飛脚失格

くまゴリラ

飛脚失格

 昔、鳥居強右衛門とりいすねえもんという武士がいたらしい。

 武田軍に包囲された城から脱出し、17里ほど──約65km──を走り抜いて増援を要請。

 自身の命と引き換えに自軍に勝利をもたらしたという。


 かの太閤秀吉は、主君である織田信長の死を知ると備中国高松──現在の岡山県──から京までを信じられない速度で移動した。

 その際、足軽達は自分の足で必死に走ったそうだ。

 その信じられない移動が功を奏し、太閤秀吉は天下を取れた。


 歴史を見てみれば、長距離を走り抜いた者は多くいる。

 それらの者達は戦の勝利というわかりやすい目的、大義があったから走り抜くことができたのだろう。

 では、俺にはそれが……大義があるだろうか?

 それが……意外にもあるのだ。

 今あげた例のような天下の差配に関係するようなものではない。

 しかし、幸せな結末のためと思えば、先人達と同じくらい重い大義であると俺は思う。


「今日はどこまで走るかな?」


 俺はそう呟くと左頬に残る一文字傷を軽くいた。



 俺は飛脚をしている。

 なって半年の新米だ。

 なりたくてなったわけではない。

 商家の四男坊で行く宛のなかった俺は、唯一の取り柄である足の速さを活かすためにこの業界に飛び込んだのだ。

 この業界、なってみると意外と面倒臭い。

 飛脚を利用する人間は、いつも同じ飛脚を利用する。

 同じ飛脚ではないと信用できないそうで、突然現れた新人に仕事を依頼する人間がいないのだ。

 何でもいい。

 自分の全力を注ぎ込めるような仕事がしたい。

 誰かを幸せにしてみたい。

 だが、そんな願いは叶わず、その日も暇を持て余していた。

 仕事を始めたのにも関わらず、無職の時と同様に街中をぶらぶらしていると、一人の娘に声をかけられた。


「すいません飛脚さん。この文を都に出稼ぎに行っている男性に届けていただけないでしょうか」


 俺はその娘の顔をしげしげと見つめてしまった。

 この娘はここらで一番大きな商家の長女だ。

 金持ちなのだ。

 多くの店子たなこがいるのだ。

 わざわざ自分で飛脚に依頼する必要のない人物なのだ。

 つまり、この娘は家に関係する者に、この文の存在を知られたくないのだろう。

 しかも、届ける相手は男性ときている。


「恋文か……」


 俺は思わず呟いてしまった。


「……違います」


 娘はそう言うと寂しそうに微笑んだ。


「報酬は充分にお支払いいたします。この町の誰にも気付かれないように届けていただけないでしょうか……」


 この娘の実家はヤクザな商売で成り上がったことで有名だ。

 婚姻前の娘が男と逢瀬を重ねていたなどと親に知れれば、男の方は殺されてしまうだろう。

 ましてや、文を届けただけとはいえ、俺も恨まれる可能性がある。

 ……そんな面倒臭いことに巻き込まれるのは御免だ。

 俺は断ることにした。


「無理だ」


「そう……ですよね……。無理を言って申し訳ありません」


 肩を落とし、力なく立ち去っていく娘の背中は今にも消え入りそうだった。



 俺はとんだお人好しだと思う。

 一度は断った依頼を受け、長距離を走ったのだから……。

 しかし、走り続けるのは、なんとも辛いものだ。

 やる気が保たない。

 それこそ、届ける文が歴史を揺るがすような内容であったり、幸せな結末を予感させるようなものであれば、俺のやる気も出ようというもの。

 すでに徒歩になっていた俺は手の中の文をジッと見つめてしまった。

 万が一ということもある。

 本人も恋文ではないと否定していたのだから、歴史を揺るがす内容かもしれない。

 ……。

 俺は、文を確認することにした。


『何からお伝えすれば良いのでしょうか。

 もっと早くにお伝えすることもできたのに、いたずらに時を費やしてしまいました。

 伝えなければいけないことがあるのに、その言葉を紡ぐのがとても辛い。


 貴方をお慕いしております。

 しかし、もう貴方と会うことはできなくなりました。

 父が私の結婚を決めてしまったのです。

 私には、この結婚を拒絶する力がありません。

 私のことは忘れてください。

 遠くから貴方の幸せを願っています』


 ……読むんじゃなかった。

 文を読む前にはあった、なけなしのやる気が霧散した。


「こんなもん届けてられっか!」


 俺はそう叫ぶと文を細かく破り捨て、来た道を戻ることにした。



「今日もいい日和だねえ」


 初めての仕事を思い出しながら茶屋で呑気に茶を啜っていると、いかにもな風体のゴロツキに囲まれた。


「てめえ! やっと見つけたぞ!」


「どちらさんで?」


 俺は新しいお茶を湯呑に注ぎながらとぼける。


「てめえが半年前に誘拐した娘の商家の者だ! しらばっくれるなよ!? 誘拐の時に俺が切った左頬の一文字傷が証拠だ!」


「これかあ」


 俺は白々しく言うと左頬の傷痕をく。

 俺を印象付けるために切られたのは無駄じゃなかったらしい。


「お嬢をどこへやった!?」


 男が刀を抜く。


「俺は飛脚だぜ? あの娘はな……いるべき場所に届けたんだよ」


 俺はそう言うと同時に湯呑に入った熱々のお茶を男の顔にかける。

 と、同時に怯んだ男の脇をすり抜け、そのまま包囲網を潜り抜ける。


「どうしたあ!? 俺を捕まえんと、娘の居場所がわからんぞ!」


 俺はそう言うと男達に向かって尻を叩く。

 男達が顔を真っ赤にして向かって来る。

 そうだ。

 それでいい。

 お前らは俺を追って来い。

 あの娘は今頃、俺の進行方向とは逆に向かっているさ。

 愛する男と終の住処を探してな。

 だから俺は走れる。

 大義があるからな。

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