第6話 good boy,bad girl 5
「あのくそジジイっ」
腹立つ! わたしはサイドカーのシートで地団駄を踏んだ。農園からの帰り道、すでに日は高く上がり緑の匂いが濃くなっている。
「マスター、落ち着いて。血圧の上昇を止めましょう。それから、暴れないでください。バランスが崩れます」
塩地から注意されても、腹の虫がおさまらない。出産経験がないのが何よ。彗星衝突の発表以来、生んだことがない人が大半じゃないか。
「腹立つ、くそジジイ」
「水垣代表は、マスターよりもジジイではないと思いますが」
もっともだけれど、重要なのはそこのとこじゃない。
「塩地、区役所に寄るよ。土井から何か情報引き出してこよう」
知り合いは、こういうときのためにいるのだ。塩地は素直に区役所へと進路を取った。
区役所は駅の近くだ。自家用車など持たない社会。バスや電車でやってきたら、市場やクーポン交換所など、なるべく近くで済ませられるようにしてある。自由市場の賑わいは続いているし、電車も本数は少ないが動いいている。駅の周辺は人波が続く。むろん、年寄りばかりだが。
そうこういう間に区役所へ到着した。昔は白かったコンクリートが黄色くなっている。壁面は雨だれのあとが幾筋もついていて、一部に蔦が貼りついている。
「文明って、維持力だってつくづく思うわ」
塩地が区役所のガラス扉を押し開ける。すぐに受付カウンターがあって、女性型アンドロイドが昔ながらの紺の制服で身を包み、微笑む。
「いらっしゃいませ、ご用件をうかがいます」
まどろっこしいやり取りにうんざりする。区役所とはいえ、従事しているのはほんどがアンドロイドで、人間はわずかしかいない。
「土井安正(ドイヤスマサ)を呼んで。小鷹あさひが来たからって」
「承りました」
キンっとハウリングの音が耳に突き刺さる。
「土井主任、小鷹さまが受付でお待ちです」
栗毛色のセミロングのアンドロイドは優雅にアナウンスをした。アナウンスが終わらないうちに土井が通路の向こうから、ゆらゆらとやって来た。
「小鷹先生おひさしぶりです。塩地、髪型変えたんだー、似合うよぉ」
細長い体でステップをふむようにして現れると、鷹揚な話しぶりで手を振った。いつまでも学生みたいに前髪を長くして、丸い眼鏡をかけている土井は年齢不詳に見える。
「土井さまも、すっかり大きくなられて」
「塩地、僕は来年四十になるよぉ。いつまでもこども扱いしないで」
塩地の返答に土井は照れくさそうに頭をかいた。そんなふうにすると白髪が見え始めた土井に、幼い頃の面影がのぞく。が、思い出に浸るは暇はない。
「ちょっと、農園のことを教えて」
単刀直入に言うと、土井は困ったように眉を八の字にした。周りには数人の客が一瞬わたしたちを振り返ってみた。
「ちょっとこちらへ」
土井は受付嬢にお茶を頼むと、わたしたちをカウンターの内側へ案内した。
机が何個も並んでいるが、今はそのほとんどが使われていない。職員はわずかだから、来客には受付に座ったアンドロイドが対応している。あとは人工知能が何かと面倒ごとを解決してくれるのだ。
オフィスの一角に壁で仕切られた部屋に案内された。土井がドアを開けると、机とパイプ椅子があった。高校の進路相談室みたいだな。いい思い出はない。
「農園のことって」
尋ねる土井に、わたしは昨日からさっきまでの経緯(いきさつ)を手短に説明した。土井は長めの前髪をゆらゆら揺らして話を聞いてくれた。
「……小鷹先生、行く順番がちがいますよぉ。先に区役所に来ればよかったのに」
「農園の住民一覧表でも見せてくれたっていうの」
「それは無理ですけど。個人情報だから」
これだからお役所は! わたしが足を組んでそっぽを向くと、受付嬢がお茶を運んできた。
「どうぞ」
にっこり微笑んだ受付嬢の両手には、一個ずつプラスチックのコップが握られていた。ぎょっとするわたしと土井の前に派手な音を立ててコップが置かれた。
「おわっ!」
お茶がコップから溢れて飛び散った。
「ありがとうねぇ」
土井がポケットから取り出したハンカチで机と眼鏡を拭いた。塩地は無言で首に巻いたタオルを外して、わたしの顔を拭った。ぬるい茶で助かったが服までびしょ濡れになった。
受付嬢は、にこっと笑うと退出した。
「ちょっと、ポンコツすぎない?」
「個性的でかわいいでしょう? ここでは十分ですよ。いろいろ手伝ってくれます」
土井はコップに半分ほどになったお茶をすすった。
農園で出されたお茶とは雲泥の差だが、こちらのが飲み慣れた味だ。
「輝き野農園の資料なら閲覧可能なものがありますから、持ってきますねぇ」
お茶を飲み干した土井は、中座した。
