ごめんな。




「【ファイア】!」


 濁りのない炎がヒビから中へ中へと侵入する。内部から死人を壊していく。再生するエネルギーは奪った。もう一度エネルギーを溜める時間はやらない。パキッビキッヒビが大きくなって裂けていく。このまま爆破させる。心臓に亀裂が入ったその時だった。


『キアアアアアアーーーーーーーーーーーーー』


 耳を塞ぎたくなる甲高い、頭に響くような咆哮。あまりに酷い音に、一瞬炎を保てなくなった。奴はその瞬間を逃さない。


「未来!」


 叫んだ時にはもう丸呑みできるぐらいの大きな大きな口が未来の目の前に。大きな碧い瞳が見開かれて。その光景がスローモーションのように鮮明に映る。







「【鎌鼬】!」







 突如、死人の顔半分が吹き飛んだ。それに伴って軌道が逸れ、喰われず尻もちをつくだけで済んだ。

 長谷川凛子が、一つキューブを投げた。未来が受け取ったそのキューブは、彼女の物だ。


「【風神の舞】」

 間髪入れずに赤い強風が死人を更に切り刻む。

「【爆破ボム】!」


 もうチャンスを逃すわけに行かない。細切れになった死人を更に爆破で粉々にする。青い心臓がひとつ、未来の方へ飛んでいく。あれはきっと、大雑把に切ったり燃やしたりじゃダメなんだ。だから


「叩け!未来!!」


 重い体をどうにか立ち上がらせ、キューブを展開させている。小さめの体に似合わない大きな木製の【玄翁げんのう】を高く振りあげ、目をゆっくりと閉じた。


「黙祷...」


 ドオォン!振り下ろした玄翁が地割れと共に心臓を押し潰す。亀裂から細かく割れて散らばってゆく青い欠片。全てが割れた地面の中に入った。


「【育め命よ】」


 一瞬目の前が眩い光に覆われ、地面が元通り平らになる。種と化した欠片が落ちた場所から、一本一本小さな芽が姿を見せていた。


 ―――――――――――――


「キューブ、取りに帰ってくれてたんやね。ありがとう。助かった。」


「いや、助かったのはアタシの方...。相沢...ごめん。アタシは...バカだった。自分の事に必死で、アンタのこと、傷付けた。友達すら、守れなかった。」


 ぽつりぽつりと長谷川凛子が話し出す。目線は下を向き、声も小さい。先程までの自信が嘘のようだった。

 未来は立っていられる体力がない為、ゴミ箱前の階段に座って聞いていた。


「アタシは昔から、割となんでもできた。勉強とか、運動とか、賞も沢山貰った。けど、全部...」


 言葉の途中で詰まって話せなくなった長谷川凛子に未来が言葉を足す。


「...2番目やった?」


「.....どれだけ努力しても、上には上がいた。絶対アタシは1番になれなかった。だから、マダーとしてキューブに選ばれたとき、世界で2番目だと知ってムカついた。でもそれでも良かった...!1番目の奴より強くなって、世界で1番強いって言わせてやればそれでいいって思った!なのにっ...!」


 長谷川凛子の足元に水玉模様が現れる。流れる涙は悔しさか、怒りか、それとも悲しみか。


「どこに行っても聞くのは相沢未来相沢未来!アタシの名前なんて一文字すら聞かない!キューブの格闘技大会で1位を取ってるのはアタシなのに...それでも皆口を揃えて言うんだ。相沢未来が世界最強だなって!」


 未来の碧い瞳が少し揺らいだ。何か言いたそうにしているがまだ口は開かないでいる。


「...だからアンタが転校してきて、心底、驚いた。もっと凶悪な顔をして、ガタイもいいんだろうなとか思ってたからだ。なのに見てみたら...碧い瞳のちょっと可愛いだけのオドオドしたちんちくりんだなんて、アタシのプライドが許さなかった。」


「...だからキューブを盗ったん?」


「...いい気味だと思った。キューブが無ければ何も出来ないくせに、いきがってんじゃねーよって。さっきの戦いも、キューブも無いのに参戦して来て、バカだと思った。...けど、時間を止められた時、アタシはあの2人が危ない時何も出来なかったのに、アンタはすぐに対処した。守っただけじゃなくて、死人自ら術を解くなんて考えられなかった。アタシにはそんな事...できない。」


 少し話し方が落ち着いてきただろうか。俺に背を向けた状態で話している為表情はよく分からない。間に入ってくるなという事だと思うが。


「だからどうしても、討伐だけはアタシがしたかった。それすら出来なかったら、何もアタシには残らない。ただの宝の持ち腐れだからだ。自分のプライドの為に、無謀だとわかっていながら相沢達の協力無しで殺ろうとした結果がこれだよ。」


