第9話 甘噛み
朝、エリからラインが来て今日は学校を休むと聞かされた。
数日ぶりに一人で登校するのは寂しかった。
それにエリと出会う前のぼっちな自分に戻ったような気分になった。
なんでもない風邪だと本人も言っていたし、先生も特に何も言わなかったので大したことはないのかと安心していたが、授業中にこっそり送ったラインも返ってはこない。
やっぱり心配だ、帰りに彼女の家に様子でも見に行こうかな……
そんなことを考えながら休み時間になると、俺はエリがいないことを改めて実感する。
ここ最近はずっとエリと一緒だったせいで、ずっと一人で過ごしてきて慣れていたはずのぼっちな空間が途端に気まずく感じるようになった。
しかし相変わらず誰も俺のことなど見てはいないので、久しぶりに小説の読み書きに集中した。
そういえば昨日のコメント、まだチェックしてなかったなと思い小説を開いたが誰からもコメントはなかった。
いつもなら甘井さんとかがすぐコメントくれるのに、今日はまだ読んでないのかな?
寂しさのダブルパンチを喰らった俺は、虚しく時間だけを消費していった。
そして昼休み、ようやくエリからラインが返ってきた。
『寝てたー、ごめんね。明日は学校行けると思うよん』
そんな明るい内容に俺は心底ホッとした。
よかったと返事すると、すぐにエリからラインが返ってくる。
画像が送られてきた。なんだろう……
白い何かがアップで写っているようで、それを大きくするとようやくその正体がわかった。
エリの太ももだ……
しかも、これホットパンツとの境目からなにか見えそうなんだけど……
一人でかじりつくようにその写真を見ていると、エリからまたラインがきた。
『今日はお触りできないからこれ見て元気出してねん』
エリも俺のことを心配してくれていたのだろうか。
彼女の言う通り、ばっちり元気になった俺はホッとしたせいか腹が減ってきて食堂に向かうことにした。
しかし一人で食事するのがこんなに恥ずかしいと感じたのは初めての経験だった。誰かといるのに慣れすぎてぼっちの精神を完全に忘れている……
恐る恐る学食のカレーを頼んで隅っこに避難するようにそそくさと移動してさっさとそれを流し込んだ。
すると偶然鍵谷が俺のところにやってきた。
「おい陰キャ、彼女にはもう捨てられたのか?」
「相変わらずひどいなぁお前は……今日は体調崩して休みなんだよ」
「ふーん、一応付き合ってるのは本当みたいだな」
「ま、まぁな。俺が一番驚いてるけど」
今だって、本当に付き合ってるんだと胸を張っていいのかどうか自信はない。
でもエリの優しいところを目の当たりにしておいて、今更疑ったりするのは失礼な気がする。
だから付き合っていることは隠す必要もないのだと思うようにした。
「で、看病とか行くの?」
「看病?ま、まぁお見舞いくらいは考えたけど……」
「お前みたいなのがあんな陽キャ代表みたいなのと付き合えるなんて奇跡なんだからさ、尽くすだけ尽くせよ」
「う、うん……」
なんだかんだでこいつも俺のことを心配してくれてるのかと、少し嬉しか感じていると鍵谷は席を立ちながら「そんで捨てられろ」と毒を吐いてどっかに行ってしまった。
一言多いんだよなぁあいつは。
だからあんまりエリにも会わせられないというか、きちんと紹介しづらい。
しかしあいつの言っていることはいつも的を得ている。
エリみたいな子が俺の相手をしてくれているのはハッキリ言って奇跡だ。
だから俺はその奇跡を手放さないように努力しなければならない。
そうと決まれば放課後に向けての作戦を立てなければならない。ただお見舞いに行ってお菓子を渡したところでそんなのは他のクラスメイトが先に済ませてしまうかもしれない。
