第44話「勉強会合宿③」
「コーヒーも普通に美味いですね。工夫とかあるんですか?」
と俺は聞いた。
「鮮度と保管方法に気をつけてる感じです。わたしはあくまでも素人ですから」
紗世さんはうれしそうに微笑む。
「なるほど」
専門的なテクニックや経験がなくても何とかなる点を抑えてるのか。
「カップも可愛くていいですね」
と桂花が言う。
「あら、ありがとうございます。お気に入りなんですよ」
紗世さんはもっとうれしそうに答える。
カップについては見落としていたな。
……まあどのみち俺にはよくわかんないか。
コーヒーを飲み終えてまったりとした時間を終え、三人分のカップを洗って勉強だ。
「まずはどこの科目からやりましょうか?」
と紗世さんに聞かれる。
「まんべんなくできないので……」
成績的には似たり寄ったりなんだよな。
「一番きらいなヤツでいいんじゃない?」
と桂花に言われて、
「きらいなのは数学ですね」
正直に答える。
数字の羅列が意味わかんないのだ。
「じゃあ数学からね。桂花さんもわからないことがあれば聞いてください」
「はい」
俺たちは返事をして教科書とノートを取り出す。
「すみません、さっそくなんですが」
と紗世さんに聞く。
「はい、どれでしょう?」
当然なんだが彼女は教えるために真横に来る。
シャンプーや香水のいい匂いが鼻に届いて、ドキドキした。
そんなこと考えてる場合じゃない!
目覚めそうになった煩悩を必死に追い出す。
俺の勉強のためにふたりは時間を使ってくれてるんだ。
できるかぎりのことはやろう。
「そろそろおやつでも食べませんか?」
と紗世さんが提案してきたのは、二時間ほど経過したころだった。
一回休憩をはさんでくれたんだが、脳が勉強で疲れているのでありがたい。
「いいんですか? 休んでも」
ただ、疑問はあった。
「集中力ってそんなにもちませんから」
と紗世さんは微笑み、桂花もうなずいて同意する。
「とくに苦手なことを頑張るのは大変でしょう」
紗世さんの優しさが染み渡りそうだ。
「紅茶とおやつの準備をしますね」
と言って彼女は立ちあがる。
俺ほどじゃないにせよ、桂花もへばっているからだろう。
「ゲームだと2,3時間くらい集中力はもつんだけどな」
勉強だと一気につらくなってしまうとこぼす。
「そんなものじゃない? 好きなことと苦手なことだと違うよね」
桂花は珍しくだらけた格好をしつつ返事する。
「そんなものか」
大したことじゃなくても認識を共有できたのはうれしいかも。
「大したことじゃない」ことすら、話せる友達いなかったからだ。
「おやつなんですけど、迷ってしまって。クッキーでもいいですか?」
と紗世さんは缶ケースに入ったクッキーを俺たちの前に置く。
「いいですよ。紗世さんが選んだものはきっと美味しいですし」
早くも彼女の趣味に対する信頼が生まれていたのでそう言う。
「かけると同意見ですね」
「そんなに期待されても困るのですが……」
紗世さんは困った顔になるが、それもまた可愛い。
紅茶を並べたところで、
「ミルクはありますけど」
と彼女は聞いてくる。
「俺はなしで」
「わたしはアリで」
俺と桂花で返事がわかれた。
桂花はミルクティー派なのかな。
「ミルクティー美味しいわよ?」
と思ってたら桂花にすすめられる。
「否定はしないけど、スイーツとミルクティーの組み合わせは……」
俺の好みにはあんまり合わないように思う。
「そうなんですねー。覚えておきます」
と紗世さんに返される。
「プリンは好きなのよね? アイスとかシュークリームは?」
桂花が聞いてきたので、
「どっちも好きだぞ」
即答した。
基本的に甘いものも乳製品は好きだ。
「ならよかったです。晩ご飯のあとにはシュークリームを考えているので」
紗世さんが言う。
「すごい」
「ありがとうございます」
桂花とふたりで驚き、彼女に礼を述べる。
「これだけいいもの食べてたら合宿中に太るかも」
と桂花がちょっと心配そうに言った。
「桂花、メチャクチャスタイルいいじゃないか」
彼女は顔だけじゃなくてスタイルもモデル並みだ。
ちょっとくらい太ったほうが健康的じゃないかという気すらしてしまう。
「スタイルの維持、苦労してるのよ?」
と桂花はちょっと口をとがらせる。
「そうなのか。ごめんな」
目に見えない努力を軽視するのはよくないな。
「ううん。かけるは知らなかっただけだもんね」
謝ったら彼女は微笑んで許してくれたのでほっとする。
そして紗世さんをじとっとした目で見た。
「紗世さんだってスタイルいいですよね。うらやましい」
「わたしも毎日運動はしてるのですよ。食べた分だけ動けば太りづらいですから」
