第72話「紗世さんの友人」

 何を言われたのか、すぐには理解できなくて、たっぷり十秒は固まってしまった。


「え、あなたが?」

 

 と質問しながら視線は紗世さんに向く。


「ええ。この子がいたから、わたしもVに挑戦してみようかなと思ったんです」


 複雑な表情で彼女は肯定する。

 なるほど、そういうことだったのか。


 紗世さんみたいなリアルお嬢様がVを目指した理由、身近な友達に配信者がいたのなら、残っていた疑問は解消されたように思う。


「このことは誰か知っているんですか?」


 俺の問いかけにふたりの美女はそろって首を横にふった。


「かけるくんに打ち明けたのが初めてなんです」


 と紗世さんが言って、彼女が落ち着かない様子だったことに合点がいってしまう。


「わたしも身バレ対策で紗世以外にはしゃべってないですし、友達がVになったという話をしたことはないです」


 とラチカさんの中の人、若佐木さんが話す。


 たしかに切り抜きで見たことがないし、ファンの人たちの間で話題になったこともない。


 そっかー、お互いと俺しか知らないのか。

 ……えっ? かなりまずいんじゃないか?


「どうするんですか?」


 思わず紗世さんに聞く。

 運営に勝手に話したらもまずいなら、この人以外に相談相手はいない。


「……運営には報告は必要でしょうけど、大きな問題はないと考えています」


 紗世さんのきれいな顔をまじまじと見つめると、みるみるうちに真っ赤になってしまう。


「そんなに見つめないでください。恥ずかしいです」


「ご、ごめんなさい」


 極力目を見ていたつもりだったが、紗世さんの羞恥心を刺激してしまったようだ。

 

「男性にじっと見られる経験なんて、わたしたちはまずないものね」

 

 若佐木さんが紗世さんの気持ちがわかるとうなずく。

 紗世さんの同級生なら、この人も女子高育ちなのかな?


「弟さんがいるって聞きましたが」


「弟は『異性』じゃないですよ」


 あれっと思って確認したら苦笑されてしまった。

 それもそうか。


 一人っ子だからその辺の機微は全然わかんない。


「むかしは可愛かったんですけど、いまはとにかくナマイキで、何を考えてんのかなって思うことが増えてました」


 どことなくげんなりした様子になったあと、


「でも、かけるさんのおかげで久しぶりに喜んでもらえました。本当にありがとうございます」


 すぐにとてもきれいな笑顔で礼を言われる。

 コロコロと表情が切り替わる人なんだな。


「どういたしまして」


 今日会う相手がラチカさんの中身だと知ったときは驚愕したが、何とか乗り切れそうだなと安心する。


「よかったら連絡先を交換してもらえませんか? いっしょにゲームしたいです!」


 と思っていたらすぐに次の爆弾が投下された。


「いや、それはまずいんじゃないですか?」


 ラチカさんは超人気のVである。

 男とプライベートで遊んで大丈夫なんだろうか?


「どうしてですか?」


 若佐木さんはふしぎそうな顔になる。


「誰とは言わないですけど、彼氏持ちの子はいますよ?」


 そうだったのか……いや、たしかに妙齢の女性がそろっているのに、誰も彼氏がいないのは不自然なんだけど。


「それに紗世とでもプライベートで会ったことはありますよね?」


「えっ」


 ドキッとして思わず紗世さんを見る。

 彼女は目を丸くして、首と手を横に動かして否定した。


「この子、ときどき脇が甘いんですよ。気づいてるのはわたしだけだと思いますが」


 くすっと若佐木さんが笑う。


「あうぅう……ごめんなさい、かけるくん」


 紗世さんが泣きそうな表情で謝ってくる。


「うーん……」


 何とも判断に困る状況なんだけど。


「ほかに気づいている人がいないなら、若佐木さんがすごすぎるって考えていいんじゃないかな?」


 紗世さんは俺と違って何人も友達がいるはずだから。

 ばれても困らない相手にだけばれるって、紗世さんは強運なのかも。


「そう言っていただけるとありがたいのですけど」


 紗世さんはホッとするが、まだ顔は晴れない。


「じゃあ口止め料として、今度この三人で遊ぶというのはどう? わたし、口の堅さには自信がありますよ」


 若佐木さんはちらっと紗世さんを見たあと、俺の様子をうかがう。

 紗世さんは困った顔をしながら、俺の判断をあおぐように視線を向けている。


「それは大丈夫ですが……」


 紗世さんの友人で、しかもあのラチカさんなら、安全枠と考えてもいいだろう。

 ある意味で危険な人なんだろうけど、いまは考えないものとする。

 

