走らずの凄腕冒険者

御剣ひかる

人に言えない走らずの理由

 彼は走らない。

 どんな時でも、走らない。


 彼、アンセルはとても強い冒険者だ。ベテラン冒険者が何人かかっても討ち取ることができない魔物も、アンセル一人出て行けば大剣のひと振りで倒されるという。まだ十八歳で冒険者となって一年と経っていないというのに彼の強さは「アンセルは絶対に走らない」という事実と共に有名になりつつある。

「またアンセルが大物を倒したってよ」

「今度はなんだ?」

「ドラゴンの子供らしい」

「なんだよ子供かよ」

「子供でもブレスを吐く強敵だぞ。それまでにパーディが二組全滅してるんだ。それをアンセルが一薙ぎだってよ」

 彼の活動拠点の街で、彼の名前を聞かない日はない。

 若葉色の髪と澄んだ空の瞳、恵まれた体躯、控えめな笑顔のアンセルは若い女性の人気を独り占めしていた。

 これを面白く思わないのは冒険者仲間だ。特に同じころに冒険者となった同僚たちは、何かと彼と比べられてしまう。

「調子に乗りやがって」

「なんだよ、走らないって、余裕かまして力の誇示かよ」

「何とかあいつを驚かせて慌てふためいて走る姿を見たいもんだな」

 そんな陰湿な会話が冒険者ギルドでひそひそとかわされる。

 当の本人は、賛辞も嫉妬もどこ吹く風だ。

 ただ黙々と冒険者としての仕事をこなしていく。


 アンセルの街に、馬車で二日ほど離れた隣村から魔物討伐の依頼が届いた。

 村のそばの洞窟から岩の化け物が現れて辺りをうろついている。今はまだ村にまではやってこないが、いずれ見つかるだろう。被害が出る前に討伐してほしい、という。

 その化け物は平均的な成人男性一人半ほどの背丈があり、岩でできているので当然硬そうだ。動きもそう遅くはないということで、アンセルが指名された。

「俺らもついていっていいか?」

 名乗り出たのは同期の三人の冒険者だった。ギルドの隅でアンセルの陰口をたたいている男達だ。

「もちろん、お願いします。もしも化け物が村に来てしまったら俺一人では駄目なので」

 馬車に乗り込む時に彼らが顔を近づけてニヤニヤしながら何かをささやき合っていたのを、アンセルは知らない。


 村に着いた時、アンセルたちが思っていたよりも危機的状況にあった。

 岩の化け物が村へとやってきて暴れていたのだ。

「村の人の避難を優先だ」

 冒険者たちは手分けして村人を街道へと誘導する。

「アンセル! 化け物の近くにも人がっ。そっち頼む」

 三人組のリーダーが化け物の近くを指さして叫んだ。

 彼の言うとおり、化け物が太い腕を振り回すそばの建物に、震えて縮こまっている女性と男の子の姿があった。

 走って近づかなければ、二人が化け物の攻撃を食らってしまう。直接殴られなくとも、建物が壊されれば下敷きになってしまう。

 アンセルは足に力を入れた。

 だが、彼の頭に浮かんだの記憶が彼の足をすくませる。

 大きな陸上競技場で、スタートの合図を待つ自分アンセル

 電子ピストルが鳴ると同時に腕に力を入れ体を起こしつつスターティングブロックを蹴る。

 腕を振り、スパイクの裏が地を捕らえ、離れるたびにぐんぐんと前へ進む。

 いつもより体が軽い。これはいける!

 ゴールは目の前、アンセルの前に誰もいない。

 優勝だ!

 思った瞬間、つんのめった。

 転ぶ!?

 いや、ゴールだっ。

 アンセルは体勢を崩しながらもゴールテープを切った。

 気が緩んだのか、そのまま倒れ込んだ。

 胸が痛い。息ができない。

 アンセルは苦しさに体をけいれんさせ、意識を失った。

 ふと気づけば暗闇の中。

『あなたには異世界へと行っていただきます』

 聞こえたのは女性の声だ。

『なんだそれっ?』

『あなたは百メートル走をゴールした瞬間、心臓発作で倒れて死んだのです』

 身もふたもないいわれようだ。

『あまりにも哀れなので、異世界転生させることになりました』

『異世界行って、どうするんだ』

『冒険者になって魔物をたくさん倒して世界に貢献するのです。転生者特典として強力な戦闘能力も差し上げますから、がんばってくださいね。活躍したらいいことがあるかもしれませんよー』

『え、ちょっと! それだけかっ。いいことってなんだっ。元の世界に帰れるのか!?』

 アンセルの抗議と問いかけもむなしく、意識を取り戻した時にはまったく見知らぬ家の中、ベッドの上で目を覚ましていた。

 暗闇の中の声の通り、アンセルは同名の青年の体に魂が転生していて、とてつもない力を手に入れていた。それが今から一年ほど前。

 わけも判らずあの声の言いなりになるのはなんとなく悔しいが、アンセルは冒険者となった。

 だが、走ろうとすると足がすくむ。

 あの倒れた時の苦しさを思い出して息ができなくなる。

 そう、アンセルは走らないのではない。走れないのだ!

 意識がもうろうとする。

「おい! アンセル! 親子を見捨てる気かっ」

 冒険者たちの声に応えようとするが、足が震えて動かない。

 きっとここで動かねば、彼らは吹聴するだろう。「アンセルは村人を見殺しにした」と。

「うおぉぉぉぉっ!」

 アンセルは腹の底から咆哮した。もはや魂の叫びともいえる彼の声に岩の化け物は動きを止めた。

 無我夢中で剣を引き抜き、アンセルは裂ぱくの気合を込めて振るった。

 すさまじい衝撃波が化け物を粉砕する。

 しかも、親子が隠れていた木造の家は無傷だ。

「奇跡だ!」

 村人たちが絶賛するそばで、同僚冒険者たちは悔しさに歯をかみしめた。


 こうしてアンセルの名前は「走らずの凄腕冒険者」と共にさらに広い世界へと広がっていった。

 走らずではなく走れないのだという事実は、本人のみぞ知る。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


『あらあら、思わぬ方向で有名になっちゃってるわ』

『そろそろ何か「いいこと」を与えてやったらどうだ?』

『そうねぇ。彼が走れるようになったらご褒美をあげちゃおうかしらね』

『このままだとますます走らないんじゃないか?』

『それはそれでいいんじゃない?』

『おまえ、女神のくせに性格悪いな』

 くすくすと、暗闇の奥で笑い声が響いていた。



(了)

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走らずの凄腕冒険者 御剣ひかる @miturugihikaru

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