ちいさな恋の話

「これはこの前ホントにあった話なんですけど……」


 同僚とのお泊り会、もとい二人女子会。

 お喋りもすっかり落ち着いて、眠りにつく前の、ほんのひととき。私はふと昔のことを思い出して、口を開いた。



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『神絵師の肉を食いたい』

 少し前に、流行った冗談なんですけど、聴いたことあります?


 ない?そうですか。


 まぁ、『人魚の肉を食べる』みたいなものです。人魚の肉を食べれば、不老不死になったり、人魚になったりするでしょう?

 要はアレの派生的な冗談です。才能のある人の血肉を食べれば、その才能が身につくのではないか?……という与太話です。


 少し話が変わりますが、実はあたしは趣味でSNSにイラストをあげたりしているんです。


 え?そのSNSのアカウントが知りたい?え~、う~ん。内緒です!恥ずかしいので。


 とにかく、SNSにひっそり自分の描いたイラストをあげていたんですが、ある日、オフ会に誘われたんです。


 あー、オフ会というのはネットの知り合いが、ネットオンではないオフ場所で会うことです。そのオフ会では男女混じった二十人ほどでカラオケに行きました。

 普段、男の人と話すことなんてあんまりないから、すごく緊張してたんですけど。SNSでも何度かやりとりのあったひとり、伊坂さんは話しやすくて、かなり盛り上がって……。

 さっき言った『神絵師の肉』の話になったんです。

『君も神絵師の肉を食べたいかい?』って、彼は真面目な顔で言いました。

 でも、私はただの冗談だと思ってて、『そうですね。全部食べると神絵師が死んじゃうから、一口だけ食べたいですね』って答えたんです。


『はは、あの話をただの冗談だと思ってるんでしょう?』

 彼の瞳が紅く光った気がしました。


『"肉を食べたい"というのは、いわば愛なんですよ。

 他者とひとつになりたいという愛。つまり、それは強い想い。ただの軽口ではないんです。

 強い想いには力があります。この場合、科学的にいえば、プラシーボ効果』

 思わすずっこけそうになると、彼はクスクスと笑いました。その横顔はとても無邪気に見えました。


『ただ、頭で分かっていても。止められないのが愛でしょう?』

 スッとマスクを下ろした伊坂の口からは、鋭く尖った歯が覗いていました。

『肉とは言わない。綺麗な君の血を一口飲ませて欲しい』


 何だか私はちょっと嬉しくなってしまって…。自分のマスクも少しずらして見せたんです。真っ赤に裂けた口元を。


『ホントに?あたしってそんなに綺麗?』って。


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 ふっと小さく息を吐き、奥歯をぎゅっと噛み締めた。


「…その後、そいつはどうしたと思います?

 あたしの顔を見て逃げやがったんですよ!人間の子どもみたいな甲高い悲鳴まであげて」

 しっぽを小さく揺らしながら聴いていた同僚の胡桃さんは、涙ぐむ私の頬をペロッと舐めた。

「偏食男なんて、マトモなやつが居ないから、ご縁がなくてよかったのよ!」

 言い方が優しくて、嬉しくて、恥ずかしくて、思わず彼女をギュウッと抱きしめた。

「押し潰さないでよ」

 同僚の人面犬、乾井いぬい胡桃くるみさんはそう言って、ぷにぷにの肉球で私の頬を押し退ける。でも、彼女のしっぽはふわふわ揺れていて、私は尚更ギュっと抱きしめたくなる。


 彼女の髪にぐっと顔を押しつけたまま、私は深い眠りに落ちていく。どこかお日さまのような香りに包まれて。

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この世界をただはしる おくとりょう @n8osoeuta

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