第20話 開始

「おい、鴉丸。われぇ、いつまで芋引いとんねん。はよ腹くくって、妖魔探さんかいっ!!」


 酒呑が鴉丸の尻を思っきり蹴っ飛ばした。ひゃっと一声上げた鴉丸は、恨めしそうな目をして酒呑を睨んでいる。


「何しとんねん、尻が二つに割れたらどないするんやっ!!」


「阿呆かぁ、われぇ。尻は元々二つに割れとるがな。われが一番、妖魔見つけるんが上手いんやさかい、気合い入れてきりきり探さんかいっ」


「鬼や、あんたぁ鬼やで」


「そや、うちは西日本一帯の鬼を仕切っとる酒呑やで?」


「……」


 機関銃の様に喋る酒呑と鴉丸の二人を無視して、辺りに気を配る佳代達。まだ、ぎゃあぎゃあと後ろの方から二人のやり取りが聞こえてくる。

 

 すんすんと佳代が何かの臭いに気がついた。腐臭である。魚の腐った様な、鼻をつまみたくなる臭いである。しかし、まだ僅かにしか臭わない。


 「早速、妖魔の臭いがしてきましたね」


 熊童子が金熊童子へと目配せをする。二人で顔を合わせ頷くと薙刀を構えた。それを見ていた酒呑が二人をぎろりと睨む。


「待たんかい。人の話し、聞いとらんやったんか? うちらは手出し無用や。手ぇ貸す時はな、四人の誰かが死にかけた時や。初めは嬢ちゃんら四人で頑張ってもらわなあかん」


「しかし……酒呑姉様……」


「しかしもイタチもあるかいな。ここでしまえるようやったら、この先、妖魔討伐隊として生きていけんやろ」


 ぐびりと瓢箪の中の酒を口に流し込み、口元を袖で拭う酒呑は、どすんと地面へと座り胡座をかいた。辺りに酒の臭いがぷうんと広がる。


「ええからお前らも座って見物しとき」


 熊童子らを傍に座らせ、さっさと行けやと言わんばかりに酒呑が四人へと、掌をひらひらとさせた。


「行かにゃしゃあなかばい」


 佳代は咲耶と鴉丸に声を掛けると、二人は頷き臭いの元へと近づいて行く。


 「そや、阿よ。われ、極力手ぇ出したらあかんで。あくまでも補佐や。見届け人や思うて、少し後ろに下がっとけ」


「わかった」


 佳代と咲耶、そのすぐ後ろに鴉丸。鴉丸の後ろに阿がついて行く。


 腐臭が強くなってくるのが分かる。それと共に、獣のような息遣いとみしりみしりと何かが軋むような音。


 近い。


 佳代と咲耶はかちりと鯉口を切る。いつでも妖魔が現れても良いように臨戦態勢でいるためだ。刀を握る掌が汗ばんで来るのが分かる。命のかかった実践は佳代にとっては初めてなのである。


 妖魔とは幾度か闘った事はある。しかし、その傍らには母であり四家筆頭である竹子か、正やんが居てくれた。しかし、今回は違う。死んでも運命と言いきられているのだ。


『死んでたまるか』


 まだ、父親やキヨちゃんの仇すら取っていない。否、その入口にすらまだ立てていないのである。


 それは神貫咲耶も同じであった。神貫家長女として、元四家筆頭の孫として徹底的な教育と鍛錬は積んできた。しかし、咲耶も佳代と同じく実戦訓練の場では、常に母や祖母らが傍について居てくれた。


「止まるんやっ!!」


 鴉丸が前を行く突然二人を止めた。先程のようにかたかたと震えてはいないが、とても緊張している様子が分かる。


「ええか、佳代に咲耶。あそこに井戸が見えるやろ。その井戸の隣の屋根の落ちた家や。そこに妖魔がおんで、あちらさんもこちらに気づいとる。待っとるんや、あの前を通るんを」


「分かりました。ならば私が妖魔の気を引き付けましょう。そして、佳代ちゃん、鴉丸さん……」


 鴉丸の言葉に頷いた咲耶は急に小さな声になると、佳代と鴉丸にだけ話し始めた。咲耶の話しが終わると互いに頷き合うと、咲耶だけを残して佳代と鴉丸は別の方向へと歩き始めた。


「ほな、咲耶。ここは任せたで。うちは佳代と別の妖魔、探しに行ってくるわ」


 とてとてと歩きながら、咲耶へと手を振り闇の中へと消えていく二人を、にこりと微笑みながら見送る咲耶。そんな三人の様子を見ていた阿が慌てて咲耶へと話しかけた。


 阿の心配をよそに、咲耶は鴉丸が教えてくれた廃屋の方へと歩み寄る。まだ、鞘から抜刀もせずに。


 ぷうんと腐臭が強くなっていく。思わず眉をひそめる咲耶。しかし、その表情も一瞬見せただけで、いつものぽやっとした様な顔へと戻っていた。それどころか、のんびりと鼻歌まで口ずさんでいる。


「咲耶殿、油断は禁物ですぞ」


 咲耶の様子を見て一声掛ける阿に咲耶は振り向きもせずに片手だけを上げた。どうやら、油断はしていないようであり、わざと鼻歌を歌い自分の存在をアピールしているのであった。


 廃屋の前にたどり着いた時である。


 咲耶の目の前にある廃屋が崩れ落ちた瞬間、地響きと共に身の丈、約八尺六寸はあろう山の様に大きな妖魔が現れた。


 その妖魔は人の上半身に立派な角を生やした牛の頭、そして下半身はまた牛の脚。その手には無数の棘のついた太い金棒を握っている。


 その妖魔は咲耶の姿を見ると大きな口を開け、辺りを震わす獣の様な咆哮をあげた。びりびりとその振動が咲耶へも伝わってくる。


「妖魔が牛頭ごずの真似事とは……何とも畏れおおい……」


 その咆哮に物怖じせずに、すらりと鞘から菊一文字則宗きくいちもんじのりむねを抜刀すると、霞の構えをとる咲耶。妖魔の吐く息が、彼女の綺麗に切りそろえられた黒髪をゆらゆらと揺らしている。


「さぁ……その神貫家長女の実力、うちらに見せたらんかいっ!!」


 後方より見守る酒呑の大きな声が聞こえてきた。それを合図に牛頭姿の妖魔がどんっと地面を蹴り、その巨体から考えられない速さで咲耶へと襲いかかってきた。


 物凄い衝撃音。


 妖魔の振り下ろした金棒が地面を叩く。ゆるゆると咲耶が動いている。機敏な動きではない。川の流れに逆らわずその身を委ねる落ち葉の様な動きである。


「へぇ……」


 その咲耶の動きを見ている酒呑がにやりと笑った。

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