第2話 good boy,bad girl 1

 きらめくライトと、けたたましい音楽。

 わたしは、へそを出して夜ごと踊りに行っていた。

 あのころは、毎日朝帰り。親に尻を叩かれて猛勉強して三浪した末に入学した医大は一年目にして留年確定。

 医者になんか、なりたくない。だからといって、他にやりたいこともない。

 こんな世界、滅んでしまえ!

 そんなふうに毒づいて。

 だから、世界が終わることになったのは、わたしのせいかも知れない。

 突然のアナウンスに、喧騒は断ち切られた。皆がぽかんとスクリーンを見つめた。

 回避不可能の彗星がぶつかり、地球が壊れると。

 かくて世界は滅びることになった。六十年の猶予をもって。


「いきなりな発表だったよな。先生はどこで聞いてた? おれは会社帰りの電車の中でさ」

 長沼のじいさんの声はでかい。多少遠くなった、わたしの耳にさえうるさく感じる。

「わたしは、クラブで聞いたなあ。いきなり警報みたいな音がして、スクリーンに首相の顔が映って。はい、背中向けて」

 助手の塩地が、いすに座ったじいさんの体をくるりと回す。座面の遠心力に、じいさんが傾ぐ。塩地の大きな手が、なんなく支える。

「ありがとよ。看護士さんは、変わらねえなあ。ここに通う間におれっちは、こんなシワシワになっちまったのに。おや、髪型は変わったねぇ」

「見あきたから変えたのよ。アンドロイドは年をとらないからね。でも、塩地は初期型に近いから、顔が野暮ったいまま」

 じいさんは、ふうんとだけ答えると、ここへ来ると毎回する昔話を続けた。

「あんときゃ、驚いたね。乗り合わせた全員の携帯が一斉に鳴ってな……」

 たしかに、そんな感じだったな。わたしは、じいさんの背中に聴診器を当ててうなずいた。塩地がデータを取って全部記録しているんだけど、患者からすれば昔ながらの診察をしないと納得しない。

「あれから、もう五十七年か。さて、彗星が衝突するのに間に合うか、間に合わんか」

 地球に衝突する彗星が見つかって、回避のために試みたことが一切無駄に終わったときに、世界の偉い人たちは下々(しもじも)へと知らせたわけだ。残り六十年ですよ、と。

「見たいような、見たくないような、ね」

 わたしはカルテに数値とかんたんなメモをして、長沼のじいさんの診察を終える。

「はい、次はまた半年後ね」

 近隣住民の定期的な健康診断のためだけに、わたしの診療所はあるといっていい。たまに本来の診療科目を受診しにくる患者さんがいないことはないけど、そちらは開店休業みたいなものだ。

「次は十二月かい。誕生日すぎだから、次に先生にあうときゃおれは八十歳だ。ま、生きていたらの話だけどな」

 はははと笑いながら、じいさんはシャツをはおった。

「そりゃ、わたしも同じことよ。お互い元気に過ごしましょうや」

 くたびれたエアコンがなんとか除湿しているけれど、外は梅雨の真っ最中で、なかなか湿気が抜けきらない。額にじんわりと汗が浮く。

 元気な方がいいのか悪いのか。残り三年。どちらが正解か、すでに分からなくなっている。

 長沼のじいさんは、伸ばした腰をとんとんと叩いて天井をみあげてから、診察室をあとにしていった。

「さてと、塩地。今日の予約はこれで終わりよね?」

 わたしは白衣の内ポケットから、煙草の箱を取り出して最後の一本つまんだ。

「いえ、まだ待合室にお一人いらしています」

 塩地がわたしから煙草を取り上げ、瞳を数回赤く点滅させた。アッシュグレーにツーブロックの髪型、塩地に似合っている。変えてよかった。

「見て来るか」

 わたしは受付側から、待合室をのぞいた。待合室の長椅子に、女性がうつむきかげんに座っていた。珍しい、ずいぶん若い。三十代くらいだろう。この辺では見かけたことがないけど。年寄りばかりだから、若い人は目立つから、近くに住んでいたなら覚えているはずだ。

「どうぞ」

 わたしの背後から、塩地が女性へ声をかけた。顔を上げた女性は瞬間、目を大きくして悲鳴をあげた。

 ああ、もう慣れたけどね。

「そっちからだと、婆(ばばあ)の生首にしか見えないだろうけどね、診察室へどうぞ。なんなら自己紹介する? ちっこいけど、わたしが医師の小鷹(こだか)あさひ、こっちのデカいのは看護師の塩地(しおぢ)。見たとおり男性型アンドロイド」

 彼女は無理やり笑おうとしたらしかったが、頬がひきつっていた。

「健康診断? 予約は入っていないようだけど。ここの区内の方かしら。ちよっとこちらまで来てくんない? 問診票を書いてもらいたいわ」

「マスター、そんなに矢継ぎ早に言わずに。それに、健康診断ではないようです。妊娠しています、あの方」

 塩地の瞳が青く瞬いているのを口を開けてみあげた。女性の顔色が変わった。

「……えーっ!?」

 うちの病院、小鷹医院。三代前から診療科目は、産婦人科。

 女性はハンカチで口を押さえた。まずい!