彼女のすねた声を聞いた紗世さんは珍しく苦笑する。
「正論ですね」
桂花は舌を出す。
「よかったら情報交換しませんか?」
「いいですね。桂花さん、スラッとしていてうらやましいので、知りたかったんですよ」
女子たちはキャッキャッと盛り上がっている。
努力せずにスタイルを維持してたらずるいかもしれないが、彼女も紗世さんも維持する努力をしてるんだろうな。
気にしたことないけど太りにくい──なんてとてもじゃないが言える空気じゃないぞ。
ひとりクッキーをもぐもぐして、紅茶を飲む。
どっちも美味しくて疲れていた脳と心がいやされる。
「お疲れさま」
桂花のねぎらいの一言がうれしい。
「桂花も頑張ってたよな。お疲れ」
やばい俺と違って、桂花は有名大チャレンジするためなのだ。
よっぽどすごい立派だと思う。
「苦手なことも頑張れるかけるほどじゃないけどね」
桂花は照れ笑いで応じる。
「頑張ってなかったから、いま頑張らなきゃいけないんだよ」
何を言ってるんだかと笑う。
「それでも頑張る気になれるのがあなたのすごいところよ」
と言う桂花の声は淡々としていたが、うかつには反応できない何かが込められている気がした。
「そうなのかな」
「わたしも桂花さんに賛成ですよ」
首をひねると紗世さんが言う。
「まだ間に合う段階でしたしね。何でも頑張ろうという気になるのはすごいことだと思います」
単純にふたりが優しいだけな気がするけど、言っても否定されそうだ。
黙って褒められておこう。
紗世さんと桂花だってじゅうぶんえらいしすごいと思うので、タイミングを見て褒めてやる、なんて思いながら。
休憩が終わったあとは国語、それから理科系科目の順番で教わった。
「かけるくんはまず基礎を固めるところからですね。覚えるまで練習するのが大事でしょう」
と紗世さんに言われる。
「基礎かぁ……」
まあゲームでも同じだ。
「頑張るよ」
解き方やコツを教えてもらって、あとはくり返すだけというならやる気も出る。
「じゃあすこし早いけど、晩ご飯の準備をしようかな」
と桂花は背伸びをしてから立ち上がった。
「かけるはハンバーグがいいのよね?」
確認されたのでうなずく。
「そうだけど、何だか悪いな」
俺の好きなものを同世代の女子に作ってもらうなんて、リア充や陽キャと言われる人たちだけの特権だと思ってた。
「気にしなくていいのよ。料理するのはきらいじゃないし、気分転換にもなるから」
と桂花は笑う。
「それに紗世さんひとりに負担かけられないでしょ」
つけ加えたほうが本音かもと思った。
「わたしはべつに気にしないのですけれど」
紗世さんはおっとりとして言う。
この人は本当に気にしてなさそうだなと感じる。
「紗世さんだって俺らだけが紗世さんのために動いてたら、気にするんじゃないです?」
何となく思ったので聞いてみた。
「それはそうですね。何かしたくなっちゃいます」
紗世さんは納得したようだった。
「というわけで俺も何かしたいんですが」
と彼女が理解したところでお願いしてみる。
俺はいまのところ手料理とおやつをごちそうになり、勉強も教えてもらっているだけだ。
食器を洗うのは俺の仕事になったけど、圧倒的に足りてないと思う。
「ええっと」
紗世さんは困惑する。
流れ的に何もおかしくなかったと思うんだが。
「かけるのおかげでわたしたちの知名度あがったでしょ。その辺のお礼も兼ねてるんだから、あまりかけるに仕事をされると私たちが困るよ」
桂花が冷蔵庫から食材を取り出しながら言った。
「そうなんですよね。お気持ちはとてもありがたいのですが」
と紗世さんに言われて、考えてしまう。
配信者の世界、一応勉強しはじめたもののまだまだわかんないことだらけだ。
「俺のほうが与えすぎ」で不均衡な状態のままだと言うのなら、ふたりの言葉に甘えたほうがいいのかな?
「わかった。じゃあおとなしく甘えさせてもらうよ」
ふたりの心に重荷を与えるのは本意じゃない。
ふたりが楽になれると言うなら、何かするのはよしておこう。
「晩ご飯終わったら配信はするんだよな?」
と聞く。
猫島さんには「できるならやってほしい」と言われている。
「ええ。気分転換は大事ですから。かけるくんだってゲームしたいのではないですか?」
と紗世さんがいたずらっぽく聞いてきた。
「そりゃできるならしたいですね」
今日はまだ全然プレイしていない。
自分なりに勉強会に備えていたからだ。
「晩ご飯が終わったら準備をして、順番に配信していきませんか?」
と紗世さんの意見に俺も桂花も賛成する。
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