前方の私、後方の私。
西東友一
第1話
私は走る。
なんとなくで走っていると、前方に奴が現れる。
―――私だ。
前方の私は今の私よりも少しスピードが速い。
私は彼女を追いかける。
彼女に追いつくと私は彼女と重なる。
私は頑張っている私だ。
後ろには先ほどのペースを守っている私が生まれた。
彼女との差はどんどん生まれていく。
私は彼女を置いていく。
だって、私は彼女よりも頑張っているんだから。
努力しない私なんて興味がない。
しかし、満足したのも束の間、また奴が現れる。
―――私だ。
今の私よりも少しスピードが速い。
少し息は上がってきた。
どうする?
追うか、キープするか。
どんどん、どんどん差は離れていく。
差が付くのは嫌だ。
私は前方の私を追う。
今の私を後方に残して私はスピードを出すのを無表情で見送っていく。
そのまま考えなしで努力を怠ればいい。
私はもっとすごい選手になるんだ。
私は前方の私に追いつく。
私はさらに頑張っている私に重なる。
ゲームで言うモード2の私だ。
「こんにちわっ」
「こんにちわっ」
呼吸の感覚が短くなってきた。
けれど、まだまだ余裕。
話しかけられても返事ができる。
(よしっ、今度は先に仕掛けるぞっ)
私はどんどん加速していく。
私が前方の私を生み出す前に、前方の私になってしまえばいい。
私はにんじんをぶら下げられた馬じゃないんだ。
そんな私が生み出されなくたって私は頑張ることができるアスリートだ。
「はっはっは…っ」
私の加速に合わせて、どんどん後方に私が生まれていく。
最初は無表情の私が生まれていったが、次第にびっくりした顔や、尊敬する顔に変わり、最後には嫉妬したり、悔しそうな顔をしている私が生まれていく。
そんな私の群れを置き去りにして先を行く私は魅力的だ。
私の中で一番優れている私が今ここにいる。
「そんなスピード維持できるわけがない」
最後に生み出した私が呟く。
私は加速を止めてスピードを維持に変える。
息は大分上がり、喋ることはおろか思考もできなくなっていく。
私ができるのは足を動かすこと、息をすること。
馬鹿な後ろの私がツッコミを入れてくる。
腕も動かしてるじゃん。
馬鹿か、私?
何本も、何本も走ってきた私にとって、良い姿勢を取ることや、腕を動かすことは心臓を動かすことと同じことだ。
そんなことを意識するのに割く酸素があるなら、私は足を回すのに使う。
しんどい。
肺が苦しい。
足がパンパンになっていく。
スピードを落としていいんじゃないかとちょっと後ろの私が悪魔のように囁く。
私は振り向かない。
けれど、私が落ちてくるのを手ぐすねを引いて待っている無数の私の群れ。
(無数の私が後ろにいるってことは…)
私は前を見る。
すると、前には無数の私がいる。
そして、優越感に浸った顔でちらっと振り返る。
残念でした、私が一番よ。
いいえ、私よ。
何言ってるの、私が先に行くわ。
前にいる私は生き生きした顔で走っている。
我ながら憎たらしい。
(でも…、もう…)
私はスピードを緩める。
すると、嬉しそうに私を抜いていく後の私の群れ。
お先に。
我ながら、憎たらしい顔で私を抜いていく。
心が折れて、パンパンの足は徐々にゆっくりになる。
だめよ、走って。
私が言った。
苦しそうに立ち止まった私が悔しそうに、それでいて自分の夢を託すように応援している。
(夢は大げさ…だけど、ありがとう)
私は走る。
歩くことも、立ち止まることもしない。
頑張れ、頑張れ。
後ろの私も、前にいる私も応援している。
(さっきまで、ライバルだったくせに…)
それでも、諦めずに必死に頑張る人を応援するのも、私だ。
心が折れそうになるけれど、ゴールが見えてきた。
目の前の私がラストスパートをかける。
当然後ろの私たちもラストスパートをかけていく。
がんばれ、私。
負けるな、私。
みんな、頑張れ。
ゴールに着いた私がみんなを応援する。
「私だって、負けるかぁっ」
私はゴールテープを切った。
祝福する私。
だらしないと叱咤する私。
励ましてくれる私。
私は後ろを振り向いた。
きっと、あの時諦めた私はあそこらへん、あの時の私はあそこ、スピードを速くしなかった私はあそこらへん。
私は私に負けた。
そして、私は私に勝った。
「よし、明日は勝つぞ」
そして、昨日の私よりも今日。
明日の私は今日の私に勝つんだ。
世界で一番、私の中で一番、速く走るために―――
前方の私、後方の私。 西東友一 @sanadayoshitune
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