第3話 あなたのことは忘れません

「父さん! 長老!」


 僕が人の姿になってから、この木々を囲んだ林道の場所に戻ってきたのは初めてだ。

 もう、僕とは住む世界も何もかも違うと感じていたから……。


 今だってそうだ。

 セミの時には大きすぎた木の切り株の広場も、この人間の体格になったら、ちっぽけな腰かけにしか過ぎないことも……。


「どうした、何があったんだよ?」


 その場所で何かしらあって暴れまわったのか、焦げ茶の土にまみれてボロボロの姿で転がっているセミたち。


 周りにも仲間が同じようにして我が家のある木々から落ち、少し湿り気のある地べたで仰向けに寝ていた。


 あの父さんもだ。

 周囲の生気がないセミと同じく、拾い上げた父さんも体が冷たくて、全身も固くなっていた。


「父さん、今までありがとう」


 僕は今まで育ててくれた感謝の意を込めて、父さんだった物を木陰の土へと埋める。

 すると、隣からいつものしわがれた老人の声が耳に入った。


「……おお、その声は731なのか。どうしたんじゃ……」

「長老、ここで何があったのさ?」


 どうやら僕の近くにいた長老のセミだけはまだ動けて、息があるようだ。

 僕が口をゆっくりと噛みしめるように、続きを話そうと長老に近寄り、その軽い体を持ちかけた瞬間……、


「──よっしゃ、これでこの周辺は全滅だぜ♪」


 ……僕の隣を横切り、一人の丸坊主の男児が自身の足元でのびていた一匹のセミの体を豪快にワシッと掴んでいた。


「ハチだけじゃなくセミに対してもやっつける効果がある魔法のようなスプレー。色々と調べて手に入れて正解だったぜ」

「ああ……だけどせっかくの宝の山たちなのにもったいねえよな」

「しかたねえだろ、邪音じゃねお姉ちゃんはセミに触れられても、あまりセミ自身が得意じゃなんだからさ。

鳴き声がうるさいし、すぐに寿命だから持ち帰るたびに逃がしなさいだからさ。正直、毎回困っていたぜ」


「……だな。それにしても、こりゃ、この破壊兵器でお前んの近所のやつらは全滅したな。ようやく長かった第二次セミー戦争も終わりだよな」

「おいおい、俺らは異星人と異世界戦争してたのかよって……あれ?」


 そんな能天気なつらをしている小学生路線一直線な二人組の少年のうちの一人と、セミを大事に手のひらに納める僕との目線がぶつかり合う。


「何だよ、通りすがりの兄ちゃん? まだそのセミ生きてるな……。

まさかまだ生きているうちの新鮮なセミが好きなのか? まあ、見た目はともかく唐揚げにしたら香ばしくて美味しいらしいけどさ」


 この生意気な口ぶりで坊主頭の少年には見覚えがある。

 あの時、僕を見つけて連れ去ろうとした天埜川邪音あまのがわじゃねの弟の芒次ぼうじに間違いない。


 少年とコンタクトがとれる少し離れた場所で、セミを青い金属製のトングで嫌々と摘まみ上げ、透明で大きなビニール袋に入れているのは彼の友達だろうか。


 その友達が芒次の『唐揚げ』の言葉に聞き耳をピンと立て、ゲッソリとした血相になり、芒次の方に口を挟む。


「ゲッ、芒次、こんなウル○ラ怪獣のようなセミ野郎なんて食うのかよ!?」

「いや、俺は食べたことないぜ。噂で聞いただけさ。ちなみにの唐揚げはもっと美味らしいぜ。

箸でつかんでヤツとの目が合わないよう、意なだけにさ」


「……うわっ、とんでもない料理だな。それ、どこからの噂のソース(情報)だよ!?」

「ああ、チリソースみたいにしたら最高らしいぜ……あれ、兄ちゃん。どこへ行くんだよ?」


 まあともかく、これ以上ここにいてもセミたちの調理の方法が知れるだけで現状は変わらない。

 仲間同士の共食いなんてもってのほかだ。


 僕は下手に騒ぎを大きくしないよう、長老ゼミを手にしたまま、黙ってこの場を立ち去ることにした……。


****


 夕焼けが反射する川のせせらぎが聞こえる土手付近で足を止め、優しくつむっていた両手をゆっくりと開く。


「長老、大丈夫かい?」

「……その声は、やはり731に間違いないのか?」

「ああ、そうだよ。見てくれよ。長老のお陰で人間になれたんだ。名前も僕が考えて、今は瀬三居せみいって言うんだよ」

「そうか、それは良かったのう」


 手のひらの中でのセミは羽を微かに揺らしながら、喜んでいるように見えた。


「だが、残念じゃが、あの植えつけは失敗じゃ。お主はもう時期、命を無くす」

「……やっぱりそうなのか」

「何じゃ、気付いておったのか?」

「まあ、写真に写らない所からうすうすとはね」


 ゆるやかに流れる川に目線をやりながら、信じがたい現実を受け止めきれない僕は、草刈り機で丁寧に刈りとっていた地面に腰を下ろし、長老と静かに語り合う。


 周りから見れば、ジリジリと鳴くセミにひとりごとのように対話する怪しい人物に成りかねないな。


「そうじゃ。その体はすでに魂の抜けた器で、幽霊のようで意思疎通ができる思念のみで実在しとるから、お主の姿が写真に写らないのは当然じゃ……」


「……まあ、その生命反応の消えかかったオーラからして、もって明日までじゃな。その反応としてお主……」


「……ワシを包んでおる親指の先が消えかかっておるじゃろ」


 確かにそう言われると僕の両手の親指の第一関節は、指の上から境界線でも引いたかのようにスッパリと切れていた。


「僕はこれからどうなるのさ?」

「この十本指がすべて消え去ったら、お主は跡形もなく姿が消えて天へと昇る」

「そうなんだ。でも僕はまだやりたいことがあるからさ」


 そう言って僕は、ふと話し声がした向かい岸に横目を反らした。


「──ほら、オラを捕まえてごらんよ」

「きゃはは、あんたメスのカマキリ相手に何発情して叫んでるのよ、ほんとキモいわ」


 その向こう岸で原っぱに座って、仲良く会話をしている? 若い男女の恋人を見て、心の中で何かの感情が揺らぐ。


「……そうか、あの人間の娘との恋仲か。精々頑張るんじゃぞ……」

「うん」


 長老はそんな僕の気持ちに気づいていたようだ。


「…………」

「長老……長老!!」


 それから僕は何度も呼びかけたが、もう反応がない。

 それっきり長老は動かなくなったのだった……。


****


「──お疲れ様。あなたのことは忘れません」


 僕は父さんと同じように、手で柔らかい土を探り当てて穴を堀り、長老も土へと埋葬した。


 取りあえず、もう日が沈んで辺りは暗い。 


 これ以上闇雲に行動をしたら、あの子供たちのように、悪意の持つ人間によって襲われる可能性だってある。


 まだ人の姿だから、背中に羽は生えてないが、どこか休める場が今の僕にも必然だ。


 僕は『セミ』という旧友の仲間との名残惜しい別れをし、目から水が溢れてくる現象も理解できずに、今日は川の橋の下にある物陰で休むことに決めたのだった……。

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