エナ砂漠の一夜⑴

この大陸は実に37,300,000 km²と言う途方もなく広大なものだった。北は極寒のツンドラ地帯。南は熱帯の密林地帯が広がり、未開の土地も多く中央には広大な灼熱のエナ砂漠が広がっていた。

一方、東西には大陸を横断するエズラ大運河が滔々と流れ、幾つもの支流に分かれ、さらにその支流の岸辺には数多あまたの集落や大小様々な国家が栄枯盛衰を繰り返していた。

そんな世界で人々は横行跋扈を繰り返し、悲喜交々を内包しながら逞しくこの悠久の大地を生きていた。

たくさんの王家があると言うことは、その数だけ仕える者達がおり、兵士がいて僧侶がいる。

その中には一攫千金を狙う者、賞金稼ぎ、金貸に盗賊。はたまた殊勝に農業や狩に精を出す者や漁を生業にする者、稀には闇夜に紛れて暮らす者。そう言う日々に塗れながら人々は出会いと別れを繰り返えすのだ。

これはそんな世界での、ありふれた一夜のありふれた出来事だ。



砂漠を行く隊商は灼熱の昼間を避けて夜行動するのが常である。旅の道すがら見知らぬ者同士で焚き火を囲むのは日常茶飯事の心休まる光景だ。

この日エナ砂漠のど真中、赤い巨石が二つ折り重なる窪地にて、偶然居合わせたのは四人の男達だった。

それは三人のアルファの男と一人の若く美しいオメガの男。


済んだ空には満天の星。四人が車座になって囲む焚き火からはパチパチとオレンジ色の火の粉が爆ぜて舞い上がり、紺色の夜空を美しく焦がしていた。

三人の男達は、この若いオメガに気もそぞろだった。何せオメガは滅多にお目にかかれぬ希少種であり、発情期でなくともアルファを惹きつけてやまぬフェロモンの残り香が微かに彼を取り巻いていたからだ。

それ故に旅のオメガは武術に長けた者も多く、うっかり手を出して痛い目に遭う事も良くある話なのだ。

この夜の三人のアルファも恐らく思いは同じだったろう。

目の前の、この美しいオメガをどうにかできないものか。

ニヤけた顔で忙しなくハンカチで汗を拭き、鼻を膨らませ、三人のアルファ達は皆それぞれに水面下で牽制し合っていた。



まず口火を斬ったのはでっぷりと腹を揺らした中年男のアンクだった。

アンクはこの辺りにしか咲かない黒菊のお茶を大陸の最南端に届けに行くと言う。

さっきからしきりにオメガの男に自慢の黒菊茶を勧めていた。


「さあさあ、これも何かのご縁、朝露と共に乙女の白指で摘んだ黒菊のお茶は格別なもの。遠慮せずに飲みなされ」

「そんな素晴らしいお茶を宜しいのですか?」


オメガの男は遠慮がちにアンクに黙礼すると、勧められた茶を手に取って口元を覆っていた布を外した。少女の様な薔薇色の唇と白い頬。その美しさに皆ますます色めきたった。


「香高いお茶ですね」


二口啜ると茶に濡れた唇をオメガの男は指先で小さく拭う。その仕草だけで三人のアルファからため息が漏れた。

すかさず耳の尖った痩せた男、ポントが金の菓子鉢に盛られた白い焼き菓子をオメガの男に差し出した。


「これも如何ですか?私は僧院の小間使いでしてな、サンの寺院で七人の僧侶がその日一度だけ火入れをする窯で、神の吐息を含ませて焼いた焼き菓子ですぞ。一枚食すれば寿命が三年伸びると言われておりますよ、どうぞお茶と一緒に召し上がれ」

