天駆けるターボババア

鮎河蛍石

天駆けるターボババア

 ターボババアは今夜も走っていた。

 いつから走っているのか覚えていない。

 なぜ走るのかわからない。

 しかし走らずにはいられなかった。

 確かなのは追われているということ。

「そこのババア止まりなさい!」

 時は2121年、兵庫県は六甲山山頂より上空500メートルに位置する飛行車ホバーカー専用空路エアラインをネオ宝塚市に向けて疾駆するターボババア、それを東京オリンピックの警戒にあたる警察車両パトホバーが編隊を組み追跡していた。100年ぶりに日本で開催される東京オリンピック、それは世界規模のパンデミックにより混乱する最中開催された前東京オリンピックの苦い経験を踏まえ、万全の準備により運営が行われている。

 万難を排する運営それは、自然現象のみならず超常自然現象スーパーナチュラルも例外なく管理することに他ならない。

 兵庫県警航空機動隊エアフォースのパトホバー追跡がターボババアの疾駆を阻む。


 兵庫県の誇る空中県道10車線を封鎖した包囲網によるターボババア捕縛作戦は、大会誘致が決定した翌週より毎晩、展開されていた。

「クソ!なんて速いババアなんだ!」

 V字に展開された4機編隊最後尾のパトホバーに搭乗する隊員が吐き捨てる。

「毎度のことだ騒ぐな新入り今夜こそは捕らえる」

 通信無線が拾った新入りの弱音を編隊の殿トップでババアの背を追うベテラン隊員が叱咤しったする。

「網を張れ!」

 ベテラン隊員の号令と共に空中県道10車線の完全空間封鎖状態が承認される。完全空間封鎖それはを意味する。これまでのターボババア捕獲作戦は、ババアの県境越境にげきりによる追跡不可能で毎晩失敗に終わっていた。その雪辱を晴らすべく、特異科学研究所協力のもと開発された技術がターボババアの退路を塞ぐ。


「妙だね?」

 ターボババアが空間の異変に気付く。

 飴細工の如く引き延ばされた無限に続く道路によって、本来流れるはずの眼下に広がる夜景が静止したのだ。

「ババア!今日が年貢の納め時だ!そこを動くな!」

「クソガキ共が小癪な真似を」

 ターボババアが言い終わるや否や徐々にパトホバーが距離を詰める。ベテラン隊員が捉える先程までちりの如く小さな点であった老婆の背が、だんだんと大きくなってゆく、その追跡時速はマッハ1.5を弾き出す。

 いよいよババアと先頭車両が並走する。

「そこまでだ!お前を逮捕する!」

 ベテラン隊員が幾度にも渡る追跡を経て、初めて目にしたババアのかおに戦慄する。口角をかすかに歪めわらっているのだ。その余裕あふれる面構え、厭な予感が背筋を否応なしに凍てつかせる。

