第10話 愚かなロマンチスト
ブロウは再び〈クレイフィザ〉へ向かった。
メンテナンスに出すことで、〈リズ〉がロイドにすぎないことを改めて確認しようとしたのかもしれなかった。
そのときに応対をしたのが助手と店主の両方で、彼は説明を聞き、同意書にサインをして、〈リズ〉を預けた。
そして翌日、彼女を連れ帰り、違和感を覚えたのだ。
最初は気のせいだと思った。だが、確かに違った。
リズは窓の外を見なくなって、彼ばかり見ていた。
それは何だか、違うリンツェロイドのようで。
窓の外を――。
どこか憧れるような視線で窓の外を眺めていた彼女。
勘違い。思い込み。妄想。
だが好きだったのだ。ブロウは。遠くを見るような、あの目つきが。
たとえステファンに、〈クレイフィザ〉の店主に何を言われるとしても。
「一万」
店主を前に、彼は呟いた。
「払う」
彼は、告げた。
「どうか、リズの癖を返してくれ」
かちゃり、カップがソーサーに当たる音がした。
「どうして、一万だなんて意地悪を?」
「ん、何だって?」
書類を揃えながら、店主は顔を上げた。
「難しいことじゃないでしょう。僕、知っていますよ。マスターがアカシに、データを不法に保存させていることくらい」
「何だ、そうか」
店主は肩をすくめた。
「そう、確かに簡単なことだ。仕事内容から考えたら、手数料程度でいい」
「ですから、どうして」
繰り返し、トールは尋ねた。
「それはね」
店主はにっこりとした。
「近頃、不景気だから。取れるところから取っておこうと」
「マスター」
「はいはい、冗談だよ」
助手の厳しい声音に、彼は手を振った。
「もちろん、君の言った通り。メンテナンス中のバックアップは必要だが、所有者の許可がないままそのデータを保存することは違法だからだよ。普通にヴァージョンを落とそうとしたら一日仕事だし、そんなことをさせられるアカシの精神的苦痛は相当なものだろう?」
「本来ならば正当な要求という訳ですか」
「その通りだよ」
店主は笑った。
「それでも、高すぎると思いますけど」
「そう? じゃあ、五千に負けてあげようか」
何とも簡単に、店主は言った。
「……そんなんで、いいんですか」
「かまわないさ。私が欲しかったのは、彼の決意だから」
「決意」
トールは繰り返した。店主はうなずいた。
「私は好きなんだ。ああしてリンツェロイドにのめり込みながら、それを否定するタイプ。まるで恋に気づかない思春期の少年みたいじゃないか?」
「へえ」
トールは唇を歪めた。
「『少年』がお好きなんですか」
「ブロウ氏は男性なんだから、思春期は少年だっただろう」
店主はさらっと返した。
「ミズ・ブロウだったなら、少女と表現したろうね」
「はあ」
そうですかと助手は呟いた。
「一部のオーナーは、リンツェロイドに感情を見つけ出してしまう。人型ロボットへの恋」
店主は心臓の辺りに手を置いた。
「決して答えない、或いは必ず答える機械が相手。人と人型機械の悲恋物語は、かのドクター・リンツェが理論を作るはるか昔から、ごまんと作られてきた。機械が人の心を持ってハッピーエンド、というものも多いが」
そこで彼は手を振った。
「所詮、お話。フィクションだ。マシンはマシン。ロイド・クリエイターが『心の再現』を試みてみるのは一向にかまわないが、どんなに複雑怪奇に作ってみたところで、それは絶対に作り物。そうだろう、トール?」
「ええ」
助手はうなずいた。
「その通りだと、思います」
少しだけ沈黙が降りた。それを破って、店主は口を開いた。
「でも私は、そこを理解できない――それとも目をつぶろうとするロマンチストが好きだ。彼がこんなことに一万も払おうとする愚かなロマンチストだからこそ、リズの『癖』を返してやるのさ」
彼は同意書のシグネチャをちらりと眺めた。
「それに……」
「それに?」
トールは続きを促した。店主は目を閉じ、少しの間、黙っていた。
「アカシに一箇所、気をつけて見てもらいたい部分がある」
「どこです」
「リズが、名を呼ばれても顔を上げないことがあったというブロウ氏の証言。これは私のプログラムにバグがあったということかな? 彼の勘違い? それとも?」
それは問いかけか、はたまた自戒か、或いは。
今度はトールが黙った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます