第8話 そんなことされたら

「あ、もうこんな時間だ」

「ほんとだー、楽しいとあっという間だね」

 

 携帯を見るともう夜の8時を過ぎていた。

 エリと話をしていると、いやエリの太ももを触っていると時間が経つのがあっという間だ。


 しかしいつまでもここでこうしているわけにもいかないだろうと思い、俺は名残惜しいが家に帰ることを選択した。


「そろそろ帰ろっかな」

「え、帰っちゃうの?」

「い、いやもう遅いし……」

「今日は一人で寂しいからもう少しだけ、ダメ?」

「……」


 上目遣いでそんなことを言われたら、もちろんノーとは言えるはずもない。それに急いで帰らなければならない理由もないので、もう一度座り直して俺の右手もあるべき場所へと帰っていった。


「ふふ、ほんとお触り大好きだねワクミンって」

「だ、だって……」

「そんなに焦らなくてもこの太ももはなくなりませんよー。それに、こんなことしていいのワクミンだけなんだからね?」

「……う、うん」


 なんともまぁ嬉しいことを言ってくれる。

 しかし当たり前のようにずっと彼女の足を触っていたせいで感覚が麻痺していたが、よく考えてみたらここまでずっと足を触らせてくれて文句一つ言わないのだからもっと踏み込んでもいいのではないか?


 例えば……おっぱいはハードルが高すぎるか。

 ……そうだ、キスは?恋人ならキスとかしたらダメなのか?

 こんなに密着してて触りまくってるんだからキスとかはもしかして許してくれないかな?


「ワクミン、また変なこと考えてたでしょー?」

「へ?い、いやそんなこと……」


 考えてましたすみません……

 俺って考えてることが顔に出てるのかな?いや、単純にすけべ心丸出しな顔をしていただけかな……


「ふふっ、図星だったかな?それよりさ、お腹空かない?」

「あ、そういえば晩ご飯まだだったな……」

「ちょっとシャワー浴びてきたらなんか作るね。嫌いなものとかある?」

「ト、トマト……」

「あはは、子供みたい。でもオッケー、そのまま待ってて。本棚の本読んでていいからさ」


 エリはそう言い残して部屋から出て行った。

 俺は唐突に彼女の手料理を食べられることになった。


 すぐに母親に帰りが遅くなるとだけメールをしたが、飲み会で遅くなるからどうぞとだけ帰ってきた。


 信用されているのかほったらかしなのか。

 基本的に両親は優しいのだが、無関心でドライな人たちではある。

 しかしそんな両親のことをあれこれ考える前にトイレに行きたくなった。

 あんまり人の家を勝手にウロウロするのは気が進まないが、我慢できずに部屋を出た。

 もちろんトイレがどこなのかわからないが、そんなに部屋も多くないので探せばすぐに見つかった。

 

 やれやれとトイレに腰掛けて用を足したあと、トイレから出た瞬間にエリが立っていた。


「うわっ……ご、ごめ、ん」

「飲み物飲み過ぎた?すぐにご飯作るからね」

「……」


 俺は濡れた髪を拭きながらキッチンに向かっていくエリに釘付けになった。


 なぜかと言えば簡単な話で彼女の恰好が制服ではなく、薄いTシャツと下はホットパンツ姿になっていたからだ。


 さっきまで堪能しつくしたつもりだったあの太ももがまた違った側面を覗かせてくる。

 ホットパンツはスカートと違い、中のパンツは見えそうもないが、代わりに惜しげもなくあの太ももを展開してくるので俺はそれを見ずにはいられない。


「どうしたのワクミン?あ、また足見てたー?」

「だ、だって……それ、寝間着?」

「うん、だって暑いじゃん最近。こういうの嫌い?」

「い、いやそんなことは」

「好き?」

「う、うん……」

「よかった、じゃあキッチンおいで。ジロジロ見てていいよ」


 俺は言われるがままにエリについていった。

 そしてキッチンのテーブルに腰掛けて、料理をするエリを、いや、ただ太ももを見ながらその完成を待った。


 そして途中いい匂いがしてきた。

 どうやら肉を焼いているようだ。


「エリって、いつも自分で作るの?」

「んー、週三くらいかな?家族で食べる時もちゃんとあるよ。どしたの?」

「い、いや別に」

「心配してくれてた?ワクミンって優しいね、ありがと」


 エリが振り向いて笑ってくれた。

 やっぱりこんな可愛い子が彼女なんて、ここまで一緒に過ごしてもまだ少し信じられない気持ちだった。


「はい、できたよ!今日は生姜焼き定食でーす」


 俺の目の前に出されたのは美味しそうな生姜焼きと味噌汁とご飯。

 香ばしい匂いが辺りを包む。

 

「美味しそう……食べていいの?」

「もちろん、おかわりもあるからいっぱい食べてね」

「い、いただきます」


 別に誰かと取り合うわけではないのに、俺はそれを慌てて口にかきこんだ。


 ……うまい。死ぬほどうまい。彼女の作ったものとかそういうのではなくて本当にうまい。


「美味しいよこれ!料理得意なんだね」

「ほんと?よかったー!じゃあ私も食べよっかな」


 エリは食堂の時と同じように、俺の隣に自然に腰掛けて食事を始めた。

 この子の中では隣に座って食べるというのがノーマルスタンスなのだろうか?


