記憶の難値

結絆光

キオクノカタチ

「君に、会えてよかった…」


微かに感じる体温。互いの鼻先が触れあう。時間が止まればいいのに。ふいに、そんなことが頭をよぎる。


―時間なんてものに価値は無い。早く過ぎていけば良い―


何事においても、そんな風に考えていた僕も彼女といるとキザなことを考えてしまう。彼女は、とても美しい。だが、何処か儚く消えてしまいそうな雰囲気を醸している。突然、目の前が光で覆われた。意識が遠退く。薄れゆく意識の中、彼女に伝えなければならないことがある気がした。


「僕は、君に伝えたいことが…」








「あぁ…」


またあの夢を見ていた。口から情けない声が漏れてくる。ベッドの上の鉛の如く重たい体を起こす。そして、洗顔、歯磨き、シャワーを順番通りこなす。これが僕のモーニングルーティーンだ。


「何度目の春だろうか。」


椅子に座り、目を閉じる。


世間一般では、春と聞くと明るいイメージを持つことが多いらしい。僕だって、3年前までは同じだった。桜が咲き乱れ、気温も次第に上がり、希望を抱く。


だが、今の僕は違う。明るい気配は何も感じず、思い出すのは彼女のことばかり。


「もう3年も経ったんだな。何してんだろ、自分。」


そう。僕は、かつて永遠を共に誓った、最愛の人を病気でなくしていた。しかし、それももう3年前のこと。僕は、彼女を蝕んでいた病を研究するため、背水の陣で勉強をし、現役で医学部に合格した。だが、そこで完全に燃え尽きてしまった。勉強という拠り所をなくした僕に残ったものは、彼女をなくした悲しみだった。そして、大学に合格したはよいが、まともに通うことはなく、バイトに明け暮れる生活を送っていた。そのせいか、やたらと貯金はあった。だからといって、とくになにもないのだが。


そして今日も、バイトに行こうと玄関に手をかけた。


「携帯に鍵、スマホっと。」


忘れ物を確認して家を出ようとしたとき、郵便受けに一枚の紙が投げ込まれていることに気づいた。


「新聞も取ってないうちに何の用だろう。」


郵便受けに物が投函されているのを見たのは実に半年ぶりだ。それはいいとして、紙の内容を確認してみる。すると、そこには、






『大切な人をなくしてはないか。もし、もう一度会いたいと願うのであればその気持ちをさらに高めよ。そして汝の気持ちを私に届けよ。汝の気持ちに変化が訪れた時再び私は訪れるであろう。楽しみにしているよ。』






と書かれていた。そして右下に小さく、






『何事にも代償は伴う、ということを忘れないように』






という、言葉が添えられていた。僕は、バイトなんか忘れてその紙に釘付けになっていた。


「なんだこれ、だれが書いたんだよ、いかにも嘘くさいな。しかも、わけわからん注意書きみたいのあるし。」


冷静に戻った僕は、その紙を破ろうとした。その時、






―私は…君に会いたい―






どこかで、そんな声が聞こえた気がした。その瞬間、僕の気持ちは一つのものに絞られた。


「何処のだれが書いたかもわからなくて、正直疑いしかねぇよ。だけど、だけど…もう一度彼女に会えるなら、どんなことでもしてやんよ!いくらでも思い募らせてやるよぉ!代償やらなんやらばっちこいだ!」


この時、僕は根拠も何もないけれど、本当に彼女と再び出会える気がした。そして、遥か遠いどこかで、僕の、彼女を取り戻す長い長い旅路の幕が上がった気がした。








「さあ、これからなにをしよう!」


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