だとすれば、やっぱり看病イベントか?いや、もう大丈夫だと言っていたのにそんな理由で押しかけるのも逆に迷惑なのかな……
こういう時どうしたらいいのか、誰かに聞きたいが聞く相手がいない。初めて俺は友達の少ない自分を恨んだ。
早く放課後にならないかと、気持ちが散漫していたので俺はエリにラインを送ってみた。
『さっきの画像で午後も乗り切れそうです』と冗談混じりにラインしてみるとすぐに『見た以上は交換条件発動だー』と返ってきた。
そしてすぐにエリから追伸がくる。
『今日、お見舞いに来てくれる?』
向こうから願ってもない提案がきた。
もちろんいくよと連絡したら『お土産よろしくー、冷たいもの』とだけ返ってきた。
今日は顔を見れないかと諦めていたが、エリに会えるとわかって一気にテンションが上がった。
そのあとの時間はあっという間だった。
気分が良くなったおかげで休み時間の書き物も捗ったし、授業にも集中できた。
そして放課後になり、急いで教室を出ようとするとクラスメイトの女子から声をかけられた。
「ねぇ、このあとエリのところ行くの?」
「え、あ、うん……来てくれって言われたから」
「ふーん、じゃあこれ渡しといてくれる?借りてたDVD、今日返すつもりだったから」
「わ、わかった。ええと……」
「鈴村って言えばわかるから。じゃよろしくね」
鈴村さんと名乗る大人しそうな子からエリに返すためのDVDを預かった。
どうやら映画のようだが、俺は洋画とかを見ないのでどんな内容なのかなとか思いながらエリの家に向かうことにした。
途中のコンビニでアイスとか飲み物を買ってエリの家に着くと、今日は昨日なかった車が止まっていた。
家の人がいるのかなと緊張しながらチャイムを鳴らすと、エリのお母さんらしき人が俺を出迎えてくれた。
「はーい、エリのお友達?」
「え、はいクラスメイトです。ちょっと買い物を頼まれてて」
「そうなの、わざわざありがとうね。どうぞあがって」
綺麗なお母さんだなぁ、というのが率直な印象だ。
エリに似ていてとても優しい笑顔で、すんなり俺を出迎えてくれた。
そして部屋に通されると、ベッドでエリが体を起こして待っていてくれた。
「あ、ワクミン来てくれた!何買ってくれたのかなー?」
「た、たいしたもんじゃないよ。アイスとか……」
俺たちが話しているとエリのお母さんは「ごゆっくり」と言ってニヤニヤしながらドアを閉めた。
「もう、お母さんったら」
「お、お母さん、綺麗な人だね」
「そうでしょ?私に似て美人よねー」
「いや時系列は……」
「あはは、ナイスツッコミだね!」
どうやら元気そうだ。
俺はいつもの様子で冗談を言うエリに安心していると、エリが俺を手招きする。
「こっち、もっと近くきてよ」
「う、うん」
「チュッ」
「!?」
不意打ちのキスを、またしてもほっぺに喰らった。
しかし昨日より口元に近かったので俺は本気で心臓が止まるかと思った……
「え、なんで……」
「お土産代!足りない?」
「た、足りる足りるお釣りが出るよ!」
「ならよかったー。でもお釣りが出たなら返してもらおっかなー?」
いひひ、っと悪そうに笑うエリはよいしょっと立ち上がってからベッドに座った。
「アイスちょーだい」
「う、うん……どっちがいい?」
「私チョコ味がいいなぁ」
布団から出てきたエリの恰好は昨日と同じホットパンツ姿だった。
送ってもらった写真で随分と見させてもらったつもりでいたが、やはり生の破壊力は凄まじい。
俺はアイスの蓋をあける間もずっと目線は完全にエリの太ももに奪われていた。
「はい、これ」
「ダメ、今日は看病だよ?」
「え、と言うと……」
「あーん」
「!?」
エリは目を瞑って口を大きく広げてこっちに向けてきた。
歯、綺麗だなぁ。真っ白だ。それになんか口を開けているエリって、エロい……