「ふふ、美味しい」


 よくネットで、美味しそうにご飯を食べる女性は魅力的だなんてコラムを見たりするがまさにその通りだ。


 幸せそうに食事をするエリは誰よりも可愛くて、優しい表情で、俺は食事の間もずっと彼女を横目で見ていた。

 するとエリが俺に聞いてくる。


「ねぇ、晩ご飯のお礼要求しちゃってもいいかな?」

「お礼?うん、もちろんいいけど……」

「じゃーあ、褒めて♪」

「へ?い、いや美味しいよ」

「ちがーう!頭、なでなでして?」

「え、う、うん」


 差し出されたエリの頭を俺は恐る恐る撫でた。

 まだ少し濡れているその髪に触れると、シャンプーのいい香りが漂ってきた。


「えへへ、いい子いい子して」

「い、いい子いい子……」


 なんかこれはこれでいい。

 こんなイケてるギャルを俺が手中に収めて服従させているようだ。

 いや、これは変な性癖に目覚めそうだな……


 そんなこんなをしながらも、あっという間に食事が終わり二人で洗い物をしたあと、俺は今日の小説をまだ書き終えていないことに気づいた。


「しまった、まだ投稿してないや……」

「投稿?動画でも出してるの?」

「い、いやそれは」

「あれれー、隠し事は喧嘩の元だぞー?言え言えー、言っちゃえよー」

「じ、実は……」


 俺は小説のことを彼女に話した。

 そして見せて欲しいと言われたので、携帯を開いて自分のページを彼女に見せた。

 正直知り合いに創作物を見せること自体恥ずかしいのに、エリみたいなWeb小説とは無縁そうな人間にその話をするのは結構きつかった。


 しかし俺の話をエリは真剣に聞いてくれて、バカにすることも笑うこともなかった。

 それどころか俺を食い入るように見ながらテンションが上がっていた。


「すごいじゃんワクミン、これって特技だよ!ていうか天才だよ!私国語とか苦手だからワクミンに教えてもらおっかなー」

「え、いや俺も現代文以外はさっぱりだけど……」

「そうだ、今度は二人で勉強会とかもしよっか。こう見えても私、英語得意なんだよー。これで二人とも成績アップだね!」


 嬉しそうにそう話すエリを見て俺は泣きそうになった。

 本当にいい子だなエリって。

 見た目はこんなにヤンチャそうなのに、俺なんかの陰気な趣味や夢を笑わずにすごいと言ってくれた。

 俺はそんな彼女を見て、少しでも疑っていた自分に嫌気がさしたりもした。


 そしてようやくというのも変だが、この後俺は家に帰ることになった。

 「泊まってくー?」なんてエリの冗談を間に受けそうになったがすぐに「小説書かないとだもんね」と言われたことで目が覚めて、俺は玄関に足を運んだ。


「今日はありがとう。今度は俺がなんかご馳走するよ」

「いいよいいよー、楽しかったし。それより、ちょっとこっちきて」

「?」

「チュッ」

「!?」


 彼女の手招きに誘われて顔を近づけると、ほっぺに何か柔らかいものが触れた。


「え、え、え!?」

「へへ、キスしちゃった。ほっぺただけど」

「え、な、なんで……」

「恋人なのになんでも何もないじゃん。うーん、でも強いて言うなら小説見せてくれたお礼かな?交換っこね」


 俺は人生で初めて小説を書いていて良かったと心から実感した。

 エリの唇……やばい。

 もうやばい、やばいとしか言えない。俺の語彙力は今小学生以下だ。


 何も考えられないくらいに心臓が脈打つ中で、エリは俺に追い討ちをかけてくる。


「次はもっとすごいのしちゃおっかな、なんてね」


 俺は途端に帰りたくなくなった。

 引き返してエリを抱きしめてしまいたい。

 なんなら今日は泊めてくれと言いたい。


 しかし、そんなガツガツしたことは何一つ出来ず流れに身を任せるように玄関を出て、手を振る彼女の方を何回も振り返りながら帰路についた。


 もう帰り途中の俺はすれ違う人の目など気にも留めずにスキップしていた。

 相当にキモい、というか夜道だったので俺の姿は通報されそうなほどに異様なものだったと思う。


 それでも浮き足立つという言葉通り、フワフワする足取りを止められなかった。


 そして家に帰ると、今日も両親は帰っていなかったのでさっさと風呂に入って部屋に戻った。


 そのあとはしばらく小説を書いた。

 あまりに気分が良すぎて、つい今日の体験談っぽいエピソードばかりを書いてしまった。

 

 そして1時間くらいで書き終わると、見計ったようにエリからラインが来た。


『今日は楽しかったね。小説ちゃんと書けた?』


 もしかして俺の邪魔をしないようにと、この時間まで待っていてくれたのだろうかなんて思うと、俺はエリのことを考えてニヤニヤが止まらなくなった。

 あんなに可愛くて、こんなに気の利く彼女がいるなんて俺は果報者どころか過報者とでも言うべきか?


 そんな特にうまくもないシャレでもない冗談が頭に浮かぶほど俺は浮かれていた。


 しかし実際、果報負けなんて言葉があるようにあまりに物事が順調すぎると落とし穴だってあるものだ。

 だから明日からも学校では謙虚に過ごそう。

 俺にはエリがいるからそれでいい、特に今は他にやりたいこともないし。


 すぐ返事をしてから何通かラインをして、今日はエリの方からの返事が来なくなったところで寝ることにした。


 いつもは寝ることも結構憂鬱だった。

 また明日も学校かぁ、なんて思いながら布団の中で携帯を触る毎日だったが今は違う。

 明日が待ち遠しい。だからさっさと寝てさっさと明日が来いなんて気持ちでむしろ眠ることすら大歓迎だった。


 眠気がくる直前、エリのキスの感触を思い出すようにほっぺをさすった。

 そしてやはりこれは夢ではないのだと実感しながら夢の中へと誘われた。


 しかし翌日、俺は少しがっかりした。

 いつまでも夢見心地とはいかないのが現実なのだと思い知らされた。


 なんて大袈裟なことを言うと何かあったのかと思われそうだが、俺にとっては少し残念なことがおきた。


 今日はエリが学校を休んだのだ。

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