「これは霊験あらたかな…、こんな貴重なものを頂いても宜しいのですか?」

「勿論です!遠慮は無用ですよ」


では頂きますと言って、細く長い美しい指がその満月の様な焼き菓子を摘み上げ、そそとして柔らかい唇に持っていくと崩れる様に口の中へと消えていく。


「美味しいです!口に含んだら消えてしました」


顔を綻ばせながら、オメガの男は唇についた粉糖を赤い舌先でチロと舐めた。

三人のアルファ達には真に扇情的な光景だった事だろう。

思えばこの辺りから既に事は始まっていたのかも知れない。



三人目のアルファの男タンダは面白くなかった。

振る舞える様な大層な茶も、あらたかな焼き菓子も彼には無かった。これでは二人のアルファどもに遅れをとってしまうでは無いか!なんとかオメガの気を引きたいタンダは、考えた挙句やっと一つだけ自慢出来るものがあることに気がついた。


「そうだ!長い夜の慰めにワシが珍しい話を語りましょう!宝石商を生業としていましてな、色々な国で仕入れた話を披露しましょう!如何ですか?」


赤ら顔をますます染めながらタンダが眉を上下させた。




「それは面白いな!」


赤い岩に響き渡る声がした。無論声の主はオメガの男に有らず。皆一様に声の主を探して辺りを見渡した。


「皆さん、ちょいとお邪魔しても良いかい?俺も火に当たらせてくれねえか?今夜は随分と冷えていけねえ」


声は赤い岩と岩の裂け目から聞こえた。見れば白黒のターバンを巻いた背の高い男が岩に凭れるように立っていた。

盗賊の様な身なりに皆一様に身を固くした。


「あー、俺はイヤッカルー。盗賊じゃねえから安心しなよ。シクルの酒があるのだがが、こいつで一夜のお仲間に入れさせてもらうってのは?」


イヤッカルーは脇に抱えていた酒甕をここに集うもの達に見せびらかした。

一同、ゴクリと喉を鳴らしていたが、誰も何も答えなかった。

彼はここに居る誰よりも見たくれの良い若い男だった。浅黒い肌は南方生まれの証だ。金の耳飾りや腕輪、豪華な首輪がその肌によく映えていた。


「それとも皆さんお嫌かい?アルファの男が増えるとまずいのかな?」


皆が押し黙っていた理由が図星だったのは言うまでも無いが、そんな中でオメガの男が初めて自ら口を開いた。


「どうぞ、旅の仲間は多い方が楽しいですから」


その男に柔和な微笑みを向けたオメガに皆一様に驚いた顔を見合わせた。ここに居る誰一人、オメガの男からそんな微笑みを向けられたことがない。

それは敵同士だった三人が、味方同士になった瞬間でもあったのだった。


「そうだ、こうしないか?俺も珍しい話ならあるぞ?この際一人づつ珍しい話を披露していくと言うのは…。そうだ、ただ珍しい話では珍しくも無いな。

うんとオゲレツで尚且つ珍しい話はどうだ?」


イヤッカルーはそう提案しながらオメガの男の隣へと、ぬけぬけと座り、視線を合わせて微笑んだ。

オメガの目元が少し染まったのを誰しも見逃さなかった。


「い、良いでしょう!この際誰の話が一番面白かったか、彼に決めてもらおうじゃありませんか!」


言い出しっぺの意地なのか、タンダがオメガを引き合いに出して皆を更に焚きつけた。

このハンサムなアルファの登場で、皆何かの箍が外れていくのを少しづつ感じていたが、炎上するのが目に見える展開になっても誰もこの提案から手を引かなかった。

自分を巡ってアルファの男達の静かで激しいバトルが始まろうとしていることを、この若く美しいオメガは気づいているや否や。


「さあ、どなたから話をするのかな?楽しい夜の始まりだな!」


そう手を叩くイヤッカルーの声が岩場に木霊し、愛想よく取り繕った顔の四人のアルファの男達と、取りすました一人のオメガの白い顔が、燃える炎の揺らぎの向こうで不穏に揺れていた。


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