第10話 不意打ち

 胸が張り裂けそうだ。 

 なんか頭がクラクラする。


 目を瞑って無防備なエリの肩を掴むと、彼女の華奢な体が俺の手に収まった。


 後ろはベッド、両サイドは俺が固めている。

 もう彼女に逃げ場はない……キス、していいんだ。


 俺は彼女に吸い込まれていく。

 勇気云々とかそんなんじゃない、ただ本能的に体が動いている。

 目を瞑り、俺はエリの顔に迫る。


 そしてついに、ついに念願のファーストキスをした。


 俺の唇に何か柔らかいものが当たっている。

 これがエリの唇なのか?


 俺はうっすらと目を開けた。

 すると、目の前にエリの顔があって……手がある?


 よく見ると俺とエリの唇の間に彼女の細い指が挟まっていた。


「ふふふー、引っかかったなー!」

「え、どゆこと……」

「びっくりした?キスしたって思った?」

「あ、あれ……」


 俺はものすごい達成感から、一気に崖まで突き落とされたような気分になった。

 そしてさっきまで真剣な表情で彼女にキスを迫っていた自分を冷静に思い出して死ぬほど恥ずかしくなった。


「今日はキス、お預けだって言ったでしょ?なのに唇奪いにくるとかワクミン大胆ー!」

「だ、だってエリがそんな雰囲気出すからじゃないか!」

「あれれ、怒った?」

「……ちょっと怒った」

「ごめん、調子乗りすぎたかな?」


 俺は別にエリに怒ってなどいなかった。

 どちらかと言えば自分に腹が立っていただけだ。


 だけどエリは心配そうに俺に謝ってくるので、もう拗ねるのも怒るのもやめることにした。


「だ、大丈夫だって俺もちょっと残念だっただけで……うん、でもエリの指にキスしちゃったし」

「ふふ、じゃあ私のお手手とチュッチュしちゃうー?」


 エリは手で狐を作り、俺の唇をツンツンしてきた。

 

 そのあとはまた二人でゆっくりと話をした。

 もちろん太ももは欠かさない。


 しかし俺がエリの太ももにうっとりしていると、部屋のドアが突然開いた。

 それに驚いた俺はとっさにエリから離れた。


「エリ……あら、お邪魔だった?」

「もう、お母さんノックくらいしてよ!」

「ごめんなさい、よかったらお友達もご飯食べていかない?」


 エリのお母さんにそう言われて、俺は二日続けて佐藤家で晩飯をいただくことになった。


 昨日と同じキッチンで、エリのお母さんが出してくれたのはカレーだった。


「簡単なものでごめんね。エリも食欲戻ったなら食べなさいよ」

「はーい」


 おばさんはカレーを俺たちの前に置くと、気を利かせたつもりなのか「エリ、ファイト」なんて言って別の部屋に行ってしまった。


「お母さんったら、私とワクミンの事絶対勘違いしてるー」

「そ、そうなの?」

「うん、多分私の好きな人とかそういうのだと思ってる。彼氏なのにね」

「うん……」


 親が家にいる状況でも俺の隣にくるんだ、なんてことは思っただけで敢えて突っ込まない。

 しかしエリの言葉の中で少し引っかかることがある。


 エリは俺の事を好きなのか?

 もちろん付き合うとは、お互い好きだからという理由が大前提だと俺は思っている。

 しかしお試しで交際したり、相手の熱意に負けてとりあえず付き合ってみた、など必ずしも両想いだからというケースばかりではないことも、自称ラブコメ作家としては一応知識として持っている。

 それに俺だって付き合おうと言われた時はエリの事を好きだったわけじゃない。

 だから今の関係性があまりに曖昧過ぎるのは変わらない。

 

 しかし付き合おうと言ってきたのはエリからだし、ここまで仲良くなっておいてキスまでしてくれて(ほっぺだけど)今更疑う余地なんてあるのか?


「ワクミン、カレーが口についてるよ」

「え、どこ?」

「ふふ、取ってあげるね」


 ティッシュで自然に俺の口を拭いてくれるエリは、なんだかとても幸せそうに見える。俺といて何がそんなに嬉しいのかな……


「ねぇエリ、お、俺と付き合った理由は……聞いたらダメなんだよな?」

「うん、ダメー」

「じゃあさ……俺のこと、好きなの?」


 俺はエリではなく正面のカレーを見ながら思いきって聞いた。

 正直これは告白するよりも恥ずかしい。


 もしかしたら「そんなわけないじゃん」なんて言われるのが怖くて聞けなかったが、今日の雰囲気なら何かいい答えが待っているんじゃないかなんて期待もあった。

 

 エリは俺の質問に少し恥ずかしそう答えた。


「言わないとダメ?」

 

