第76話「勉強どころじゃない」
紗世さんと桂花の都合のいい金曜日の夕方、俺は荷物を抱えて紗世さんの家にやってきた。
まさかこんな短い間に女性の自宅に三回も来ることになるなんてなぁ。
Vチューバーになる前は夢にも思っていなかった。
「かけるさん、こんにちは」
「かける、ヤッホー」
そして今回のような状況も想定していない。
紗世さんの家の玄関のドアの前で、かしこまった様子であいさつをしてきたのが若佐木さんで、砕けた調子で手をふっているのが桂花だ。
若佐木さんはオフショルダーの黒いトップスに膝丈のベージュのスカート。
むき出しになった肩とはっきりとわかるボリュームが目に毒だ。
紗世さんの同類、おとなしいお嬢様タイプだと思っていたんだけど、意外と大胆なファッションも着るんだな……。
桂花のほうはというと、ピンク色のティーシャツにデニムのパンツで、丈は膝上五センチってところ。
白い太ももに視線を奪われないよう、意識しないと気持ち悪がられそうだ。
ふたりとも芸能人だって言われたら、誰もが信じそうな見た目だよな。
芸能界に興味はないんだろうか?
……若佐木さんや紗世は家の事情で難しいのかな。
桂花のほうはけっこうラフな印象なので、オシャレな服なんて持ってない俺としては安心だ。
もっとも桂花だから、俺に合わせてくれた可能性もかなり高い。
「若佐木さんも参加なんですね」
紗世さんから昨晩メッセージが届いたから知ってたけど。
「はい。紗世より得意な科目があるので、お役に立てると思います。桂花さんの負担も減るでしょうし」
若佐木さんは天女のようなきれいな笑顔を見せる。
「たしかに紗世さんの負担も減るでしょう」
桂花はあきらめたような、あきれたような顔だった。
みんながいいなら俺に異論はない。
何しろ一番面倒をかける立場なので、文句を言えるはずもない。
俺たちが立ち話をしているとドアが開き、見覚えのあるメイドさんが現れた。
彼女の顔を見るのはたぶん三回目だ。
「いらっしゃいませ。紗世様が中でお待ちです」
メイドさんに招かれて俺たちは中に入る。
こういうパターンもあるんだな。
紗世さんの立ち位置を考えると、今回のが王道なのかも?
最近ぶりにやってきたリビングで紗世さんは座って待っていたらしく、俺たちを見ると同時に立ち上げってやってくる。
今日の紗世さんは赤いトップスと白いパンツというシンプルだけど、大人っぽさを感じさせるファッションだった。
「いらっしゃい。荷物は人にあずけてくださいね」
と言われたので、メイドさんたちに俺たちは手荷物をあずけた。
男のほうが荷物の量はすくないのはたぶん気のせいじゃないんだろう。
「まずはお茶をいかがですか?」
と紗世さんに誘われる。
さっそく勉強だと思っていた俺は拍子抜けした。
「いいですね。勉強の前に集中力を高めるのですね」
と賛成したのは若佐木さんだ。
「たしかに喉は乾いてますね」
と桂花が言ったので流れは決まる。
「かけるくんは紅茶が好きですよね?」
紗世さんはまず俺に聞いてきた。
「ええ。コーヒーも好きですけど」
実のところきらいなドリンクはいまのところなかったりする。
と正直に言ったら選択肢が増えすぎて困らせそうだ。
「かけるってきらいなものもないし、こだわりもとくにないってタイプっぽいよね」
と桂花にずばりと言い当てられる。
「うん」
「うかつなこと言うと困らせるだけって自覚しているところが、かけるくんの素敵なところですよ?」
すかさず紗世さんがフォローしてくれた。
「バレてたんですね。あとフォローありがとうございます」
ちょっと気まずく思いながら礼を言うと、天使の微笑で受け止められる。
「席に自由におかけくださいね」
と主人に言われたので、とりあえず俺は一番近くの席に腰を下ろす。
正面には若佐木さん、俺の左隣に桂花が相次いで座る。
どういう配置になっても俺の心臓によくなさそうだなって思う。
いい加減女性が近くに座る程度で緊張しないようになりたい。
三人は笑顔で歓談して俺は聞き役に回る。
女性たちを楽しませる話題なんて持っていないので、聞き役でいられるほうが実のところありがたい。
「かけるさんはどんな感じなのですか?」
ときどき若佐木さんが話をふってくれるけど。
それを桂花と紗世さんが微笑ましそうに見ている感じ。
若佐木さん、どんだけ俺に興味があるんだ?
なんて考えるのは自意識過剰だろうか?
「自意識過剰じゃないと思うよ?」
まるで俺の心を読んだみたいなことを、桂花がずばっと言ってくる。
ぎょっとして彼女の可愛らしい顔を見つめると、
「図星だったんだ?」
彼女は微苦笑した。
「かけるって自己評価が低いみたいだから、そんなことを考えてるかもって思っただけなんだけどね」
と根拠を打ち明ける。
「たしかにかけるさんってすごいプレイヤーなのに、自己評価は高くないですね?」
若佐木さんが何やらふしぎそうな顔。
「自分が上手いって言ってもどの程度なのか、わからないじゃないですか?」
対戦経験がある人たちのなかでは上手いほう、なんて微妙すぎないか?
