走る僕たち 流れる汗もそのままに

流々(るる)

KAC2021-2

「このカレー、美味しいですね」

「鈴木くんもそう思った?」


 僕が助手をしている探偵事務所の近くに新規オープンしたインド料理店へ昼食に来ていた。向かいに座っているのは僕の先輩、武者小路 耕助さん。我が武者小路 探偵事務所の所長をしている。その観察力やひらめきには舌を巻くけれど、素直過ぎる性格でめんどくさい一面もある。


「ただからいだけじゃなくって、クミンやコリアンダーの風味が生きてるよね。ガラムマサラも効いてるし。マトンも旨みとコクがある。ナンだって外側はパリッと、中はもっちり、ほんのり甘みもあってさ、美味しいよねぇ」


 はいはい。僕にはよく分かりません。ただ美味しいと感じただけですから。

 さすがに全国有数の商社であるエムケー商事の御曹司ともなれば、舌も肥えているんだな。


「この辺じゃ一番おいしいカレー屋さんかもしれませんね」

「それどころか百済菜くだらな市でも一、二を争うほどじゃないかな」


 僕たちが生まれ育った百済菜市は昔から菜の花栽培が盛んだった。春先にはあたり一面が黄色に染まる。そして数十年前に、かの国から伝わったとされる仏像が古寺から見つかり、市の文化財に指定されたことがきっかけでこの市名となった。

