第9話 どんなに美人でも

「最低でも三ヶ月に一回はメンテナンスに出した方がいい。買ったところで言われなかったか?」


「言われたような、気もするな……」


 〈クレイフィザ〉にはあれ以来、行っていなかった。〈リズ〉はどうですか、などと訊かれるのがうっとうしいように思って。


「そんなんじゃお前、ヴァージョンアップのことも知らないだろう」


「ヴァージョンアップだって?」


「やっぱり知らないか。ロイド新聞くらい読めよ」


「取ってないよ、そんなの」


「LJ-5.2が出たんだぜ。俺はすぐに申し込んで、〈キャロル〉を賢くした」


「賢く……」


「まあ、そんなに大幅に変わる訳でもないし、初期はバグも出やすい。俺みたいなマニア以外は急いでやらなくてもいいけどな」


 マニアを自称して、ステファンは笑った。


「何なら、メンテのついでにでも申し込んでくればいい。追加料金はかかるが」


「かかるのか」


 ブロウは顔をしかめた。


「金食い虫だな」


「大した金額じゃない」


「買っただけで済まないなんて思わなかったよ。餌代までかかるなんて」


「燃料電池のことか?」


 リンツェロイドは主に、車や重機、大型機械などと同じように、核融合エンジンで動く。メインエネルギーはそこで発生させる。その補助をするのが燃料電池だ。家庭用の電源で補充が可能であり、頻繁に買い換えるものでもないが、安くはない。


「それもだけど、水だよ」


 苦々しくブロウは言った。


「ああ、ステッパーか」


 ステファンは笑った。


 「ステッパー」と呼ばれるのは、リンツェロイドがエネルギー獲得のために行う電気分解用に特化された電解水のことである。大手メーカーが製造、販売もしているが、個人工房で調合をしている場合もあった。


 価格差はあるものの、どれもこれも有料であることは間違いない。


「下調べもしないで買うからだ」


 もっともな指摘に、ブロウは反論できなかった。


「だが、ステッパーじゃないと駄目だと言われたのか?」


 ステファンは尋ねた。


「いいや。でも、ステッパーじゃないと壊れやすいって書いてある配信記事を読んだ」


「そりゃ出鱈目だ。よく判ってない記者が書いたのさ」


 手を振って、友人は顔をしかめた。


「水なら水道水だってかまわない。効率は、ステッパーの方がいいけどな」


 ただし、と彼は続けた。


「中途半端な工房製品だと、専用電解水じゃなきゃ駄目だって場合もある。でもそういう場合は、絶対、厳重に注意をするはずだ。仕様書にも、でっかく書いてある」


 友人は大げさに手を広げた。


「〈リズ〉を作るような工房なら、きちんとしたところだろう。念のために仕様書を見てもいいが、注意として言われなかったんなら、ステッパーじゃなくてもただの水で充分のはずだ」


「そう、なのか」


「気になるなら、そこでステッパーも分けてもらえばいい。ロイド購入者には安くするのが普通だし、どんな調合がいちばんか、よく判ってるからな。メンテも、製造元に任せるのがいちばんいい。クレイ何とかに、ヴァージョンアップともども頼んだらどうだ」


「そう、だな」


 有難うと礼を言って、ブロウは通信を切ろうとした。


「ブロウ」


 その寸前、声がかかった。いつも底抜けに明るい感じのするステファンの声が不意に低められ、何事だろうかとブロウを訝らせた。


「ちょっと、いいか」


「何だ?」


「どんなに美人でも、ロイドはロイドだぜ?」


 やってきた台詞は、それだった。


「わ――判ってる、そんなこと」


 彼は平然と返したつもりだったが、少し引きつったかもしれなかった。


「そんなの、いつも俺の方が言うことじゃないか」


「そうなんだけどな。ちょっと気になったもんだから」


「何がだよ馬鹿。変なこと心配すんな。俺こそお前を心配すべきかもしれないのに」


 笑い顔を作って、彼は茶化した。マニアを自認するだけあって、ステファンは「生けるリンツェロイド辞典」みたいなところがある。口の悪い仲間は、彼のことを「ロイドに欲情するロイド・フェティシスト」だなどとも言った。


「俺はよく判ってるよ。工房で〈キャロル〉のメンテを見学したりするし」


 ステファンは渋面を作って言った。


「見学なんかしなくたって判ってる」


 ブロウは返した。


「一皮むけば、部品のオンパレードだろ。気味悪いよな」


 やはり笑って、ブロウはもう一度「じゃあな」と言うと今度こそ通信を切った。


 そう、きれいな外見の下にあるのは、配線や基板に核融合エンジン。


 もちろん、判っていた。


 だが、人間だって皮膚の下には血管や内臓を抱えて――。


「リズ」


 振り返れば、彼のリンツェロイドがそこで待機していた。


「き……聞いてたか、いまの」


 ロイドは何も言わない。もちろんだ。返事をする機能などリズにはついていない。


「あの……ご、ごめんな」


 気づけば、彼はそう言っていた。


 もちろん、リズは何も言わない。


「リ、リズ。俺は」


 そのとき気づいた。リズが彼を見ていない。名を呼んでいるのに、顔を上げない。


 彼はどきりとした。


 もしかしたらリズは傷ついたのではないか、と。


 そんなことは、あるはずがない。使用者の勘違い、思い込み、酷い妄想。


 どんなに美人でも、ロイドはロイド。


「リズ」


 ブロウはまた呼んでみた。リズは顔を上げた。そこに涙などは――もちろん、ない。


「……コーヒー、くれ」


 指示にこくんとうなずいて、美しきリンツェロイドは踵を返した。

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