第3話 不幸のメールは目の前の人参に変身す

 僕が今までの人生で「渋々」と思っていた渋々は全然渋々じゃなかったな、と思うほどには、かつ心の底から嫌々マラソ大会の申し込みを済ませた。

 その数日後、社内メールで参加者向けの一斉送信メールが送られてきた。

 正直に言えば見る気も起きないけれど、重要な連絡だと困る。僕はクリックしてメールを開封した。

 それは、『ランナー合同練習会』のお知らせだった。

 ナニこれ?

 練習会?それ絶対出なきゃだめなヤツ?

 自慢じゃないけど高校の体育だって計算しながら出席日数ギリギリでやり過ごしていたくらいの運動嫌い。それだけに運動からも遠ざかってた運動シロートだよ?

 僕は一気に青ざめた。

 ご丁寧に文頭から太文字で「欠席の方はご返信ください」と書いてある。

 文面通りに受け取るならばこの言い方だと全員参加が前提になっているっていうことだよね……。

 読み進めてゆくと、メールの中盤は陸上部所属の社員の人が書いたらしいランニングのコツみたいな事が記載されている(ここは読んでも半分くらいしかイメージできないから流し読みだ)

 メールの後半部分。


この部分を読んで僕を超特大爆弾大爆発のショックが襲った。

『マラソン大会当日は、来期当社のイメージモデルを務めてくださる「逆さま坂15」のMinoriさん(当社専務の娘さんです!)も来賓としてお見えになります。お楽しみに!』


 な、な、なんですとぉーーーー!2度見、3度見して確かめる。何度読んでもMinoriちゃんの名前がそこには書いてあるじゃないか。

 お楽しみに!ってライトに書いてあるけどっ!

 これっ!え?マジか?僕のMinoriが?(違)

 僕の心拍数は一気に跳ね上がった。

 申し込みから今まで尻込み200%だった僕の目の前に、たった今とんでもない人参がぶら下げられた。

 ……だけどその実、全っ然喜べない。

 だって僕は運動能力ゼロ。それなのに終業後の時間はフルフルマックス、オタ活に費やしている、いわばこの会社の運動シロート代表な僕のマラソン姿をMinoriちゃんが目にするかもしれないってことでしょう?

 一位になろうなんておこがましいことは口が裂けても言わないし、言えないけれど、僕も男だ。あぁ、無様な姿だけは晒したくないっ!


 うつむきがちに思いを巡らせていた僕はキッと顔を上げる。

 

 よし! 決めたぞ! 僕は練習会に出る!

 いや、それより先に今日から練習会のための練習だ!


 この意気込みは、僕の勤務態度にも大きく影響を及ぼした。

「山本くん、なんか今日仕上がり早いねー。さっき頼んだデータ解析もう終わったんだ?」

 花田さんが意外だという気持ちを全く包み隠さず僕にいう。

「僕は今日から定時で帰るんです。マラソン大会のために練習しなくては!」

 横で聞いていた東堂課長は

「おーおー、随分やる気で結構だ、だがお前の定時退社は日常茶飯事だろう」

鼻先で笑う。

 うぅ……反論できない。

 確かにオタ活メインの日常だと仕事の後が僕のメイン活動時間だ。一刻も早く帰りたいと思うのは、ねぇ? 仕方なくないですか?

「あはは……でしたっけねぇ?」

 無難にこの場を切り抜けたい僕はひとまず曖昧な笑いでお茶を濁しておくことにする。

 無邪気な花田さんは、天真爛漫に東堂課長の攻撃に上乗せするかのように

「課長! 私が褒めてるのは今日の山本くんの集中力ですよぉ?」

 追撃キター! 普段全く集中して仕事できてなくてスミマセン。

 だけどそれにはかまっちゃいられない! とにもかくにも、ここで最優先すべきは定時退社。

 僕はへらっとわらいながら、のれんに腕押し作戦をとることにする。

「あはは……やだなぁ、花田さん。でも、そんなわけで僕は今日はお先に失礼します」

 ちっとも堪えていないそぶりをみせながらシラーっと定時退社のミッションをクリアすると、カバンを抱えてそそくさと職場を後にするのだった。


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