「.........。」


 長い長い沈黙の果て、先に口を開いたのは未来だった。


「私は、誰より強いとか、何番目とか、あんまり興味が無い。ただちゃんと役目を全うして、誰も死なんように、誰も怪我せんようにできるぐらい強くなりたい。そう思ってる。」


「...知ってる。だからアンタは大会に出ない。」


「うん。そやから誰に噂されても、褒められてたとしても、申し訳ないけど、私にとったらあまり重要じゃない。実際、私は長谷川さんが聞いてきたような凄い人でもないし、特別強い訳でもない。でもそっちが弱い理由なら分かるで。」


 強気な言葉に長谷川凛子が真っ直ぐ未来を見た。今、何を思っているんだろう。


「マダーとしての自分を一種のパラメータとして見てるからやよ。私らは、常に冷静に、被害が最小限になるように、最善の方法で街と人を守らなあかん。命がかかってるからや。最初から見てるものが違うねん。」


 口調が荒いように聞こえるかもしれないが彼女は全く怒っていない。方言がキツく聞こえるだけでかなり平静だ。

 木々の葉が風に揺られてサワサワと音を鳴らしている。その音が2人の緊張を和らげてくれている。


「知ってたで、長谷川さんの名前。」


「...え?」


「さすがに何番目とかは知らんかったけど、大会観るのは勉強になるからよく会場に行ってた。いつもぶっちぎりの1位取ってて、きっと凄い努力してる人なんやろなって思ってた。」


 未来がゆっくりと立って、階段を降りてくる。一歩一歩長谷川凛子に近づいていく。


「最初に話しかけてくれた時、言おうか迷った。いつも凄いねって。けどあんまり人と話すことが無かったもんやから、どう切り出していいか分からんかった。」


 長谷川凛子より10センチほど小さい未来。その差がはっきりわかるぐらいの位置で足を止めた。


「世の中には天才とか逸材とか言われる人が稀におる。生まれ持った天賦に勝てるのは自分を奮い立たせて何十倍何百倍頑張れる人だけや。私ら凡人は、追いつく為に必死に努力するしかないねん。」


 真っ直ぐ目を見て、そう未来が言った。


「それを分かっててなおあなたはすっごい努力してる。めっちゃ強いんや。ホンマにもったいないから、プライドになんか負けんな。頑張ってる自分をもっとしっかり褒めるべきなんやで。」


 未来が長谷川凛子の手を取った。剥がれかけていたキューブが今はしっかりと張り付いているのを見てから顔を上げて一言言った。


「...よう頑張ったな。」


 数秒間の沈黙の後、長谷川凛子の泣き声が聞こえた。力が抜けてペタンと地面に座り込み、今日一番の大きな声でわんわんと泣いた。すがり付くように未来の服を握っていた。






 数十分が経ち、泣きわめいていた長谷川凛子はやっと落ち着いた。


「ごめん。取り乱して。」


 未来の【パルプ】から作ったティシュで、長谷川凛子はちーん!と鼻をかんだ。

 俺は未来の右腕の方に目をやる。彼女を守った時に服が破れてしまって大きな傷が覗いていた。


「あと...そんな大怪我負わせて、ごめん。傷かなり深いよね。」


 彼女も未来の右腕を見て青い顔で申し訳なさそうに言った。


「あ...大丈夫だよ。これ、古傷だから。」

「え...古傷?まだ凄く痛々し...」


 長谷川凛子が途中で話す言葉を切った。きっと聞いてはいけない雰囲気を感じ取ったのだと思う。


「長袖着てたのはそのせいだったんだ。」

「ん...嘘ついてごめんね。」

「アタシこそ、無理に脱がせて確かめようとしちゃって」

「お前やっぱりわざとだったのか!」

「つっちーいたの!?」

「いたよ!ずーっといたよ!お前らが深刻な話してるからこっちで空気になってる他なかったんだよ!」


 重い空気が一気に明るくなった。長谷川凛子が笑顔で話してくる。未来もくすくすと小さく笑っている。良かった、確執が消えていく。これでもうクラスでの問題は大丈夫だろう。たった一日だったのにすごく長かったような感じだ。

 安堵に浸っているとき、ゴミ箱からカッと光が溢れた。第二陣かと身構えた瞬間、未来の【ウツボカズラ】がすでに捕らえていた。

 食虫植物のウツボカズラはメリメリと新たな死人を食し、ごくんと丸呑みして、お尻からガラス玉を出した。


「相沢...アタシはやっぱアンタが自分で言うような凡人だとは思えないよ。周りが言う世界最強の方がしっくりくるよ。」

「そんな事無いよ。ホントに私なんかより圧倒的強さを誇る人がいるんだよ。」

「嘘だぁ。」


 全く信じていない顔で否定する長谷川凛子。そして一言、あとさっきから言いたかったことがあると前置きして言った。


「関西弁怖い。」


 ガーン。と未来の顔に書いていた。


「が、頑張ってなおします。」


 街の灯りで照らされた未来の顔が少し焦っていた。

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