第5話 完全なる『罠』

 そんな誠であある。初めからパイロットになりたかったわけでもない。


 嫌々始めたパイロットの教習。入隊三日後には、誠は自分の不適格を自覚して、教官に技術士官教育課程への転科届を提出した。


 しかし、なんの音沙汰もない。


 途中で紛失されたのかと、次から次へと、自分で思いつくかぎりのそういうものを受け付けてくれそうな部署に連絡を入れた。


 回答は決まって『しばらく待ってください』というものだったが、最終的に何一つ回答は無く、パイロット養成課程での訓練の日々が続いた。


 そして、そういう書類を提出した日には必ずある男から電話が入った。


 嵯峨惟基特務大佐。


 誠をこの『胃弱差別環境』に引き込んだ張本人である。


 古くからの母の知り合いのその男は、誠の理解を超えた男だった。


 40代と言い張るが、その見た目はあまりに若かった。


 しかし、誠の記憶からするとやはり嵯峨の年齢は40歳から50歳であることは推測が付く。


 誠がその存在に気づいた5歳くらいのころである。


 その時はすでに20代前半のように見えたことが思い出される。


 そして、現在もほとんど外見に変化が無い。昔からその言動は『おっさん風』だったが、見た目がまるで変わらないのである。


 実際、誠の実家の剣道場、『神前一刀流道場しんぜんいっとうりゅうどうじょう』には時々、この男が現れた。


 誠の母で道場主の『神前薫しんぜんかおる』と嵯峨は親しげに談笑しているのをよく見かけた。


 嵯峨は尋ねてくると必ず、喫煙者のいない誠の実家の庭に出て、見慣れない銘柄のタバコを一服した。


 そして母に静かに挨拶して帰っていく。


 そういう光景は何度も見た。


 嵯峨惟基。この男こそ、誠を東和宇宙軍のパイロット候補の道に進ませた張本人だった。


 誠が大学四年の夏、持ち前のめぐりあわせの悪さで内定の一つももらえずに四苦八苦していた。


 そんな誠にちょこちょこ寄ってきて耳元で『いい話があるんだけどさあ……聞いてみない?』などと、何を考えているのか分からないにやけた面で話しかけてきたのが嵯峨だった。


 その声に耳を貸さなければ、今こうしてすることもなく、地下駐車場で立ち尽くすという状況にはならなかったはずだ。


 その日は嵯峨に言われるまま、何の気なしに嵯峨の手にしていた『東和共和国宇宙軍幹部候補生』の応募要項を受け取った。


 そして、特に興味は無かったが、内定を取れない焦りから、仕方なく応募用紙に必要事項を記入してポストに投函した。本来はそれで終わりのはずだった。


 しかし、そんな興味の全くなかった『東和共和国宇宙軍』から翌日の夕方には電話があった。


 なんでも、その次の日に一次面接があるという、今思えば完全にできすぎた話だが、当時はそれどころではなかったので仕方がない。


 誠は初めての好感触にそれなりに喜んで、これまで受けた民間企業と変わらない一次面接を済ませた。


 家に帰ると、誠の持っていたタブレット端末に一次面接の合格と二次面接が次の日に東和宇宙軍総本部で行われるというメールが来ていた。


 今、この地下駐車場で辞令を手に考えてみると明らかにおかしな話だったことは分かっている。


 誘い出されて行った二次面接の場所は、この赤レンガの建物で有名な東和宇宙軍総本部だった。


 そのビルに呼び出されたのは誠一人だった。


 質問内容も説明のセリフも、一次面接と何一つ変わらないどうでもいい内容だった。


 そうして誠はとりあえずの二次面接を済ませた。


 この段階で誠は、この就職試験が『おかしい』ことには気づいていた。しかし、大学の同級生が次々と内定をもらっていく中、仕方なく誠は嵯峨と母が勧める『東和共和国宇宙軍幹部候補生』採用試験を辞退しない決断をして、立派な面接会場を後にした。


 家に帰ると通信用タブレットにメールが入った。


 その内容は内定決定。あまりの出来事にあれほど待ち望んでいた内定通知をただぼんやりと眺めていたのを覚えている。


 その時それを辞退する勇気があれば……今でも誠はそのことを後悔している


 その後も奇妙なことは連続で起きた。


 内定者に対する最初の説明会会場では、今の時点での希望進路を記入するアンケートが配布された。


 自分の名前が印字されたマークシート用紙を手にした時、誠はすぐに異常に気づいた。


 本来空欄であるそこにはすでに、パイロット志望の欄に印がついていた。


 必死に消しゴムで消そうとしたが、完全に名前と同時に印刷されているようで全く消えない。


 そんな誠のマークシート用紙を会場の『東和宇宙軍』の制服を着た女子職員が誠の意思を無視して回収していった。


 諦めて誠はそのままパイロット養成課程に進むことになってしまった。


 こんな明らかに『誰か』の意図が見え見えで新社会人生活が始まったことに、誠は両親に不安をなんとか説明しようとした。


 しかし、口下手で『理系脳』の誠にそれを両親に正確に説明することなどできるはずもなく、二人とも誠の進路が決まったことにただ喜ぶばかりで、誠の『悲劇的』な社会人人生は始まってしまったのである。

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