エナ砂漠の一夜⑷
「ワシの話は皆と違って簡潔だ。どこぞの砂漠のどこぞの高い木の根元で今夜のように旅人が今夜と同じように五人で暖をとっておったのだが、ふとしたきっかけで隣り合うもの同士で乳繰り合い始めたのだ。
それを見ていた隣の男がムラムラと来て隣の男の尻に取り付きその男もまた隣の男の尻に取り付きそしてその男もまた隣の男の尻にと気がつけばその木の周りを五人の男達が数珠繋ぎになってえっちらほっちら輪になってまぐわっておった。
そうやってその木の周りをグルグル回っている間に五人はバターになってしまったのだ」
「……で?」
「それで終わりだ」
皆あまりの話の雑さにポカンとなった。それよりもその話は皆何処かで耳にした覚えがあった。
「そんな話、俺は子供の頃似たような話を聞いた事があるぞ!もっと何処か異国の話では虎がグルグル回ってバターになると言う話であったが…」
「要するにヒック!ありがちなつまらん話しと言う訳だなぁ…ヒクッ」
アンクがしきりにしゃっくりをし始めると、つられたのかタンダもポントも何故かしゃっくりをし始めた。
「さあ、お主。コレで艶声国か黄金の鯉の話かどちらがオゲレツなのか二択になったぞ?ウヒャウヒャ…ひっく!」
「さあ、さあ、ヒクッ!どちらだ?どちらだ?ひっく!」
「ーー…っ!」
三人の男達の手が怯えるオメガの男に伸びた時、背後から淡々としたイヤッカルーの声が響いた。
「何故二択だ。俺の話が終わってねえぞ」
皆はもう気もそぞろだった。本当は話などもうどうでも良かった。目の前に唆る香りを醸すオメガがいる。だが餌を目の前にぶら下げられながらもまだ僅かに残っていた一欠片の体裁のために踏みとどまった。取り敢えず皆居住まいを正すフリをした。
「早く話せ!コレでつまらん話だったら…ヒック!ええい何だというのだ鬱陶しいしゃっくりめ!ヒクッ!ヒクッ!」
「宜しい」と勿体ぶった物言いでキセルに詰まった煙草の灰を火に焚べてからイヤッカルーは徐に話し始めた。
「そう。コレはオゲレツで下らなくて何より笑える話だ。
ある月の美しい夜、エナ砂漠の真ん中で偶然出会った五人の商人達が焚き火を囲んでいた。
四人のアルファと若くて美しい一人のオメガ。皆オメガの気を引くために珍しい茶を勧めたり珍しい菓子を勧めたりと、姑息なことをやり始めるが、一人の男は勧めるようなものがない。
そこで一人一人、各地の珍しい猥談を語る事になり…」
「ちょっと待て!その話は今の我らの話ではないのか?!ゴホッゴホッ!」
アンクが真っ先にそれに気づいて文句を言ったが、今度はしゃっくりの代わりに激しく咳き込んだ。すると次々と男達が咳き込み始め、ついには激しく嘔吐し始めた。
「こ、こ、これは何とした事だ!…ぐぇほっ!!ガハッ!!」
「ぐおぉうっ!!ゲハっ…!カハッ!!おげえぇ〜!!コレは…こ、これは!」
ーーー毒?!ーーー
皆の視線が一斉に、酒瓶とイヤッカルーに注がれた。そこには悪魔のような笑みを湛えたイヤッカルーの顔が炎の揺らぎの中に禍々しく浮かび上がっていた。
「お、お前は……やはり…盗賊っ!んぐぐおぉぉ〜っ!」
「ふふっ!アハハハハ!今頃気づいても遅いわ!コイツはそんなに美味かったか?たっぷり呑んでくれたからなあ。
ククっ!そうよ、この話はオゲレツで下衆で大間抜けなお前らの話さ!」
そう言うが早いかイヤッカルーの半月刀が炎の向こうで、恐怖に怯える三人の男達の首をひと薙ぎにた。すると血飛沫を上げて呆気なく三人のアルファ共は絶命してしまった。
辺りは静寂に包まれた。高く済んだ夜空には煌々とした真っ白な月が、何も知らぬ顔をして浮かんでいた。
イヤッカルーはゆっくりと男達の死体を弄り金品を懐に入れていく。運んでいた品々も恐らくは彼が荷馬車に乗せて何食わぬ顔で持ち去っていくに違いない。
そんな恐ろしい現場の中で、たった一人無傷のオメガが膝を抱えて佇んでいた。
「お前は賢いな。あの酒を呑むなと言う俺の合図が分かったんだな」
金品を探りながらイヤッカルーはオメガの男に話しかけた。
「何故、僕だけ助けてくれたのですか…」
イヤッカルーはオメガの男に振り向くと笑みを深くした。
「俺も下衆で下品な馬鹿だからさ。なあお前、一発やらせろ」
三人の血まみれの死体の側でぬけぬけとそう言うとイヤッカルーがオメガの男に手を伸ばし口付けた。
オメガの男は抵抗もせず、寧ろ嬉しげにそれを受け入れると、二つの影はゆっくりと重なり合って大地に沈んだ。
「………貴方、本当に下劣な人…あ…ン…」
二人がまぐわうのを骸と化した三人の瞳が虚ろにじっと見ていた。その目は恨めしそうでもあり、口惜しそうでもあった。
一頻り戯れ、疲れ果てた頃。イヤッカルーの隣でムクリとオメガの男が起き上がった。弱くなった焚き火の中に薪を放ると、舞い上がる火の粉の中でオメガの男は乱れた髪を結い上げた。
「美しい背中をしているな…お前は俺が見てきたどんなオメガよりも美しい」
イヤッカルーが起きた事に気がついて優美な肩越しに静かにオメガが微笑んだ。イヤッカルーがその背に手を伸ばそうとしてその異変に気がついた。
「…!?………おかしい、体が動かねえ…っ」
イヤッカルーは寝そべったまま指一本すら動かせずにいた。
その傍らで身繕いを整える衣ずれの音。
辛うじて動く首を動かすと、オメガの男がイヤッカルーの散らばる衣服から、三人の男達から奪った金品を己の袋に入れているのが見えた。
そしてイヤッカルーも今になって初めて気がついたのだ。
「お前…!
「ようやくお気づきですか?か弱いオメガ一人、何の準備もせずに旅ができるほど甘い世界ではありませんよ」
「どうやったのだ!どうやって俺に毒を…っ!」
「肌ですよ、そうやって貴方達は舐めるのがお好きでしょ?大丈夫、僕は貴方ほど悪人ではありませんから、命までは奪おうとは思いません」
そう、オメガ特有の残り香だと皆が思っていたものは、この毒の香りだったのだ。裸で仰向けになったままのイヤッカルーを尻目にオメガの男は己の荷車に戦利品をどんどん積んでいく。
最後にイヤッカルーの傍に立ち、思案げに腕を組んで見下ろした。
「…何だ、気が変わってやっぱり俺を殺すのか?」
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