KAC20212 勝者

@wizard-T

あと10秒

 とりあえずは、勝者でいられる。それが、何よりも嬉しかった。


「何笑ってるんだよ、ブービーのくせに!」


 そんな事を言われるのはわかっている。でもそれより、僕はただただ満足感でいっぱいだった。








 ○○のくせに――――その言葉を人生で何度聞かされたかわからない。


 その度にカッコ悪く反論する事をやめて、僕はここまで来たつもりだった。


 でもその過程でわかったのは、世の中には二通りの人間がいるって事だ。

 一発殴った事に満足してとっとと逃げる奴と、参ったと言うまで殴る事をやめない奴。


「ところてん式ってそういう事言うんだな、まあせいぜい前回を越えろよな」


 せっかく四年生になって初めて切符をつかんだのに、こんなメールをよこして来たやつもいる。ブロックしないのはその価値もないからに過ぎないのだが、おそらくはその事に気付く事もないんだろう。

 そいつのいる大学は四年連続でシード権を取り、優勝こそしていないが欠場もない程度には安定した強豪である。素直にそこを応援すればいいのにとか言う反論を初年度だけ行い、二年目以降はもう諦めている。


 僕が進んだ大学は、偏差値はともかく箱根駅伝においてはほぼ弱小チームだ。





 8位→10位→9位→9位。

 

 ブービー→ブービー→最下位。


 予選会における順位と、本選における順位だ。


 毎度毎度、ギリギリボーダーライン。そして出ても最下位争い。


 予選会だけは強い。本選はオマケ扱い。いい加減シードを取れ。


 そんな言葉が無責任に、かつしっかりと毎年飛んで来る。もちろんこの現状を変えようと僕らも監督も学校も張り切ってはいる。


 だがその上でなお、この結果なのも現実だった。


 他校だって努力している。予選会を通れるだけでも強いと思え。しょせんはランナーのポテンシャル次第。

 そんな現実を前にしても、僕らはあがくしかない。


 ましてや箱根駅伝の枠は10+6しかなく、僕はその+6の枠に入った事はあっても10に入った事はない。







「覚悟はしてなかった訳じゃないけど、実際に選ばれた上でああ言われるとな」

「先輩……」

「ああいいんだよ、その代わりのあいつには目いっぱい走ってもらわないとな」


 二年生の時、初めて10+6の6に選ばれた時。


 エース格だった先輩の調子がいまいちだったので二区に配置された先輩が、当日変更でメンバーを外された。


 二区と言えば箱根駅伝の花であり、誰だって一度は走ってみたい場所だ。

 権太坂の苦難を味わってみたい。最後の3キロの坂に打ちのめされてみたい。そんな欲望を僕はずっと抱いていた。

 そう言葉にすると変態じみているが、それでも一度は味わってみたい場所である事に変わりはない。


 なおそのエースであった先輩が二区に回ったのは本来交代予定だった八区の同級生(なお今年二区を走っていた)の調子が予想外に良かったせいであり、実際そいつは区間11位と言う、僕らの中で一番高い区間順位を叩き出した。


 ちなみに自分はその時補欠メンバーとして15番のユニフォームを着たが、する事は何もなかった。だがそんなのはどうでも良かった。この場にいられる事が嬉しかった。


「まったく、優勝校から30分離されてブービーのくせに!」


 あいつはうちの学校がゴールした傍からこんなメールを送り付けて来た。全てが終わった帰りの最中に無言でゴミ箱に放り込むと、すっかり忘れて来年の事を考える事にした。






「なんだよ、どうせ走れないくせに」


 それから一年九か月後の予選会通過日。あいつはまたこんなもんを寄越して来た。


 僕のタイムは決して上等じゃない。そんなボーダーラインレベルの大学の10~13番手と言う立ち位置から、一歩も動けないまま四年間過ごして来た。

 もちろん箱根駅伝が陸上生活最後のレースだし、これ以降陸上と関わるつもりもない。今後はただの地方公務員になる。


 それの一体何が悪いと言うのか。走れないなら走れないなりに、四年間その気でやって来た。


 今更あんな奴に哀れまれるほど僕は落ちちゃいない。


 四年目にして悲願の「10」の方に入る事が決まった以上、立ち止まりたくないだけだ。


「今更、いや欲しくないとは言わないけどさ……」


 僕はその時、四区のコースの事だけを考えていた。序盤は平坦だが後半になると箱根の山に差し掛かる登りがやって来る、決して派手ではないけど結構重要な区間。

 ましてやうちの場合、トップから15分遅れると繰り上げスタートと言う悪夢との戦いもある。


 その戦いを僕がしなければならないと思うと、正直嬉しいのだ。





 果たして、12分27秒差の最下位。


 2分33秒以内の差にとどめなければ、タスキがぶった切られてしまう。


「ピストルの音を聞かせてやろうか?」


 あいつはスタート前にそんなもんを投げ付けて来た。

 わかり切った事じゃないか。間に合ったとしてもどうせ数十秒だ、どっちみち聞く事になる。最下位でなくなればそれでいい。


 タスキを結ぶ。最初で最後の経験。後は走るだけ。




 すべてがそのまま。見ていた通り、感じた通り。


 最下位らしくひとりぼっちだが、それでも先導バイクと監督車、何より観客の皆さんがいる限りぼっちにはならない。


 そして首尾よく、ちょうど中間点の当たりで前のランナーを見つける。

「1分24秒!」

 監督からの数字に従う訳でもないが、着実にペースを上げる。


 と言ってもキロ当たり3分3秒であり、その時の区間賞のランナーの10キロのタイムが28分11秒だったのと比べれば圧倒的な差がある。


 だが全速力だ、10キロのベストが30分39秒のランナーにとっての全速力だ。


 とりあえず、抜いてみた。だが別に余力がある訳でもない。ただただ、走ってやるしかない。


 それしかしようがないのだから。


 走る。走る。走る。そのためにこの戦いを続けてきた。



「先頭がタスキをつないだぞ!」




 あと4.5キロ。間に合うか否かわからない。


 確かな事は一つだけ。僕にはもう次はないと言う事だけ。


 四年生として、いや僕として何をするか。


 ってバカバカしい、答えは決まっているじゃないか。


 走る。走る。走る。


 1キロ3分10秒のリズムを刻みながら、走るだけ。




 バイクがくっついている。いわゆるバイクリポートだろう。

 間に合うのか否か騒いでいる声が、やけに遠く聞こえる。数年前の僕と同じだ。

そんなのはもうどうでもいい。

 どうでもよくないのは、タスキだけだった。




 なんとなく早目に外して、握りしめてやる。




 

「あと1分だが大丈夫だ!」

「はい!」


 監督に続き、後輩の声が聞こえる。ついでに先ほど抜いたランナーの息遣いも聞こえる。

 そこに余計な雑音はなかった。




「無事タスキリレー!」




 それから10秒後、倒れ込みかかった僕を支えるタオルの感触を全身で感じ取ってからだと5秒後に、銃声が鳴った。


 ある意味日本一残酷な銃声。幾度となく希望を奪って来た銃声。



 その音も、今はただ心地よかった。

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