ひな祭りの新習慣
江戸時代の中期、喧嘩の絶えない夫婦がおりました。
夫の松吉は腕のいい大工だったので、裕福ではありませんが不足なく暮らしています。
妻のお竹は、商家の娘で、松吉のおおざっぱな行動が気に入りません。
その夫婦には9歳の可愛い娘、小梅がおりました。
ひな祭りの時期になり、この家族も小さいながら、ひな人形を飾っています。
ある日、いつものように夫婦喧嘩が始まりました。
「お前は、いつもそうだ。細かすぎる。」と松吉が言うと
「あんたが、おおざっぱすぎなんだよ」とお竹が応酬します。
でも、この日は少し違いました。
小梅が無理やり、松吉とお竹の間に入り、こう言いました。
「ひな祭りの時期ぐらい、私をお祝いする気持ちがあるのなら、喧嘩はやめて!」
二人は小梅のことが可愛くてたまらないので、喧嘩を止めます。
小梅が言いました。
「今、江戸では、夫婦同士で、お手紙をひな人形の下に置いて交換することが流行ってるらしいよ」
「へぇ、粋だねぇ」二人とも、江戸っ子。流行りと聞いたら、やりたくなります。
「だから、お父ちゃん、お母ちゃんも、お互いに言いたいことを手紙に書いて、ひな人形で手紙交換したら」
「よし、書いてみるか」
二人とも、闘志むき出しで答えました。きっと、ひどいことを書くつもりなのでしょう。
でも、このひな人形による手紙交換のお話は、小梅が両親に喧嘩を止めてほしくて、とっさに考えた作り話でした。
小梅には、作戦がありました。
実は、松吉は字を読んだり、書いたりできません。そのことを、お竹は知りません。
いつもこっそりと、小梅に読んでもらったり、代筆をお願いしたりしてました。松吉と小梅の二人だけの秘密です。
今回も、お竹が書いた手紙を持って、松吉は、小梅のところに来るはずです。
やはり、松吉はお竹が出かけている間に、お竹が書いた手紙を持って、小梅のところにやってきました。
「小梅よ~。今回もたのむぜ」
「あいよ、おとうちゃん」
「早速だが、お竹の手紙には、なんて書いてあるんだい」
小梅は、お竹が書いたひどく罵倒した手紙を読まず、こう言いました。
「こう書いてあるよ
『おまえさん、普段、細かいことばかり言って、ごめんなさい。顔を合わせちゃうと、ついつい、きついことを言ってしまうが、これからは気をつけるようにするよ。』
だってさ」
松吉は拍子抜けしたような顔をして、
「なんだい。あいつも可愛いところ、あるじゃねぇか」
「では、お父ちゃんの手紙には、こう書いてくれ」
『お竹の手紙読みました。おめぇが、そう言うなら、勘弁してやるぜ。これからは気をつけな』
こりない、おやじである。
小梅は、それを聞いて手紙には、こう書いた。
『俺がおおざっぱなために、おめぇには苦労かけてすまねぇ。これからは、気をつけるようにするよ。どうか許してくれ。』
「おとうちゃん、書いたよ。どうぞ」
「お、いつもすまねぇな。ありがとうよっ」
松吉は明るい顔で、ひな人形のほうへ手紙を置きに行きました。
次の日、松吉とお竹が、なにやら楽しそうに話しています。
小梅の作戦がうまくいったようです。
「いままで、言いすぎだったかもな。俺も気をつけるよ」
「わたしのほうも、ガミガミ言い過ぎだったかもしれないね。気をつけるよ」
今年のひな祭りは楽しく過ごすことができました。
話は、小梅が喧嘩の間に割って入ったところに戻ります。
「ひな祭りの時期ぐらい、私をお祝いする気持ちがあるのなら、喧嘩はやめて!」
それを聞いた、松吉とお竹は「しまった」と反省しました。
お互いの顔を見ると相手も同様のようです。
松吉とお竹は、お互いの顔を見て察しました。よく喧嘩はしてても、やはり夫婦です。
小梅が居ない隙に松吉とお竹は話をしました。
「小梅に申し訳ないことをしてしまった」
「ひな祭り、楽しみにしていたもんね」
「よし、一時休戦としようじゃねぇか」
「あいよ」
「ところで、ひな人形の手紙交換って、聞いたことあるか」
「ないねぇ。きっと、私たちのけんかを止めるために小梅が考えたんだよ」
さすが、母親である。
「では、その話、のっかってやろうじゃねぇか。おめぇは、俺に対して、ひどい手紙を書いてくれ」
「え?それじゃ、せっかく仲直りさせようとした小梅がかわいそうじゃないか」
そこで、松吉は小梅に文字が読み書きできないと嘘をついていることを告白した。
「小梅がひらがなを習い始めたころなんだけどよ。あるとき、小梅が看板を読んでくれたんだ。『お父ちゃん、文字が読めないから助かったよ』って言ったら、小梅が『だったら、これからも私が代わりに読んであげるね』って、うれしそうに言うもんだから、つい本当のことを言いそびれちゃって」
「ばかだねぇ」お竹は、とてもやさしい顔で言った。
「それで、小梅は手習いが好きになったんだね。あんたにしちゃ、ずいぶん、気が利いたことをやったじゃないの」小梅は近所で秀才と言われていた。
「『あんたにしちゃ』は余計だろ」そう言いながらも松吉も笑っていた。
「そこでだ。たぶん、小梅は俺が代読と代筆をお願いに来ると思っているはず。そして、そのときに小梅は、お竹の手紙の内容をうまいこと変えようとするだろう」
「だから、その小梅のたくらみにのってあげるってわけね」
「そうだ」
さすが、秀才の両親である。
そうして、順調に事が運び、和やかな、ひな祭りが過ごせたのである。
この一件があってからというもの、お竹も松吉のことを見直し、松吉もお竹の寛容さに惚れ直し、実際の夫婦仲も戻ったのであった。
1年後、小梅がひな人形を飾ろうと準備しているとひな人形と一緒に手紙が出てきた。
「小梅へ。お父ちゃんです。実はこの通り、お父ちゃんは文字が書けるし、読むことも出来ます。小梅が、おとうちゃんの代わりに文字を読むことを、あまりにも喜ぶから、これまで言い出せずにいました。これまで嘘をついて、すまなかった。」
小梅は、お父ちゃんのやさしさが伝わり、にっこりしました。
それからというもの、この一家では、毎年、ひな人形の下に家族あての手紙を書いて告白する習慣になったとさ。
おしまい
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