強い人と対戦したことがないだけって可能性があるんだから。
すくなくとも現役プロゲーマー、あるいは予備軍と言えるような領域の人とそこらの野良でマッチングするなんておそらくないはず。
「なるほど、冷静ですね。海の広さを知ってるというカッコよさがありますね」
と若佐木さんは言うが、これは持ち上げすぎだと思う。
たしかに海が広いってことくらいは知っているつもりだけど、褒められるようなことだろうか?
俺が困っていると紗世さんがにこりと微笑んで、
「そろそろ勉強をしましょうか?」
と彼女にしては珍しく場の空気を無視した発言をする。
これはきっと俺への助け舟だと感じたので、目で礼を送った。
にこりと天使のような微笑が返ってきたので、合っていたらしい。
「そうですね、なんでも聞いてください! こう見えてわたし、紗世より成績がいいので!」
若佐木さんが自分の胸を叩いて、豊かな部分が揺れる。
「もう……」
紗世さんは怒らなかったものの苦笑していた。
「成績と教える上手さは別物ですよ?」
桂花のほうはと言うと呆れているようだ。
「たしかに。俺は得意なゲームを教えるのは下手だしな」
俺が教えるの上手ければもっと同期たちと楽しくゲームを遊べていると思う。
「じゃあぜひ試してみてください」
若佐木さんはにこやかな表情を崩さず、ぐいっと身を乗り出す。
「わかりました」
目のやり場に困り、あさっての方向を見る。
彼女はふしぎそうなので、本当に気づいてないのか。
紗世さんもけっこう無防備な印象なので、彼女たちの学校は男の視線に鈍感な人が多いのかな?
正直この並びはよくない。
若佐木さんと紗世さんっていう豊かなものを持った美女たちが、視界に入ってくるからだ。
集中できるかわかんないぞ。
桂花だって充分すぎるほど可愛いものの、とある部位の戦力は平均程度だからそこまで脅威じゃない。
……口にしたら確実に冷たい視線が飛んでくるので、とうてい言えないが。
「どこが苦手なのですか?」
若佐木さんは俺の隣に椅子を移動させてくる。
そっちのほうが教えやすいんだろうし、異議はないんだけど甘い香りが俺の鼻に届くようになった。
うーん、うれしいけど、集中できない。
これじゃあ勉強どころじゃないよ。
「かけるは基本は抑えてますが、応用が苦手ですね。暗記も好きじゃないみたいです」
と横から桂花が口を出すが、いまはありがたい。
「そうなんですね。教え甲斐がありますね」
と若佐木さんは屈託なく笑う。
……家庭教師のお姉さんが美人だと生徒は集中できないんじゃないかって思うようになってしまった。
それともいいところを見せようと思って頑張るのかな?
若佐木さんのいい声は耳に入ってきやすいんだけど、脳に残らない感じ。
紗世さんと桂花だけなら何とかなってたのに、ひとりきれいな女性が増えた結果、崩壊してしまったようだ。
このままだとまずい。
成績の問題もあるし、三人にわざわざ時間をさいてもらってダメでしたなんて、展開だけは避けたいところだ。
「集中できないみたいですね。休憩しますか?」
俺の様子を見て取った若佐木さんの提案に、首を横にふる。
「いえ。さすがに甘えすぎてたらダメだと思うので」
何のためのお泊まり合宿なんだって話になるからな。
「かけるはこういうところ、カッコいいですよ」
と桂花がフォローしてくれた。
別にカッコよくはないと言うか、むしろカッコ悪いと思うけど……。
「たしかに。カッコいいですね」
なぜか若佐木さんはめちゃくちゃうれしそうだ。
何だか反応が紗世さんと似ているのは気のせいだろうか?
友達だからふしぎじゃないけど。
「無事に乗り切ったらお泊まりで遊びませんか? 何なら先輩たちにも声をかけて」
と紗世さんが突然提案してくる。
「え、それはどうなんですか?」
俺は反射的に素で聞き返していた。
先輩たちは全員女性である。
若佐木さんも参加するとしたら、男ひとりに女性五、六人くらい?
「別にいいんじゃない?」
さすがに反対すると思っていた桂花が賛成に回る。
この子がストッパーというか、最後の砦だと思ってたのに。
驚いて彼女の可愛い顔を見つめると、
「もちろん、かけるといっしょに泊まるのに抵抗がある人は来ないわよ?」
と言われた。
「承知する人だけ呼べば問題はないでしょうね。わたしも参加したいです」
と若佐木さんが言う。
女性陣がオッケーしてるのに俺が反対するのもおかしい、のかな?
「では決まりですね。たぶん八月になると思いますけれど」
と紗世さんが微笑んだ。
事務所に相談したほうがいいよなぁ。
なんて考えながらとりあえず勉強に取り組む。
この日々を守るためには勉強が必要だと言い聞かせたら、何とか集中力が戻ってきてくれた。
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