第16話 結界

 目的の駅に着いた頃には、逢魔時の空は墨を零したような漆黒と夕焼けの茜色がその境界線をぼやかし、見ている者を何やら不穏な心境に陥らさようとしているかに思えた。


 見知らぬ場所に降り立ち、少し不安げな佳代達をよそに、ぴぃひゃらと口笛を吹きながら軽い足取りで前を歩く鴉丸は、その後ろを辺りをきょろきょろと見回しながら着いてくる二人にちらりと顔を向けた。


「御影様が居てはる御所はもっと山の奥にあるんや。そやからな、今日は別の所に泊って貰うで」


 この場所も結構な山の中である。しかし、それよりももっと奥にあると言うその場所へ行くには、もう時間的に遅すぎる。


「鴉丸さん、ここはなんと言う地名なのでしょうか?駅にも名前すら書いてありませんでしたが……」


 そう、咲耶の言う通りなのである。三人と一匹が降り立った駅には駅名の書かれてある看板がなかったのだ。しかも、無人駅である。古くて傾いたおんぼろの駅舎だったので、戦後のどさくさに紛れ朽ち果てた挙句、看板が風に吹かれてどこかに飛んでいったのか?


「地名なんてあらへん。逢魔時に鬼の一族が降りる時だけ現れる駅……ちゅうだけや」


「逢魔時に鬼の一族が降りる時だけ現れる?」


「そや、ここに来るんは、主ら鬼の一族かうちの様に御影様の遣いのもんとかだけやからな。まぁ、ホントはなうちらはびゅうんっとひとっ飛びで来れるで、汽車なんか使わんでもええんや」


 へへんっと鼻の舌を擦りながら自慢げにそう言う鴉丸は、ふと遠くに見える人家の明かりらしき光りを見つけた。それを指差しながら二人へと話しを続けた。


「あれやあれ。今夜、主らが泊まる宿や。そうや、主らだけやのうて、汽車の中で話した鬼怒笠家と金剛家の小娘らも到着しとるはずや」


 そして、急に二人へと近づき顔を寄せると、声をひそめながら付け加えた。


「後な、これだけは言うとくわ。揉め事だけは起こさんとってな。あそこの宿のもんを怒らすと恐ろしゅうて敵わんから」


 鴉丸はぷるっと身震いをしてそう言うと、約束やでと二人へウインクをしている。その話しを聞いた佳代は宿にどんな怖い人がいるのかと想像してみた。


 最初の宿にいた茨木や星熊、虎熊の姉妹も怖いという人達ではなかった。怒らすとどうなるかは分からなかったが。敢えて、宿に着く前に注意する位である。余程な人達……否、茨木達の様に人ではない者かもしれない。


 しかし、こんなところで幾ら想像しても時間の無駄である。するなと言われたことをしなければ良いだけの話しだ。そう思った佳代は一人、よしっと頷くと、既に暗くなった夜道を咲耶と並び宿に向かって歩いた。


 本当に田舎道である。外灯の一つもない。佳代の出身も田舎の村だったが、外灯の一つや二つはあったものだ。静かな夜道には虫の鳴く声と、夜風に吹かれ擦れ合う草や木々の葉の音だけが聞こえてくる。


 しかし、不思議なものだ。少し遠いが、佳代や咲耶の二人の目に宿の明かりはっきりと見えている。それなのに、幾ら歩いても歩いても、その明かりに近づく事ができないのだ。


 彼此、半刻は歩いただろうか。外灯のない道は余りにも暗く、周りの景色が変わったかも分からない。その為に、自分達がどれだけ歩いて来たのかさえ検討もつかない。もしかしたら、まだ駅の前から一歩も動いていないのではという気分になってしまう。


「鴉丸さん……これは何かしらのまじないが掛けられているのでしょうか?」


 近づく事ない宿、真っ暗闇の道、ぐるぐると同じ所を歩く感覚。これはもしかしたら……と思い当たる事を尋ねようと先を歩く鴉丸へ咲耶が声を掛ける。


「呪い……では無いなぁ。」


 ちらりと咲耶へと振り返った鴉丸が呑気な声で答えた。そして、ぴぃひゃらとまた口笛を吹き出す鴉丸ににゃあごと一鳴きした猫又が、鴉丸の足元へと擦り寄って行く。


「随分と立派な結界だねぇ。これじゃぁ、咲耶や佳代程度の小娘ならぐるぐると目を回しちゃうね」


 鴉丸を見上げながら、後ろを歩く二人に聞こえないくらいの小さな声でそう言い、ふにゃぁと鳴くと鴉丸へぱちりとウインクをした。


「これも試練の一つや。こんくらいで根ぇ上げとったら故郷へ熨斗つけて送り返したるわ」


 にたりと童女らしからぬ笑みを浮かべる鴉丸に、猫又も趣味悪いなぁと口では言いながらもにゃんと笑っている。


 そんな事など露知らず後ろを歩く二人は、きょろきょろと周りを見渡し、用心深くそろりそろりと歩いている。


「……なるほど、やっぱりそけんなこつやったばいねぇ」


 周りを見渡していた佳代は何かに気付いたのかにやっと笑うと、咲耶にごにょごにょと耳打ちをした。すると、佳代の話しを聞いていた咲耶の顔がぱあっと明るくなっていく。


「なるほど……言われて見れば……」


 佳代の話しを聞きながら視線を鴉丸の方へと向けると、咲耶も佳代と同じくにやっと笑った。二人とも目くらましの種がわかったのか。そして、佳代と咲耶は何事もなかっかのように、互いに離れすっと距離を取った。


「こげんぐるぐるまわっちょると、頭がこんがらがってくるばい……」


「本当ですわねぇ……目眩さえ感じて来ましたわ」


 佳代と咲耶の話し声にひひひっと意地悪な笑顔で笑う鴉丸はちらりと道の脇へと視線を送る。その視線の先を目を凝らして見ると、闇に紛れ艶のない黒い苦無が深々と刺さっている。その苦無に小さな小さな人形の紙が付けられていた。


 佳代達は術に惑わされている振りをしながら、要所要所に刺さっている苦無の場所を把握すると、咲耶と二人でもにょもにょと口の中で何かを唱えだし始めた。


 すると、ぐるぐると同じ所を回っていたかの様に感じていた道の先に見える宿の明かりが、先程までと違いどんどんと近づいて来るのが分かる。


 様子が変わったことに気付いた猫又が、にゃぁと一声鳴いて目を細める。余裕でぴぃひゃらと口笛を吹いていた鴉丸もやっと気付いたのか、あっと言うような顔をすると二人の方へと振り返った。


「ごめんばってんが、絡繰が分かったとよ」


 指先でくるくると苦無を回しながらにやっと笑う佳代に、ぐぬぬと悔しそうな表情を浮かべる鴉丸。そして、その傍に立っている咲耶の肩に成人男性の掌程の大きさで薄くてぺらぺらの白い人形ひとがたが三体、風で飛ばされないように必死にしがみついている。


「ごめんあそばせ、鴉丸さん。神貫家は式神を使役するのも得意なんですよ、ふふふ」


 咲耶は肩にしがみついている三体の人形をそろりとなぞると、今まで本物の人間の様に動いていた人形がぺたんとただの紙へと戻った。

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