第6話 人間は食べたモノでできているのだ
「お前も、生でいいな?」
僕の返事を待たずに課長はテーブルにあるボタンを押す。
やって来た店員さんに生ビール2つと、手にしたメニューの中から何品か頼むと椅子によりかかり腕組みしながら僕に尋ねた。
「で、どうなんだ?」
「どうなんだ……と、いいますと?」
「このタイミングでどうなんだ、って聞いたらマラソン大会の話にきまっているだろう。お前はいつもそうやって話をはぐらかそうとするなぁ」
「そ、そんなつもりは……」
あるけど、そう言えない。
「……まだ、わかりません。全然やってないし」
「お、そう言うか」
課長は意外そうな顔をしている。
「え?」
「いや、もう無理ですってハナから言ってのけると思ってたからな」
「無理だと言ったら辞められる可能性は?」
「まぁ、ないな」
断言された……。ですよね。
んじゃ、そんなこと聞かなくてもいいじゃないか。
若干ムッとしていると、店員さんが全く空気を読まないカラッカラの明るい声でオーダーしたものを運んできた。
「お待たせいたしましたー」
無駄に元気よく料理を一品、一品テーブルに置いてゆく。目の前に並んだのは
枝豆
豚しゃぶサラダ
だし巻き卵
焼き鳥盛り合わせ
レバー
ニラの卵とじ
「なんかすごいですね?」
すると若干、ドヤ顔で
「山本、お前知ってるか? 人間って食べたもので出来てるんだぞ」
言ってることはわかるけど、発言の趣旨がまったくわからない。
そう 思っていることがモロに表情に出ていたに違いない。そんな僕をみて課長はひとつため息をつくと、
「まぁ、まずは乾杯だ。お疲れ」
その言葉につられてあわててジョッキを持ち上げると課長のジョッキに合わせる。
ビールを口にすると、一息ついて課長は再び話し始めた。
「お前、いつも家で何食ってる?」
「そうですね、簡単な自炊ができる日はご飯に味噌汁と出来合いのお惣菜、もっと手軽にだとカップラーメンとかサンドウィッチとか」
サンドウィッチは推しの動画見たりいろいろするのに片手を開けておきたいがためのチョイスなんだけれど。
「だよなぁ。お前、会社でもおにぎりとスープとかゼリー飲料とか、“女子のランチか!”って突っ込みたくなるようなものよく食ってるもんなぁ」
あれ、課長って意外とよく見ているな。
食べることに意識が向く方ではないからついつい適当に選んで適当に食べる。
正直に言えば、何でも良いのだ。一応考えて、栄養足りてないかな?ってときはゼリー飲料のビタミン入りのものを口にしたりしているんだけど。
「このメニューを見てみろ」
言われたとおりにじっとメニューを見る。
「何か気が付くことはあるか?」
「全体的に動物っぽい?」
「……お前に気づきを求めた俺が間違ってた。あのな、いまここに並んでるメニューのメインの栄養素はタンパク質だ」
「はぁ。タンパク質」
「タンパク質っていうのは人間だれにとっても必要な栄養素だが、特に運動しようという場合は必須だ」
ここからは、東堂劇場の開演で、課長はいかにタンパク質が必要なのか、僕の日ごろの食事がヤバいレベルなのかを(自分が納得いくまで)説いて聞かせた。
「……とにかく、お前はどう見ても筋肉量も足りないし、スタミナもあるようには全く見えない」
僕の不安要素をガシガシ付いてきながら力説する。
「お前、体重何キロだ?」
「量ってないですけど60キロくらいじゃないですかね?」
「よし! 山本! お前は明日から毎日、60グラムのタンパク質をとるように心がけろ」
「60グラム?」
「自分の体重かけるグラム数。これが必要なタンパク質の目安量だ」
「ちなみに、これ」
目の前のだし巻き卵を指さしながら
「だし巻き卵の材料、卵1個が7グラムから9グラムな」
「って、その換算だと7個くらい食べないと駄目な計算ですね?」
「卵はいいぞぉ。ビタミンC以外のすべての栄養素を含んでいるっていうからな。今日のこのメニューはお前のことを考えてほぼタンパク質。あと、お前顔色もいいとは言えないから、絶対鉄分も足りてない。で、レバーとニラ。俺の親切設計、ありがたがって食べろ」
「それにしても課長がこんなに食事に気を使われる方だとは」
「もともと、俺はアスリートだ。普段見せないのは……そうだなぁ飯は楽しく食いたいからだ」
そんなことを話しながら僕の取り皿に次々に料理を取り分けてゆく。まるでオカンだ。
飯は楽しく、か。僕は課長と一緒じゃ楽しいとは離れたところにいる気がするよ……。思わず小さくため息をついた僕に、
「これがお前の明日を作るんだぞ」
更にかぶせるオカンな発言。
少しでも楽に、気持ちよく走れた方がいい。食べることが身体を作るなら気持ちよく走るためにもしっかり食べよう。それなりの食事をしていたら筋肉もつくかもしれないし、今日買ったウェアも少しは様になるかもしれない。
僕は素直に課長がとってくれた料理を口に運び始めた。
かれこれ2時間近く店にはいただろうか。
こんなにたくさん課長と話をしたのは初めてだ。
……ついでに、僕のMinoriちゃん推しもバレてしまった。っていうか、すっかりバレてた。
やっぱり課長はよく見ている。
「俺がお前をマラソンに出したかった理由は3つある!」
お酒が入っていつもより砕けた感じになっている課長はそう言った。
「まず、お前の好きなMinoriが来るって知ってたからな」
「課長! なぜ僕がMinori ちゃん好きって!」
「お前、昼休みめっちゃ動画みてるし、朝来るときも音楽聞いてくるだろ? しかもMinoriのソロナンバー。あれ、音漏れしてるからな。だから結構前から知ってたぞ」
え、そんなにバレバレなのに、今まで会社のだれ一人そんなこと指摘してきたことない……
でも、なんで課長は僕が聴いてる曲がMinoriちゃんのソロナンバーだって知ってるの?
僕の思うことは逐一表情に出るらしい。
「あー、Minoriの事な、Minoriはうちの専務の娘って知ってるだろ?」
「と、いうことは、だ、俺の従妹だってわかるよな?」
え?
い と こ?
あわあわし始めた僕の肩に課長は両手をおいて
「落ち着け。赤くなったり、青くなったり忙しいなぁ。今のでお前がいかに我関せずで仕事をしてきたかよぉっくわかった。それにしても、山本、お前、いつもそれくらいリアクションあると仕事もやりやすいぞ」
と言い含める。
僕はジョッキのビールをごくごく飲み干した。
何かを言おうとしたけど酔ってるのかいもあってうまく言葉が出てこない。
課長は専務と親戚だったのか……。
「そうだったんですね」
やっとの思いでひねり出した言葉が相槌ひとつ。
「お前広報は誌面を作る上で社内にもう少し目を向けてつながりを作った方がいい。これもひとつの理由だ」
このMinoriショックで三つ目の理由を聞くことはなく、課長との緊急飲み会はお開きになった。
帰り道を歩きながらぼんやりと考えを巡らせる。
わかったことは
やっぱり、僕は走らなきゃだめらしいっていうことと、課長はもしかしたらいい人かもしれないっていうことだ。
僕はこの時お酒のせいもあってかなりいい気分で走れる気持ちになっていて、マラソンという未知の世界の大変さにはまだまだ気づいていないのだった。
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