「ごめんなさいね、かけるくん。この子、強引な一面があって。断ってもらっても大丈夫ですよ?」


 と紗世さんが言う。


「平気ですよ。三人だけの秘密でいいなら」


 と答える。


 ラチカさんが知り合いのリアル友人だったと言っても、信じてもらうのは難しいんじゃないだろうかって思う。


 俺だってすぐには信じられなかったし。


 それに紗世さんの家に桂花と三人で泊まったのもたいがい危ない橋だったと思うんだが、意外とこの人のなかでは大丈夫な認識になっているんだろうか。


 そう思うと不安でもあるし、おかしくもある。


「よかった」


 若佐木さんは安心したように笑った。

 紗世さんが大和撫子的な美人なら、この人はさしずめ西洋の天使だろうか。


 ふたり並んでいると顔面偏差値が強すぎて、目の保養になるけど圧も感じる。


「じゃ、じゃあ、らんらく先を交換してくれませんか? ……嚙んだぁ!」


 若佐木さんはたちまち涙目になってしまった。

 何だこの可愛らしい生き物は、なんて思ってしまう。


「緊張したら噛むんですよね、この子。配信だとやらないのがふしぎなくらい」


 と紗世さんがしみじみと語る様には、友人としての重みを感じる。


「は、配信はわたしじゃないってイメージでやってるから、意外と平気なのよね」


 と若佐木さんは応えつつ、頬を朱色に染めながらそっとスマホを取り出す。

 そして上目遣いになって、期待がこもった視線を向けてくる。


 そんなつもりはないんだろうけど、あざと可愛いを体現する仕草だった。

 しかもおそろしく顔がいい人がやるんだから、破壊力が違う。


 紗世さんやモルモで美人への耐性が培われてなかったら、かなりやばかった。

 

「一応リスコードは交換してますが」


 と言いながらも他のメッセージアプリを立ち上げて、IDの交換をする。


「あれはお仕事用なので……」


 若佐木しずりという本名で使ってるアプリはこっちということなのだろう。

 若佐木さんは画面を見てうれしそうにニヤニヤしていて照れてしまう。


「しずり」


 小声で紗世さんが呼びかけると、若佐木さんはハッと我に返る。

 そしておずおずと切り出す。


「あの、今日はこのあと時間ありますか?」


 と聞かれて俺は訝しむ。


「ありますが」

 

 今日は配信予定を入れていないから、ヒマと言えばヒマだ。


「ならよかったらいっしょにゲームで遊びませんか?」


 と若佐木さんに提案される。


「えっと、たしか今日は21時頃から配信する予定では?」


 雪眠ラチカの配信スケジュールは普通に公表されているし、俺も全部じゃないにせよチェックはしていた。


 だから聞かずにはいられなかった。


「ええ、それまで……20時頃までなら大丈夫ですよ」


 と若佐木さんは言う。

 彼女は俺よりもずっとベテランの配信者だ。


 そんな人が大丈夫というならそうなんだろうと考える。


「それならまあ」


「本当ですか!? うれしい!」


 若佐木さんは手を叩いて、それから紗世さんに抱き着いて喜ぶ。


「無理なら断ってくださいね」


 紗世さんは困った顔をして言うが、何だかおかしい。


 断ったほうがよさそうなことを持ちかけてきたのは同じなのに、まるでなかったかのようにふるまっているからだ。


「大丈夫ですよ。いっしょにゲームするなら」


 ふたりでデートなんて言われたら大問題かもしれないけど、そんな非常識なことは言われないだろう。


「よかったです! 楽しみ!」


 ニコニコしている若佐木さんを紗世さんがチラッと見て、


「あの、わたしも参加してもいいですか?」


 と俺に確認してくる。


「かまわないですけど、紗世さんも今日は配信予定のはずでは?」


 できるだけ同期三人が全員休むスケジュールにはならないよう、調整がはかられているのだ。


「時間までは大丈夫ですよ。21時半からの予定ですから、しずりよりもむしろ余裕があります」


 紗世さんはそう言って胸を張って、ある部分がアピールされた。

 ……こういうところ無防備なんだよな。


「なら三人でやりましょうか」


 と若佐木さんがちょっとテンションを落として言った。

 何でテンションが下がったんだろう?


「どういうゲームをプレイしますか?」


 ふしぎに思ったところで、若佐木さんはすぐに気を取り直す。


「……まずは注文したほうがいいんじゃないですか?」


 さっきからずっとしゃべりっぱなしで、まだ誰もメニューを見てすらいない。

 さすがに店に申し訳ないと思ったのだ。


「あっ」


 若佐木さんと紗世さんは初めて気づいたと可愛らしい声を漏らす。

 その後、三人で紅茶を頼み、俺以外のふたりはケーキセットも食べていた。


「甘いものは苦手なんですか?」


 と若佐木さんに聞かれる。


「いえ……」


 何となく頼みそびれただけだった。

 女性ふたりといっしょなんだから入りやすいし頼みやすいんだけど。


 もし機会があれば今度は頼んでみようかな。

 ……紗世さんたちともう会う機会ないってことはないだろう。


 三人で雑談した。


 他愛もない話ばかりで、主に若佐木さんが話して、紗世さんが補足するという形だった。


 ラチカさんは人気Vだけあって話し上手で、聞いているだけでも楽しい。

 スパチャをしなくてもいいのかな? と思ったくらいだ。


 俺がバードのアカウントでスパチャしたら、それはそれで問題になりそうだが。

 

「このあと、わたしの家に来ませんか? わたしの家ならゲームもありますよ」


 と紗世さんが提案してくる。


「そうね……かけるさんはどう思いますか?」


「ええ、大丈夫ですよ。紗世さんの家ならわかりますし」


 と答える。


「ああ、やっぱりですか」


 若佐木さんはちらりと紗世さんを見る。

 紗世さんはすまし顔で受け流している──そんな印象だ。


 何やら水面下で綱引きでもやっているような雰囲気があってちょっと怖い。


「なら決まりですね」


 誰も反対しなかったので移動することになった。

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