 今月に入ってからは仕事の依頼がなく、今日もゆったりとしたランチタイムを楽しんだ。


「事務所に帰ったら何をしようかなぁ」

「また謎解きの練習でもするかい?」

「いいですね。どうせ暇だし」

「だから鈴木くん、いつも言ってるよね。我々が暇だということは――」

「百済菜市が平和な証拠、ですよね」

「そういうことだよ」


 まさに平和な会話は突然の出来事で幕を閉じた。

 角を曲がったところで、犬を連れて散歩していたおばあさんと僕がぶつかってしまった。先輩へ目線が行っていたので前を見ていなかった僕の不注意だ。


「ごめんなさい。大丈夫――」

「ひぃやぁーっ!」


 僕が謝ろうとしていたのに、奇妙な叫び声でさえぎられた。先輩が固まっている。

 あちゃー、犬か。

 先輩は動物、とくに犬を苦手にしていた。小さなころに追いかけられて噛まれたことがトラウマになっているらしい。

 以前、犬の世話を頼まれた仕事のときは僕が代わりに泊まり込みで斜礼しゃれ町まで行ったっけ。あの時に世話をしたゴールデンレトリバーのポールは元気かな。

 なんて考えているうちに、先輩がとつぜん走り出した。


「あっ!」


 ぶつかった拍子なのか、先輩の大きな声に驚いたのか、おばあさんがリードを離していた。

 連れていたコーギー(あの胴長に短い脚、利口そうな顔は間違いない)が、先輩のあとをリードを引きずりながら追いかける。


「先輩、走っちゃダメ! 止まって‼」

「だって犬がぁー」


 いつもよりトーンの高い声が遠ざかっていく。

 もぉ、しょうがないなぁ。

 おばあさんにはここで待っててもらうように話して、一人と一匹を追いかけた。

 コーギーを気にして後ろを振り返りながら先輩は走っている。これならすぐに追いつける。コーギーも遊んでもらっているつもりなのか、スピードを合わせているようだ。

 百メートルほど走ったあたりでリードをうまくすくい上げた。


「先輩、もう大丈夫ですよ」


 声を掛けて徐々にスピードを落とす。

 立ち止まった先輩に追いつくと、コーギーは嬉しそうに見上げている。


「ほら、噛みついたりしないでしょ。遊んでもらえていると思って追いかけたんですよ」

「そんなこと言ったってさ、犬の気持ちなんてわからないし」


 辛い物を食べた後に走ったりしたから、おばあさんのところへ戻る頃には二人とも汗だくになっていた。

 おばあさんへコーギーを渡し、あらためてお詫びをして別れた。


 事務所が見えるところまで来るとビルの前に誰か立っている。紺色のベレー帽にピーコート、あの服装は豪徳寺 美咲さんだ。

 彼女は先輩のフィアンセで、イギリス留学を終えて帰国してからは毎日のように事務所へ顔を出している。ただ困ったことに、僕と先輩の仲を疑っていて――。


「またお二人だけでどちらへ行かれていたのですか? そんなに汗をかかれて」


 挨拶も抜きでいきなり疑惑の目を向けてきた。

 ビルに入り、階段を上りながら事情を二人で説明する。


「それは災難でしたわね。耕助さま、お怪我はありませんか」

「ええ、まぁ」


 さすがの先輩もバツが悪そうにしている。

 それをごまかそうとするつもりなのか、手帳を開いて何やらメモし始めたかと思ったらすぐに顔を上げた。


「それじゃ問題。Aチームは汗、Bチームは血。はいはい、メモしないと分からなくなっちゃうよ」

「え、もう謎解きが始まったんですか?」

「また耕助さまが出題されるのですね。わたくしもチャレンジします」


 美咲さんはバッグから手帳を取り出した。僕もあわてて席に戻り、ノートを広げた。


「準備はいいかな? それでは次。Aチームは目、Bチームはくち。どんどんいくよ。Aチームはとげ、Bチームは突。突撃の突だね」

「ちょ、ちょっと待ってください。もう少しゆっくりお願いします」


 問題の意図も分からないまま、とりあえず三組目までは書き留めた。


「四組目はAチームが辛み、Bチームは苦味。そして最後、Aチームは前。ではBチームは?」


 は? 何これ。こんなので答えが出せるの?


「先輩、いつものように解くカギというかヒントをくださいよ」

「今回はノーヒントで」


 そう言うと立ち上がって奥のミニキッチンへと向かっていく。一息ついたので珈琲を淹れてくれるらしい。

 それにしても、あっという間にいつもどおり先輩のペースに戻されてしまった。コーギーの件でしばらくは強く出れると思っていたのに。


「耕助さま、これってチームごとに共通点があるような気がするんですけれど」

「うーん、まぁそうですね。チームごとというか……」

「どちらか一方ですか?」


 お盆の上に三人分のカップをのせて微笑みながら戻ってきた。分かりやすいんだよなぁ、先輩は。なんだかんだ言って美咲さんには甘いし。

 どちらか一方に共通点か。ということはBチームだよな。そうじゃなければ最後の答えを導けない。Bチームに共通点がなければ、どんな答えでもOKになってしまう。


「ヒントとしては今日の出来事、かな」


 ソファに腰を下ろし、左手にソーサーを持ちながらマイセンのカップを口に運んだ先輩が僕へ言った。

 出来事と言ったってカレーを食べてコーギーに追いかけられたくらいだし。辛いものを食べて汗をかいたけれど、どちらもAチームに入っている。

 Bチームは血、口、突、苦み。この共通点ってなんだろう。順番は重要なのかな。Aチームは汗、目、棘、辛み、そして五番目が前。AとBの関係だって何かあるはず。

 血と汗の結晶、目は口ほどにものを言う。AとBの順番が違うからこれも駄目。

 うーん。もやもやする。


 走って汗をかいたせいか喉が渇いて珈琲を飲み干した。

 先輩も同じみたいで、空になったカップを置いた。


「あら、耕助さま、おかわりの珈琲をお持ちしましょうか。それとも何かお菓子でも召し上がりますか」

「あ、いや。食べたばかりでお腹がいっぱいなんです」

「そうですよね、お食事を済ませたばかりとお聞きしていたのに。わたくしとしたことが」


 美咲さんがペンを置き、両手を膝の上でそろえて軽く頭を下げた。


「つい先走ってしまいました」

「あ」


 急に先輩が口を開けたまま固まった。


「……美咲さん。正解です」

「え?」「はい?」


 驚いたのは僕だけじゃなかった。正解と言われた美咲さんも小首をかしげている。

 何のことだろう。

 彼女は「先走った」と言ったけど……ん? 待てよ。


「そうか!」

「鈴木くん、分かったのかな」

「はい、分かりました。今日の出来事がヒントって『走った』のことだったんですね」

「いいところに気がついたね」


 Bチームは血走った、口走った、突走った、苦み走った、すべて意味のある言葉になる。Aチームは汗走った、なんて言わないけれど、どれもBの言葉と関連がある語句だ。

 問題の五番目はAが前。関連のありそうな言葉で『走った』をつけて意味のあるのが『先走った』、答えは『先』だ。


「あの短時間で思いつくなんて、さすがです」

「なにせ私はただの探偵ではなく、探偵だからね」


 犬に追いかけられているのも可愛かったけれど、やっぱり先輩はこうじゃないと。 

 意図せず答えを言った美咲さんが浅く座り直して身を乗り出した。


「正解したご褒美に、そのカレー屋さんへ連れて行ってくださいます?」

「もちろんです。あのお店は美味しいですよ。こんど三人で行きましょう」


 あーあ。そこは二人でしょ。

 ほら、美咲さんが途端にふくれて僕をにらんでいるじゃないですか。

 その鈍いところも先輩らしいけれど、ね。




―― 了 ―― 

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