第3話 お望みならば

 背後でトールが片眉を上げた。また意味の判らないことを言っているな、と思ったようだった。


「トール。何か飲み物を」


「はい、マスター」


 少年のような助手は、黒に近い茶色の髪を持つ頭を下げると、立ち聞きをやめて素直に従った。


「あ、いや、おかまいなく」


 ぼそぼそとブロウは言った。


「何だかすみません。変なことを言ってるとは、判ってるんだ。だいたい、きちんと説明を受けたのに」


 丁寧な口調になって、彼は謝罪した。店主は首を振る。


「これが余所の製品なら、同意書を提示してお帰りいただきますが、幸か不幸か〈リズ〉はうちの子ですからね」


 主人の言い方に彼はぎくっとした。主人はくすりと笑った。


「『リンツェロイドを人間と誤認させるべからず』。世の中にはを『うちの子』呼ばわりする技術者もいるのに、製作物がリンツェロイドだというだけで、とんでもない非常識者扱いです」


「俺は、そんなつもりじゃ」


 ブロウは取り繕った。


「いえいえ。お気になさらず」


 気楽そうに店主は手を振った。


「人と誤認させないようにするなら、リンツェロイドの外見を規制するべきだったとは思いませんか? あとは声も。それから、人間の名前を付けること」


 肩をすくめて、店主。


「もっとも政府も、ダイレクト社を敵に回したくないんでしょうね」


 リンツェロイド業界の先駆者にしていまでも最先端を行く大企業。技術を一般に公開したような太っ腹なところもあるが、それだけ自社品に自信を持っているということでもある。


 実際、どこもかしこもダイレクト社の後追いに必死だ。国、いや、世界が怒らせたくないと思っている人間のひとりが、ダイレクト社主ミルドレッド・ダイレクトだなどとも言われている。


「さて。肝心の〈リズ〉はお連れですか」


 やはりロイドを人間のように言いながら、店主は彼を見た。


「近くの、待合室に」


 買い物の荷物運びならともかく、レストランや喫茶店のように席のある店では、ロイド入店お断りというところも多い。席だけ取られてはたまらないからだ。


 そうしたオーナーのために、ロイド専用の「預かり所」がある。口の悪い者は「コインロッカー」と言うが、多くのオーナーは「待合室」と呼んだ。


「成程。ではトールに連れさせましょう」


「戻して……もらえるんですか」


 少し驚いて、彼は尋ねた。


「もう一度同意書を書いていただく必要がありますが」


「え?」


「ヴァージョンダウンは、通常、想定されていないんですよ。お判りでしょうけれど」


「そ、それはまあ、そうでしょうね」


 ブロウは認めざるを得なかった。


「とは言え、お望みならば、行います。ただし」


 店主はとんとガラスのテーブルを叩いた。


「料金として、一万クーランいただきます」


「い」


 彼は口をあんぐりと開けた。


「一万だって!?」


「はい」


 一万ですと店主は繰り返した。


「ちょ、ちょっと待てよ。新品のリンツェロイドが買えるじゃないか」


「〈リズ〉クラスは買えませんよ」


「買えたじゃないか!」


「中古でしたからお安くしました」


「お、お安くって、俺の給料何ヶ月分だったと……」


 ブロウは口をぱくぱくさせた。


「相場をご存じないんですか?」


 店主は肩をすくめた。


「話題のロイヤルシリーズ。ダイレクト社の新作は価格公表されないのが常ですが、あれは、間違っても五十万を下らないですよ。いえ、百万も越すかも」


「そんな超高級品の話じゃない!」


「確かに。〈クレイフィザ〉は所詮、個人工房ですからね。量子コンピュータも核融合エンジンも安いものではありませんが、ダイレクト社やガイア社のような有名企業でもない限り、ブランド力もない。技術料、人件費を落としてご提供するしかないのですが、限界がありまして」


「あ……そんな意味じゃ」


 機嫌を損ねては得策でないのだったと思い至り、ブロウは勢いを落とした。


「確かミスタ・ブロウは、金なら払うと」


「言ったさ、確かに。だがそんなにかかるとは思わなくて」


「おやめになっても一向にかまいませんよ。一万クーラン出すより、〈リズ〉の違和感を甘受する方が賢いと、九割方の人間はそのように言うかと思います」


「……たは?」


「はい?」


「あんたは、どうなんだ」


「もちろん、残りの一割です」


 店主は笑みを浮かべた。

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