第一部
第一章 旅立ち
第1話 始まり
昭和二十年十月。
戦争の傷跡が各地に残り明日への希望の光りも見えない終戦直後の日本。
とある地方の村。
ここは日本全土を襲った空襲を受けることなく終戦を迎える事ができた。
しかし、男衆の殆どは出征し、村に残ったのは年寄りか女達ばかりであった。
その様な時期でも稲刈りと言う重労働は変わりなく行われている。
現在のようにコンバインに乗りあっという間に刈り取れる時代では無い。
一つ一つが手作業であり、家族、いや親戚中総出で行わなければ終わらない。
そんな中、一際元気の良い十三、四歳の少女が手際よく稲の束を掴み、ざくりざくりと刈っていく姿があった。
真っ黒の髪を二つ結びにして、やや太めの眉に大きなくりくりとした瞳。
「おぉ~い、佳代(かよ)ちゃんやぁい。佳代ちゃんやぁい、少し休憩ばせんかぁ」
田圃の畦から佳代ちゃんと呼ばれたその少女へ母親と思われるよく似た顔の女性が声を掛けている。
佳代は顔を上げ声のした方へと手を振ると、ぐいっと腰を反らせとんとんと叩いた。少し年寄りじみた行為であるが、どうせ周りは年寄りばかり。
よっこらせっと一声掛けて畦へと上がると、佳代を呼んだ女性へ鎌を渡して皆が休憩している場所へと歩いていった。
「ほんに佳代ちゃんが精出してくれちょるおかげで助かっとるよ」
腰の曲がったお婆さんが佳代へお茶を渡しながらそう言うと、佳代は嬉しそうにへへへっと笑っている。
「よし、もう一息やっ」
一休みした佳代たちは、それぞれに分かれ黄金色をした稲穂を丁寧に刈り取り始めたのであった。
それから三年の月日がたった昭和二十三年十月。佳代は十六歳になった。
村から出征していた男衆の殆どは戦死者を出すことなく無事に引き揚げが終わり、佳代の父親も特に大きな怪我や戦場や引き揚げ船の中で病気をすること無く健康で戻って来れていた。
男衆も揃い稲刈りも無事に終え、田圃には刈り取ったばかりの稲が干してある。佳代は天日に干される稲の香りが好きであった。
「佳代ちゃん、何してんの?」
ぼやっと干してある稲を眺めていた佳代へ三つ編みをした同世代と思われる少女が声を掛けて来た。
「なんやぁ、キヨちゃんか。稲ば見よったとよ。私な、刈り取ったばかりのこの匂いが好きなんよ」
ふふふっと笑いながら佳代はキヨちゃんと呼んだ少女へ答えると、ぎゅうっと背伸びをして畦へと座った。キヨも佳代の隣へと座る。
「うちも佳代ちゃん
少し肌寒くなってきた夕方の秋の風が、藁の匂いを運びながら二人の頬を撫でていく。遠くに見える山々が少しづつ赤や黄色橙色の錦をまとい始めていた。
「本当やねぇ。でも……長かったなぁ」
しみじみと答える佳代は父親が出征してから、母親が父親の代わりに佳代や他の兄弟達の為にと朝から晩まで頑張っていた姿を思い出していた。
「うちも佳代ちゃん家も、お母さん、大変やったからな」
膝を抱えお尻でバランスを取りながら器用に座るキヨに佳代はうんと小さく答える。すると、キヨが佳代の背中をばしんと叩いた。
「なんばすっとね」
「佳代ちゃん、辛気臭くなっちょるって。せっかく皆無事に帰ってきたっちゃけんで、明るく行こう!! これからはうちら若者が明るく行かんと」
キヨは佳代へにかっと笑いながら言った。とても明るい花が咲いたような笑顔。そんなキヨの笑顔につられ、佳代もにかっと笑った。
まさか、この笑顔が佳代が最後に見たキヨの笑顔になる事など知らずに。
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