第8話 僕的RUNの大改造
「早速だけど山本君ちょっと走ってみてくれる?」
週末に小林さんのお宅に呼ばれた僕は到着すると、一息つく間もなく着替え、そして公園まで連れて来られた。
公園まで歩く道々僕は尋ねられるまま普段の生活や食事について答え、小林さんはいつも会社で人の話を聞くのと同じ調子でうんうん、と相槌を打って聞いていた。
そして一通り聞きたいことを聞くと小林さんは「なるほどね」とだけ口にしてしばらくの間黙っていた。
公園に到着すると僕は前回の5mラン事件を小林さんに話すと少しだけアドバイスを仰ぐ。前回の転倒は準備も何もなくいきなり走り出したところに(それだけが理由だとも思ってないけど)敗因があると思ったからだ。
仕事では全く言われるがままの僕から質問という形で行動を起こしたことに小林さんはちょっと意外そうな顔をしたけれど嬉しそうに
「準備8割っていうのは仕事でもなんでも一緒だからね、ウォームアップをしっかりするのは良い心がけだね」
とニコニコする。
入社してから仕事の時ですらこんなに小林さんと話したことはなかったなぁと思い返して、僕ってホントにほかの人と話すことなく仕事してきたんだなぁとしみじみ思う。
オトナとしてちょっと問題があったかも……職場の皆さんすみません。
「そろそろ身体もあったたまってきたと思うから」
と、試しに走ってみるように促された。
改めて自分のへなちょこな走りを見てもらうことに緊張しすぎてほんの一瞬躊躇したけれど、今日ここまで来たのはそれをするためなのだと自分に言い聞かせ僕は走り始めた。
走り始めてすぐに小林さんは
「オーケーオーケー! 山本君、ありがとう」
と声をかけて僕が走るのをストップさせた。
「後で、体力的な身体づくりの面についてはまとめて話すけれど、まずは今すぐに変えられるところから変えてみようね」
僕はきょとんとした顔で小林さんを見つめる。
「不思議そうな顔をしているけれど運動経験のない君にもすぐに変えられる部分はあるんだよ。なんだと思う?」
「……なんでしょう?」
「ははは、そうだよね。君が普段から毎日している事だ。君は呼吸をしているよね?」
そりゃしてますよね? それできなかったら死んじゃいますもん。
という僕の表情を再び汲んだ小林さんは笑顔をすこしもくずすことなく続けて話し始めた。
「走るというのは、明らかに運動だ。走るという負荷に対して筋肉を使うという事はわかるね? 筋肉を動かすには大量の酸素が供給されることが必要なんだ」
なるほど、それは何となく納得できる。
「だからね、まずは普段している呼吸に意識を向けてみよう」
確かに、呼吸だけなら僕でも今から変えられそうだ。
「実感しながらできる方法を今から教えるね。こういう風に肋骨の下部に手を置いてみて」
僕は言われた通りの場所に手を置いた。
「普通にしていても君が吸ったり吐いたりするのに合わせて小さく動いているのがわかるかい?」
僕が頷くと、小林さんは
「じゃあ、一回はぁってため息つくみたいに息を吐いてみて。いつも君が仕事中にやってるやつね」
いたずらっぽく小林さんは僕の目を見て言う。
めっちゃ普段の勤務態度のムラを把握されていてかなり、恥ずかしい。
「息を吐いたら今度はそのまま息を吸いながら、その手を置いた部分の肋骨を広げるようにしてごらん」
そうそう、上手。
小林さんは言いながら、吸い終わったら吐ききるまで息を出すように僕に伝えた。
これを数回繰り返す。
「肺の周りには呼吸筋という筋肉があってね、これは意識的な呼吸で刺激が入れられるんだ。長い距離を楽に走る時にはこの筋肉がうまく働くことが必要だからね。次は走るときの呼吸。山本君には二つお勧めしておこう」
僕は少しでも呼吸筋を鍛えようと、さっき教えてもらった呼吸を続けながら話を聞くことにする。
「難しいことは何もないよ。まず一つ目は2回吸って2回吐く方法。もうひとつ目は今のにちょっと近い、長い呼吸をする方法だ」
小林さんは実演して見せてくれた。
「こんな風にスッスッハッハッとなるかスーッハァーッってなるか。山本君は案外リズム感がありそうだからどちらでもやりやすい方法でいいんじゃないかな」
うわぁリズム感があるって言われた!!! 宅オタ活動で培われたリズム感に違いない! ヒャホー!
褒められるところなどひとつもないと思っていたからうれしくなって元気になってしまった。
僕は褒めて伸びるタイプなのだ。
それからフォームの話だ。
「歩く、とか走るっていうのは交互に片足立ちになることだよね。人それぞれに良いフォームというのは存在するけど、この片足ずつの連続動作を続けるにはなるべくエネルギーの消費が少ない方がいいんだ。イメージとしてはひざ下が地面に対して垂直になる感じ」
「こうですか?」
僕は実際に動いて確認する。
「そうそう、かかとをついて走ろうとすると衝撃が強くなってしまうのと、つま先を上げる動作が入ってくる分ふくらはぎにも負担がかかるんだ。だからひざ下を地面に対して垂直に脚を進めるのと同時に足裏全体で踏み込むようなイメージで足を運んでみるといいかもしれない。そうする方が床反力、つまり地面からのエネルギーももらいやすいんだ」
説明を聞いただけではわかりにくいから短い距離をゆっくり走ることで体に呼吸と足運びを覚えさせようという事になり、僕はひたすらそれを繰り返した。
公園での練習が終わって小林さんの家に戻ると、小林さんの奥さんがたくさんの夕飯を用意してくれていた。
食卓に並んだメニューはよく見ると前に東堂課長が飲みに行ったときに連呼していたタンパク質、鉄分多めのメニューが多かった。
奥さんも小林さんとよく似たニコニコ顔で
「きっとお疲れでしょうから、豚肉も食べてね。豚肉は疲労回復にも良いのよ」
と勧めてくれた。
「家内とはね、学生結婚だったから僕の競技人生は食事から何からすべて支えてもらっていたんだよ」
こんなにたくさん食べられるかな? 思ったものの、食べ始めたら案外あっさりと食べられてしまった。
運動するってすごいな。
帰宅後身体を動かしたあとの心地よい疲れもあって深く眠りったせいかおかげで次の日はスッキリパッチリ目が覚めた。
こんなことはここ数年ではなかったことなので、きっと前日の小林さんとの練習の効果なんだろうな、運動するってすごいな、と感動そのままにベッドから起き上がって立ち上がろうとした僕をモーレツな筋肉痛が襲った。
「あうっっ!」
これは動くのに勇気がいるレベル……。
僕はベッドのヘッドボードに手をついて身体をどうにかこうにか支えると、
「いろんな意味で運動ってすごいな」とつぶやくのだった。
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