「塩地!」

 言われる前に塩地は膿盆をもって受付のカウンターを飛び越えた。

 間一髪。塩地は女性の背中をさすり、ソラマメ型の膿盆に吐き戻しさせた。

「妊娠って」

 わたしは額に手を当てた。


 ……世界は、あと三年で終わる。



「さて、どこから伺いましょうかねえ」

 一つだけある病室に寝かせた女性、かっこ妊婦かっことじにわたしは話しかけた。毛布を頭まで引き上げて、顔を隠している。

「おめでとうございます、妊娠四か月ですよ」

 塩地が微笑みをつくり、型通りの祝福した。わたしは腕組みしたまま、眉間にしわを寄せてため息をついた。

 さて、どうしたものか。

「そう、区民カードを見せてもらわなきゃ。妊婦なんて、何年ぶり? 前が拓海先生とこだったから……」

「二十八年前です、マスター」

 終わりが決まってから、出産はめっきりと減った。当たり前といえば当たり前だ。終わりが決まっているのに、子どもを持とうという決断は、なかなか出せない。

 わたしの病院でも、一時は堕胎ばかりしていた。気が滅入る仕事だったなあ。

 まあ、遠回しに聞いていても仕方ない。

「生みますか、堕(おろ)しますか」

 毛布の山が、動いた。しかし、いちど動いたきり静かになった。あまり刺激するのも、なんだ。

「返事はあとで構わないから。ちょっと休んで。なんなら、今夜泊まっていってもいいし。たいした食事は出せないけど」

 そう言い置いて、塩地と一緒に部屋を出た。

 薄暗い廊下へ出ると、閉めた扉のむこうから小さく嗚咽が聞こえた。

 ほんと、どうしたものか。廊下の突き当りの引き戸をあけて、外へ出た。蒸し暑い風が体を包み込む。今にも降り出しそうな空のもと、庭の紫陽花が赤や紫に色づいている。

「塩地、たばこ」

 後ろをついてきた塩地に、さっき取り上げたタバコの返還を求めた。

「一本だけですよ」

「一本しか、残ってねーわ」

「タバコの吸い過ぎは、健康を損ねます。長生きできません」

 塩地は毎回、このセリフを言う。うんざりしながら、タバコに火をつけて一口吸った。

「もうじゅうぶんに長生きしたわ。今年で七十八。向こうに行って両親にあったら、わたしのほうが婆(ばばあ)だ」

 おんぼろ産婦人科を引き継いで、何年たつだろう。無理やり医者にさせられて、留年が決まったらそのまま退学しようと思っていたのに、世の中がひっくり返った。


 世界は平等になったのです。

 そう、平等になった。あのころ、当たり前まえだった一人一台のモバイル通信機も、飛行機で海外へ行くことも、自家用車もなくなって、ついでに仕事の在り方も変わり、極めつけは通貨がなくなった。

 今は配給と、輪番への報酬・クーポン券で世の中は回っている。

「いちばんなくなったのは、希望ってやつだわ。わたしは身長もなくなったけど。縮みまくりだわ」

 ふう、と煙を吐く。こんなご時世でも、今も葉タバコを栽培して紙巻きたばこが作られていることが奇跡みたいなものよね……。

 それは、さておき。

 目をつぶれば、今もわたしは大教室の一番後ろで受講していたころを思い出せる。

 時代遅れのチョークでの板書、手についた粉を二三回の軽い拍手で払い落すいつもの仕種。


 ――では、みなさんに質問です。世界が終わるまで、あと残り数年となったときに妊婦が来院したなら、どうしますか?


 教授(せんせい)からの出題、まさに今なわけですね。

 気づくとタバコはフィルターぎりぎりまで吸い終わっていた。

「もう一本だけ、吸いたいわ」

「今月配給分は、吸い終わりました」

「ひどい。神はいないのか」

「ご不在のようです」

「まったくだ」

 にべもない塩地の返答に力なく答える。節々が痛む。雨になるんだろう。


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