走る男に、ついていく。

入川 夏聞

本文

 ようやく生まれ変われるというので、ゴロウはひとしきりホッとしたのであった。

 思えば大変、長かった。

 しみったれたコソ泥商売、じゃの道はへびとばかり、理不尽な親方の元で十年こまっぱしりで我慢をし、やっとの思いで独り立ち、これはカモネギ丁度良いとばかり、初仕事で忍び込んだ家の軒先のきさきの、やたらとデカイ犬っころに一噛みギャっとやられてコロッと死んだところの地獄行き。まさに不幸は生い立ちからのからっきし、ゴロウはさんざ閻魔様に小言を言われ、餓鬼道、針山、血の池地獄。コソ泥ごときで巡りに巡り、後輩どもは数年で転生するところ、自分だけはなぜか待ちに待ったり十年余、いまようやくこれから生まれ変わり先へと向かうところの、ふわふわふわり、中途半端な浮遊霊家業というわけだった。


「てやんでえ、結局死ぬまでどころか死んだあとまで、良いことなんざなんもなかったな。浮世うきよからずっと一人でただよって、流れ流れての地獄行き。そんでこれから転生しろってんで追い出して、見送りの一人もつけやがらねえ。この世もあの世も勝手なやつらばっかりで、たまらねえやな、人を何だと思ってやがる。そんでこのまま生まれ変わったら、何もかんも忘れちまうってんだから、いったい何のために俺あ生きてきたんだか。やってられねえったらありゃしねえ」


 このままプカプカ浮かびながら転生先に流されるのもしゃくだった。

 ゴロウは根っからのあま邪鬼じゃく。しかも自分で自由に動けるものだから、くるりくるりと適当に街を探索してやれ、女風呂でものぞいてやれとばかりに好き勝手さまよっていると、正面から必死の形相ぎょうそうで走ってくる者がいる。

 かなりの怒りの形相、ケンカでもするのかと、ゴロウはこの男にピンと来た。あまり深く考えるのは苦手だが、とにかくこういう顔で走っているやつというものは、とかく他人にとっては面白い不幸を抱えているものである。

 男に並走する形で早速ビュービューついていく。ニヤニヤしながら男を見たところ、年のころは三十手前の角刈りで、いかにも真面目そうなスーツ姿の、もう虫唾むしずが走るような凡夫であった。

 それが血相変えて、怒りの形相で駆けていく。面白くないわけがない。

 ゴロウは楽しみでたまらなくなった。こいつはなんで、こんな形相で走っているのだろう。

 男は、何やらブツブツ言っていた。


「あの、くそ親父。ギリギリになって言ってきやがって。絶対に、許さねえ!!」


 ああ、こりゃ借金取りだな、面白え、とゴロウは今までの経験で当たりをつけた。

 へたれ親父が返済の無心を言ったに違えねえ。すだれハゲの日和った姿を見てやれとばかり、ゴロウは走る男にビュービューついていった。


 ところが、一つ角を曲がったあたりから、男はだんだん恐怖におののくような表情を見せだした。

 男は、また何やらブツブツ言っていた。


「果たして、俺にきちんと出来るのか。許されるもんなら、このまま逃げ出したい」


 ああ、間違えた。借金取りが親父殴るだけでこんな恐れは抱くめえ。こりゃヤクザだな、相手のタマ取りにいくんだろ、とゴロウは今までの経験で当たりをつけた。

 初めての落とし前、そりゃ誰でも怖いわな。漢の仁義を見てやれとばかり、ゴロウは走る男にビュービューついていった。


 ところが、また一つ角を曲がったあたりから、男は哀しげな表情を見せだした。

 男は、また何やらブツブツ言っていた。


「本当は、一緒に会いたかったんだ。今はもう手遅れになってしまったなあ。すまなかったなあ、おふくろ」


 ああ、間違えた。ヤクザがこんな母ちゃんに会いてえなんて哀しむわけがねえ。こりゃ、こいつが借金して自殺しようってんだ、誰かを追ってんじゃねえ、逆だ、逃げてんだ、とゴロウは今までの経験で当たりをつけた。

 そりゃおふくろさんに保証人でもやらせてんだろ、哀しいわけだ。行き先は富士の樹海か東尋坊とうじんぼうかとばかり、ゴロウは走る男にビュービューついていった。


 ところが、大通りに出たあたりから、男は愉快な表情を見せだした。

 男は、また何やらブツブツ言っていた。


「一緒にキャッチボールをやりたいなあ。一緒にお歌も歌いたい」


 ああ、間違えた。借金で自殺しようって奴がお歌はねえよ、こりゃいけねえ。こりゃ、まさしくキチガイだ、気が狂っちまったんだ、とゴロウは今までの経験で当たりをつけた。

 きっと借金取りの親父に怒り狂って勢い余って死のうと逃げ出しながらワケも分からず走って母ちゃん思い出してるうちに、すっかり頭がパーになっちまったんだ、ほらもうそこは病院だ、なんだ、やたらと用意がいいな、自分で駆け込んでんなら世話はねえとばかり、ゴロウは走る男にビュービューついていった。


 で、見てるとすだれハゲの親父がオバハンの遺影抱えて廊下で待っている。泣きながらもうすぐ、もうすぐと騒いでる。太った看護師がすぐに飛び出して、旦那さん、こちらです、はやく奥様のおそばへ、などと言っている。

 やれやれ、おぎゃー、おぎゃーと辺りに響く声を聞き、さすがにゴロウはぴしゃり、とひたいをはたいてごちた。


――ああ、間違えた。こりゃ、ただの良い旦那だったのかい。人ってのは思いもよらねえ、よらねえなあ。もう俺にゃあ思いもよらなかったじゃあねえか。俺もこんなやつの、子供だったらなあ。


 そのままゴロウはヒュッとどこかに吸い込まれて消えてしまった。

 数刻後、なにやら満足そうな顔の赤子が生まれたらしい。

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走る男に、ついていく。 入川 夏聞 @jkl94992000

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