「こちらが施設名を正式に決めた時の申請書類と、施設の概要」
土井は、古いファイルをわたしの前に広げた。見えん、字が細かすぎる。わたしは塩地が差し出した老眼鏡をかけた。とたんに視界がすっきりする。
「……今から40年前? 作られたのって。そんなに前からあったんだ」
「意外でしょ。前身はさらにその前からみたいですよ。森下さん、今の副代表。あの方が数人の友人たちと農業を協同で始めたのが農園の起こりだって」
資料をめくる。農園の正確な住所、代表の名前は水垣になっている。わたしたちが通されたのは、やはり小学校をリフォームして造られた建物だった。あそこは事務室や医務室・食堂や集会室といった全体で使う建物で、他に寝起きする宿泊棟と農作業関連のガレージやプレハブなどもある。
農業生産グループとしての内容には、主な生産品が書かれてある。野菜や果実などの他に加工品として缶詰やジュースの品名もある。森下副代表が言っていたように、石鹸も品目の一つにあげられている。それから、基礎化粧品……といっても、ヘチマ水的なものとか。
「ここの果物、甘いんですよお」
「知ってる。有名だよね。わたしの口には入らないけど」
土井はひとつうなずいた。
「僕の口にも入りませんよ。じゃあ、誰の口に入るのでしょうか?」
おどけた口調で土井にクイズを出されて、わたしは眼鏡を外して眉のあたりにぎゅっと力を入れた。
「……中央の奴らの口に、か」
「生きるって難儀ですよねえ。生きているうちは、美味しいものが食べたいって欲がありますから」
世界は平等になったはずだ。けれど、かつての首都だったあたりにはいると聞く。特別な力を持つ連中が。
「トラックが入手できたのも、そいつらの力添えってことか」
「表向きは、生産品が大量だからってことになっていますけどね」
それから、と土井は別のファイルを開いた。
「個人名までは教えてさし上げられませんが、あそこに住んでいる人たちの年齢区分と構成人数くらいは教えられます」
わたしは再び眼鏡をかけて、書類に目を落とした。一覧は昨年のものだった。年齢区分と人数が一覧表になっている。農園の住人は八十五名。
八十代が三名、七十代と六十代に人数が集しているのはうなずける。発表以前に生まれた人たちだ。
「四十代と五十代で二十人以上いる!」
土井が困ったように笑ってうなずいた。三十代がゼロ、そして。
「……二十代女性、一名」
ちょっと老けて見えたけど、つぐみさんは、二十代? 呆然として顔をあげると、土井が数字を指さした。
「僕も役所に来てから知りました。農園に僕と同年代の人がたくさんいたこと。知らなかったんですよ、学校には農園の子は一人もいなかったんです」
それは、つまり。学校へ通わせていなかったと。
「農園には教職経験者も多数いて、勉強を教えていたと聞きました」
なんだか、いやな気持ちになっていく。
「水垣代表が、医者がいるって言ってた。医者がいれば出生届けも死亡届けも、園内で用意できる」
「なにかと便利ですよねえ」
土井は、空のコップをくるくると手の中で回した。
「前世紀なら、カルトとか言われてた類(たぐい)じゃないの」
口にしたくない言葉だ。
「以前なら、家族を取り返す運動とかありましたけどね」
貢ぐ財産も、取り返したいと叫ぶ家族もいない。しかも、中央の者たちと繋がりがある。
「こちらとしても、手が出せないんですよ」
土井がファイルを片付けた。
なんてこった。
「四十代の人たち、生まれるときに」
頭を抱えるわたしに土井が声をかけた。
「ものすごく叩かれたでしょう? 終わる世界で子どもを生みたいなんて無責任だって」
その批判は、ずっとある。うちの病院のガラスが、割られたのは一度や二度ではない。直接乗り込んでくる輩がいなかったのは、塩地の存在が大きかった。
「そのときに、妊婦を受け入れたのが農園なんですよ」
「な……ん」
「産院も、火の粉を浴びるのを嫌がって妊婦を断ったりしたから、行き場を求めて」
なんてことだ。同業者の及び腰がこんな未来を招いた。
「僕の母が何度も話しますよ。小鷹先生は、どんと構えていたって」
「昔からふてぶてしかったって?」
「感謝してるってことですよぉ」
にこっと笑うと、こどものときのままだ。思わず目頭が熱くなる。
「お代わりはいかがですか」
ばん、と予告なくドアが開いてポットを持った受付嬢が現れたかと思うと、プラコップにお茶をドバドバ注いだ。
「あああーっっ」
叫ぶわたしを塩地が抱えあげる。コップから溢れる茶からファイルを死守しつつ、土井は笑った。
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