「駆けっこは終いだね」

 午前2時、草木も眠る丑三つ時、怪異が最も力を増す時間。

 ターボババアの限界リミットダークネスパワーが帳消しする。

 夜空を駆ける怪老婆の四肢が空気を弾き唸りを上げる。

 高速老婆ターボババアがもとい、超老婆ハイパーババア進化シフトアップした彼女が纏う衝撃波パーティードレスの奏でる轟音セッションがメガ芦屋市上空に響き渡る。

 ハイパーババアの婆力ばりきはターボババアのそれとは比較にもならぬほど跳ね上がる。

 野暮なランニングで失われた妖力スタミナ呪力カロリーが、体の底からみなぎる感覚にハイパーババアは歓喜する。

「ひゃっはっはっはっ!女は化けるもんさ!」

「ギャアぁああああああああああ!!!!!」

 果敢なるパトホバー隊の追走もハイパーババアの起こした強烈な衝撃波の前では無力であった。4機のパトホバーは衝撃波によりコントロールを失い一掃される。

 そしてババアは思い出す。進化によって活性化した脳細胞シナプスがあの日の記憶を。


 ババアは生まれながらにして怪異であった。

 1990年代、学校の怪談により生み出されたミームの集合体、そのうちの一人であった。

 人間たちを恐怖に陥れるため夜な夜な開かれる夜会、ババア妖怪の月令集会ワルプルギスの夜を終えたターボババアが六甲山ホームグラウンドへ帰ろうとしていた。

「あんたの脚は綺麗だね」

 芦屋市代表、足売りババアがターボババアに絡む。

「脚だけかい?」

「皆まで言わせんなよ」

 二人は蜜月の関係であった。

 しかし幸せの日々は唐突に終わりを告げる。

 1999年アンゴルモアの大王襲来による世界破滅を食い止める研究により成立した特異科学で、オカルトの神秘が解明され妖怪達は諸共収容サンプリングされた。ターボババアや口裂け女、首無しライダー等の足の速さに定評がある者達を除いて、あらかたの妖怪達は特異科学研究所に捕らえられてしまったのだ。

「おら!おら!おら!怪異収集コレクションの時間だ!」

「足売り!」

「逃げな!あんたの脚は私だけのものだ!そしていつか迎えに来い!」

 月令集会の一斉摘発により足売りババアとターボババアは散り散りになる。

 その日からターボババアは走り続けた。あの夜から100年過ぎてボケが回って来るほどに。そして2121年の今日、走りの意味が目的が逃走から追走へシフトチェンジした。

 ババアの反撃が始まる。

 ハイパーババアは無限に引き延ばされた湾曲空間と化した空中国道の超軽質アクリルを力任せに蹴って加速する。すると町の光がゆっくりと流れだす。

「だりゃああああああああああああああ!!!!!」

 ハイパーババアの咆哮が音速を超えるこの世ならざる衝撃波を生む。壮絶なるエネルギーの波、ディバイディングボイスが奏でる超音速衝撃波が閉じた位相湾曲空間を引き裂いた。

 特異科学をオカルトが蹂躙する。

 六甲山を起点にハイパーババアの咆哮は全世界に轟き人々は夜の闇に潜む者たちの恐怖を思い出した。地球に引き起こされた恐怖の感情がババアの背中を押す。空中県道は巨大な滑走装置カタパルトと化しハイパーババアを空間の裂け目から射出した。刹那ババアの躰が光り出す。

全力疾走フルスロットルだああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

 超巨大恐怖感情を吸収したハイパーババアは、光速ババアの段階シフトを飛ばし超光速ババアへ至り、成層圏を一気に離脱し太陽圏、銀河をひとっ走り駆け抜け宇宙の向こう側へ至る。


「私らでいつか世界を恐怖で滅茶苦茶にしような」

「そいつはおもしれえ」

 ババアが全ての速度から超越した瞬間、ふいに足売りババアとした壮大な約束を思い出す。

 さっきまで感じていた背中を押す感覚がなくなり超越ババアは悟る。

 地球が消滅したことを。

 独りで滅茶苦茶にしたって隣にお前がいなけりゃ意味が無いじゃねえか。

 ババアは祈った。

 足売りババアと釣果を出汁に笑いあった平和でかけがえのない、あの日に帰りたいと。

「ずるいねあんたは、ひとりで美味しいところを全部もっていっちまう」

 懐かしい声に振り向くと足売りババアがいた。

 超越ババアそれは神に等しい存在である。

 切実なるババアの祈りによって新たな宇宙が再構成されたのだ。

「まちきれねえから迎えにきてやったよ」

「足売り!」

「せっつくなよターボあたしゃ逃げやしないよ」

 時は今1999年、特異科学が存在しない新たなる世界に書き換わった六甲山でターボババアは足売りババアを強く抱きしめる。


 ずうっと一緒だよ。

 ターボババアは足売りババアにそう囁いた。


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天駆けるターボババア 鮎河蛍石 @aomisora

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