第5話 good boy,bad girl 4

 わたしと塩地は、事務所の一角に作られた応接スペースに通された。事務机が三つが寄せ合って置かれてる奥が衝立で仕切られている。ソファに白いカバーがかけられてあって、なんだかうんと昔の小学校の校長室を思わせる。木造校舎をリフォームしたのかな。たしかここには以前小学校があったはずだし。

 二人掛けのソファと、一人用二脚がテーブルを挟んで置かれている。わたしは案内されて一人用の方に腰を下ろし、塩地は護衛よろしくわたしの後ろに立った。二人掛けには男性と、もうひとり髪をアップにした高齢の女性が座った。

 最初にわたしに声をかけたエプロンの女性がお茶を運んできて、わたしの前に置いた。それから男性と女性の前に。お盆の上にはもうひとつの茶碗が乗っているが女性は塩地を戸惑いの目で見た。

「アンドロイドに茶は必要ない、下げて」

 そう言ったのは男性で、わたしではない。思わず眉間にしわがよる。が、この程度で気分を害していては何も聞けまい。女性は盆を脇に抱えて二人のソファの後ろに控えた。たたずまいに品がある。女性は目鼻立ちが整っていた。若い頃はさぞ美しかったろう。今は六十代半ばといったところか。

「ああ、紹介が遅れました。わたしが【輝き野農園】代表の、水垣みずがきと申します」

 七十前後だろうか。オールバックにした髪は白いが豊かだ。ダンディといえばダンディ。人あたりのよさそうな柔和な顔つき。水垣代表はスタンドカラーの作業着を身につけている。

「副代表の森下です」

 と、髪をアップにした女性が頭をさげる。襟のあるブラウス、やはり作業着は水色だ。エプロンは付けていないが。基本みなパンツスタイルだ。

「それで、誰をお探しでしょうか」

「昨日、三十代くらいの女性がうちの診療所に来たのですが、話が終わらないうちに帰ってしまってね。こちらにお住いの方ではないかと思い、勝手ながらお邪魔したという次第です」

 言い終わってから、お茶を飲んだ。想像したより、ずっといい香りだ。味も苦みが爽やかに感じられる。

 思わず手を止め茶碗の中を見つめるわたしに気づいたのか、代表の隣に座った副代表が微笑んで話しかけて来た。

「そのお茶は、今年の一番茶。うちの農園で作ったものなんですよ」

「そうでしたか。こちらの農園の果物のことなどはよく耳にしています。甘くて美味しいという評判を。お茶まで作っていたんですね」

 森下副代表は皺だらけの手を顔の前で合わせると、大きくうなずき更に続けた。

「ええ、量はあまり多くはないのですがお茶も生産していますのよ。食品以外にも石鹸なども……」

「話を戻しましょう。先生の診療所を尋ねた女性がなぜうちの関係者だと思われたのですか」

 ほお、と感心していたわたしを無視して、水垣代表が横から口を挟んだ。

「見失いましたが、トラックで帰ったようだと塩地が申しましてね」

 茶碗を茶托に戻して、わたしは二人の表情をちらりと見た。もう最初のときのような動揺は見られない。

「三区のあたりでトラックのあるところとは、こちらくらいしか思い当たらなくて」

 水垣代表は、ふむと言って腕組みをすると首を傾げた。

「ところで、なぜわざわざ探す必要があるのですか。何か重大な病気でも見つかったとか」

 さて、とわたしはソファに深く座りなおした。妊娠のことを告げるかどうか。しかしながら、最初に産婦人科医と言ってしまったわけだし。すうっと息を吸い、背筋を伸ばしてわたしは言った。

「その方は、妊娠していました」

 はっと、息を飲んだのは代表と副代表で、給仕の女性は鋭いまなざしのまま唇を引き結んだ。

 反応が微妙に違う。

「素晴らしい、なんてグッドニュースだ。つぐみのことでしょう、つぐみを呼んできてください。火村ひむら

 代表は破顔して、後ろに立つ女性へ声をかけた。

「つぐみは体調不良で休んでいますので、連れてくるのは無理です」

 お盆を横に携えた火村と呼ばれた女性は、わたしたちに視線を向けたままで答えた。

「つぐみさんとおっしゃるのですね。彼女には聞きたいことがあります。出産するのかしないのか」

「何をおっしゃるのですか、生むに決まっているでしょう」

 代表が、まるで当然というように膝に手を乗せて身を乗り出して来た。

「父親のわたしが決めますよ、生むと」

「はぁっ!?」

 思わず声をあげたわたしの肩に塩地が手を乗せる。

「わたしは、つぐみさんから聞きたいのよ。あんたが生むわけじゃないでしょうが」

 代表が瞬間、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。しかし見る間に顔が赤くなってきた。照れたわけじゃなさそうだ。

「生むに決まっている。女性が母になる事ほど、素晴らしいことはない。先生、失礼ですが出産のご経験はおありですか」

「ほんとに失礼ね、ありませんが何か?」

 わたしはソファの背に体をあずけて足を組み、ひじ掛けに腕をかけた。

「産婦人科医なのに本末転倒では?」

「男の産婦人科医だって生まないわ」

 火村と森下が吹き出した。水垣代表は二人を睨むとさらに顔を赤くした。

「こんな世の中じゃなかったら、わたしだって言うわよ【おめでたです】ってね。でも、あと三年で終わるって時には言えない。決めるのは、生む本人だ」

「わかっていませんね、あなたは。こんな世の中だからこそ生まれてくる子は、神の使いに違いないのだ」

 こんどこそ、わたしは絶句した。若い娘を妊娠させて、何言ってんだこの男は。

「とにかく、つぐみさんとやらに会わせてちょうだい。彼女の体調が心配だわ」

「無理です」

 火村女史がまた目つきをきつくして、答える。

「診察のことなら、心配ご無用。うちにも専属の医師が住み込みでおりますから小鷹先生はお引き取りください」

「専属の医者がいるのに、なんでわざわざうちまで来たのよ」

 思わず勢いよく立ち上がると、眩暈がした。

「マスター、血圧が上昇しています」

 塩地がわたしの体を支えた。ふん、と水垣代表が蔑むような視線でわたしたちを見る。

「あなたこそ、家に戻って休まれては。農園には機械人形はいない。みな血の通った人間だけで運営されている」

 塩地がわたしを抱き上げた。森下副代表と火村女史が目を見張る。

「子どもを生まず、その人形がパートナーですか。汚らわしい」

 口元をゆがめて吐き出した水垣の言葉に、わたしのこめかみが脈打つ。

「塩地は家族よ、わたしの」

「マスター、落ち着いて」

 水垣は探るような眼でわたしたちを見ると、右手をすっと挙げた。合図を読み取ったのか火村女史が動いた。

「お帰り下さい、玄関までお送りいたします」

 火村が扉を開けて、わたしたちを促した。まだ言ってやりたいことがあるのに、塩地は女史に従った。

「さようなら、小鷹先生」

 水垣がひらひらと手を振って見せた。森下は考え込むように背中を丸めている。わたしは悔しさに塩地の胸を叩いた。

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