俺は生唾をゴクリと飲み込んだ。
「あーん、まだー?」
「は、はいあーん……」
短い木のスプーンですくったアイスをエリの口に持って行くと、パクッと一口でそれを食べてくれた。
「んー、美味しい!やっぱり風邪の時はアイスだねー」
「そ、そうなの?でもよろこんでくれてよかった」
「ワクミンも、あーんしてあげる」
「い、いいよ俺は……」
「ダメ、あーん」
「あ、あーん……」
さっきエリが食べたスプーンで今度は俺にあーんしてくれた。
もう間接キスなんかとっくに超えている状況に俺はひどく興奮しながらも、そのアイスの冷たさに少し頭がズキンとした。
「んー!」
「あはは、頭痛くなった?じゃあ私のおでこで温めてしんぜよう」
「え?」
「ほーら動かないの。熱、まだあるかな?」
エリの額をを俺の額にピタッとくっつけてきた。
もうぼやけるくらい近くにエリの顔が寄ってきて、俺は目を回しそうになった。
「ちょっ……近っ……」
「んー、ワクミンのおでこ冷たくてきもちいー」
エリが喋るたびに息が、とても爽やかな息が俺の顔に……
それに唇が目の前に……もう何センチか前に出たらキス、できそうだ……
「あ、あの……」
「はい、おーしまいっ!頭痛治った?」
「あ……」
あまりの衝撃に、頭の痛みなどどこかに吹き飛んでいた。
エリのおでこは治癒能力でもあるのかな……
「キスされると思った?」
「い、いやさすがにそれは……」
「今日は風邪うつしたらダメだから、元気になったらね?」
「え?」
「あ、ワクミンピクッとしたー!えっちえっちー」
アイスを食べながらその綺麗な足でツンツンされた。
もうこっちの方が熱が出そうなくらいだ……
アイスを食べ終えると、俺は預かっていたDVDなことを思い出した。
「そうだ。これ、鈴村さんって子から」
「あ、スズに貸してたやつだ。わざわざ預けてくれたんだね」
「鈴村さんって大人しそうな子だよね」
「うん、スズは中学から一緒なんだー」
「へぇ、そうなんだ」
あんな大人しそうな子と仲がいいというのも少し意外だった。
別にギャルを不良の括りに入れているわけではない。
ただ俺が勝手にギャルという人種は友達もギャルやクラスのイケてる子たちというのが相場だと思っていたからである。
「なぁになぁに、スズに心奪われちゃったー?この浮気者ー」
「ち、違うよ……」
「ほんとかなー?じゃマーキングしといてやる、えい!」
俺は耳をカプッと甘噛みされた。
そのあまりに未体験な感触に一瞬漏らすかと思うほどに身震いがした。
「は、はへ……」
「やだー、変な声出てる!」
「だ、だって……」
「くすぐったい?もっかいしてやろっと、ガブッ」
「ひゃっ!?」
看病最高!としか言えない放課後の幸せなひと時だった。
しかし、エリはすっかり元気そうではあったが、むしろこのままこうしていると俺の体がもたない気がする……
「ワクミンって可愛いよねー」
「そ、そうかな……エリの方が、か、可愛いよ……」
「お、今のは嬉しいなー。じゃあ可愛いって言ってくれたお礼、しないとだね」
「え、お礼って……」
「風邪、うつしちゃおっかな……」
エリはそっと目を閉じた。
そしてその愛らしい顔が、さっき額をくっつけた時のように俺に迫ってくる。
……これって、もしかしてキス?しかもマウストゥーマウスのやつ、なのか?
い、いやまたエリがからかっているに……違いないとは言い切れない。
だって今のエリは完全無防備だ……
俺が一歩前に踏み出したら……
エリはジッと動かない。
俺も何故か動けなくなった。
そして少し沈黙が続いたあと、俺はエリの肩を掴んだ。
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