 真横で超完璧な顔面を赤くして上目遣いで迫ってきた。

 俺はそれだけで言葉を失いそうになったが、それでも今日は俺の好奇心が勝ってしまった。


「き、聞きたい……って言ったら?」

「……いじわるぅ」


 なんか照れてる。これは……やっぱり俺のことを……


「で、でさ……どう、なの?」

「んー、じゃあ教えてほしかったら交換条件だしちゃおっかな」

「う、うんいいけど」

「ほんと?それなら」


 エリはカレーの最後の一口を口に入れて席を立つと、どこかに行ってしまった。

 そしてすぐに戻ってくると、手に何か持っている。


「オ、オセロ?」

「うん、私得意なの。勝ったら教えてあげるー」


 結局はぐらかされた。

 エリから直接「好きだよ」と聞けなかったことにがっかりはしたが、オセロに勝てばその答えは聞けるということだから俺もすぐにカレーを食べ終えて隣のリビングに場所を移した。


「一発勝負だよワクミン、いーい?」

「う、うんわかった。じゃあ俺は黒で」


 オセロなんてパターンが決まっているので、端と角さえ取られないように気を付ければ最後には勝てるだろうと俺は思っていた。

 しかしだ、そもそもオセロを真剣に誰かとやった記憶なんてなくて、戦略や先読みを駆使した相手と対戦するとここまでひどい結果になるのかと思い知らされた。


「はい、これでおしまい。ワクミンよわーい」

「……強すぎない?」

「だから私強いって言ったでしょ?へへーんだ」


 どや顔で威張るエリははしゃぎながら俺の隣に来た。


「残念だったねー」

「……約束だから仕方ないよ」

「でも、太ももは触っていいよ?」

「う、うん」


 結局お触りで黙らされる辺り、俺は相当エリに手懐けられているのだろう。

 まぁ飼い犬だろうと飼い猫だろうとこの太ももにあやかれるなら何でもいいなという気持ちになっていき、おばさんが家にいることなどとっくに忘れてエリの太ももに夢中になっていた。


「この後どうする?また部屋来る?」

「いや、エリも病み上がりだろうし今日は帰るよ。小説も仕上げないと」

「じゃあ明日は一緒に登校しようね」

「うん、もちろんだよ」


 エリが元気過ぎて当初の目的を忘れていたが、今日は彼女の看病に来ていたのだった。

 だから調子に乗って長居して、またエリが体調を崩しては本末転倒だ。


 俺は名残惜しい気持ちを押し殺して、家に帰ることにした。


「今日はそこまで見送るね」

「い、いいよエリはまだ体調が」

「いいのいいの、外の空気吸いたいし」


 家を出る前におばさんに挨拶をすると冗談っぽく「泊まっていかないの?」なんて言われた。この悪戯好きな性格は母譲りなのだろうと理解しながら俺は頭を下げた。


 そして家を出てすぐの交差点まで送ってくれるというので、俺はエリと並んで薄暗くなる道を歩いていると、彼女が手を繋いできた。


「へへ、こうしたかったの」


 もうすっかり彼女に触れるのも触れられるのも慣れたつもりだったが、それでも不意にこういうことをされると体が熱くなる。


 あっという間に交差点まで来てしまった。

 本当にあっという間だった。


「エリ、ここでいいよ。ありがとう」

「うん、お見舞い来てくれて嬉しかったー」

「う、うん俺もエリが体調良さそうでよかったよ」

「ワクミン優しいね。うん、優しい……」


 ここでいいよと彼女を帰そうとするのだが、なかなかエリが離れない。

 もちろん振り払って追い返すわけもなく少しだけその雰囲気に浸っていると、エリが俺に小さな声で話してくる。


「お見舞いのお礼、まだだったよね」

「え、それはキスしてくれたから」

「あれはお土産代だよ。だから……」


 俺は一瞬の出来事に全く反応できなかった。

 少し背伸びして、エリが俺にキスをした。


 ほっぺでも、指でもなく……俺の唇にキスをした。

 あまりの衝撃に俺は何が起きたのかもよくわからないまま立ち尽くした。


「えへへ、しちゃった♪」

「え、なんで……」


 夕暮れ時だからではない、もう俺の視界は狭く暗い。

 さっきまで俺の唇に触れていた彼女の口しか目に入ってこない。

 心臓が破けそうなくらい脈打って立ち眩みがする。


「私、ワクミンみたいに国語得意じゃないもん……」

「え?」

「だからー、気持ち、伝えるの難しいの……これでわかってくれた?」


 もじもじする目の前の可愛いギャルは俺にそう言ってからもう一度距離を詰めてきた。そして耳元で「今度はワクミンからしてね」と言ってすぐに去っていった。


 俺はまだ足が動かなかった。

 手を振りながら暗闇に消えていくエリをそのままずっと見ていた。

 彼女の姿が見えなくなった後も俺はしばらくその場に立っていた。


 そしてしばらくしてようやく我に返った俺は、ゆっくりと家に帰ることにした。

 

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