走れ
笹霧
走れ
「先輩!」
嵐の中で先輩を追いかける。
風と雨が酷くてまともに前が見れないが、見える背中は確かに先輩のだ。
「待てよ、おい!」
ゆっくりと遠ざかる背中に必死で叫ぶ。
それが効いたのか彼女は歩みを止めて振り向いた。
「
先輩はどうしたの? という風に聞いてくる。
声色はこんな状況だってのに普段と変わりない。
「待ってろ、今行くから!」
彼女は優しく笑うと再び背を向けた。
「待てよ、もう……!」
雨や風が行く手を阻む。
それでも板野は手を伸ばした。
その手を誰かが掴む。
「先輩!?」
手を掴んでいたのは先輩だった。
状況が、理解できない。
周りを見わたした。
「ここは」
「ここ? 君の家だけど」
先輩は俺の手を掴んだまま振り回している。
恋人繋ぎだ。
少し乱暴に手を離した。
「どうしてここに居るんですか? 先輩」
「せ・ん・ぱ・い?」
手を再び握り直され、先輩が覆いかぶさるようにしてくる。
ベッドが軋んだ。
香水の香りが僅かにする。
「さ、
「違う違う。今は2人っきりだよ」
逃げても隅に追いやられていく。
どうやら名前を呼ぶしかないようだ。
「……
「よくできましたー。ね、
他人の家にも部屋にも勝手に上がり込んでいる目の前の女の子は西条 詩織。
俺の一つ上、同じ学校の先輩だ。
恋人でもなんでもない。
「何が、ね、ですか。いいから降りてください」
「えぇ。それに2人だけなんだし、いつも通りにしようよ」
「先輩との会話はいつもこうでしょう」
「詩織! それにため口でも会話したことあるでしょ!」
何かに怒ることに夢中の先輩は自分の体制に気付いていない。
時計に視線を逃がすと、時刻は12時を指していた。
「もうお昼か」
「正人は寝すぎ。今日が学校だったら遅刻だよ」
「学校が無いから安心して眠ってた所をし、詩織は……」
「ん? 私が?」
絶対に面白がってやがる、この人。
正人は今にも笑い出しそうな彼女に布団を投げつけた。
「髪が少し崩れた」
詩織が後れて2階から降りてくる。
あっそ、と正人はコーヒーを半分程淹れて詩織に渡した。
「で、何で勝手に家に上がってんの?」
「え、それはね」
途端に上機嫌になった彼女は丸くて短い鍵を取り出した。
「正人の母が鍵をくれたからです」
「いや、それは自転車の鍵だ」
「少しは慌てて欲しかったな」
残念そうに彼女は言う。
そういうことはそういう人にやって欲しい。
そういう人でも無いか、鍵は。
洗い物をしている正人に空になったマグが渡される。
「ごちそうさま」
「帰んだ」
彼女はバッグを肩にかけていた。
襟元もきっちりと閉じられている。
「うん。このあと集まりに行くんだよね」
「クラスの?」
「そう。来たい?」
「全く」
「残念。ばいばい」
詩織が手を振って家を出る。
鍵を閉めようとドアに近づくと外から鍵を閉められた。
スマホが振動する。
『何で持ってると思うー?』
「何で持ってんだよ」
『後でちゃんとお母さんに返すから心配しないでね。あと、テーブルの上ね』
今日もまた振り回された。
家に帰って来たら母に文句を言おう。
しかしテーブルの上とは何だろうか。
リビングに戻ると赤い箱が置かれていた。
ビックリ箱かと思い、恐る恐る開封する。
中から現れたのはハートの形をしたチョコレート。
「今日はそうだったな」
一口食べる。甘い。
「あれ、は……!?」
夕飯の材料を買うために寄ったスーパー。
豚肉のコーナーに先輩が居た。
彼女はカートを押して隣の牛肉コーナーに移動していく。
行くべきか。
そういえば先輩が料理できるのか聞いたことが無いな。
それを話題にすれば良い。
近付こうとして、止めた。
いやいや、何で先輩とわざわざ話そうとする!? 会わなくて良かったと思う所だ。
鉢合わせを避けるためにスーパーの出入口をUターンする。
角を曲がる際もう一度スーパーを見やる。
先輩は誰かと楽しそうに会話していた。
先輩が一緒に居た人が誰か、未だに聞けていない。
俺はあの日以来会いづらくなっていた。
学校ではなるべく会わないように気を付け、会った際には軽い会釈で逃げた。
そうして今日も逃げる。
朝校門で、3時間目の体育で、お昼の図書室横のベランダで逃げた。
これだけ目に見えて避けていたら相手を傷つけて当然だった。
そのことにやっと俺が気付いたのは、6時間目の前に泣いている先輩を見てしまった時だった。
「……」
先輩が泣いている。
走って傍に行かなければ。
それは分かっているのに足は動かない。
そうして何もできずに5分が経過した。
ふと先輩がこちらを向いた。
俺は息が止まる思いで何かを待つ。
先輩が凄い形相で走ってきた。
「正人!」
学校なのに名前呼びだ。
それを指摘する暇もなく、詩織に無理矢理音楽室に連れていかれた。
なぜか鍵までかけている。
彼女は深呼吸をするとゆっくりとこちらに振り向いた。
「……何で避けるの」
正直なところ、分からなかった。
でもそれを言って目の前の彼女が納得するだろうか。
たぶんしない。
適当な言い訳を言って難を逃れよう。
「えっと、友達に冷やかされたんだ。それで――――」
「嘘だね」
なぜすぐにバレた?
詩織の目からぽろぽろと涙がこぼれ始めた。
慌てて傍に駆け寄る。
制服が引っ張られて彼女との距離がゼロになった。
涙で濡れた所が冷たい。
「あ、えっと、ごめん。悪い。すまなかった。本当に申し訳ない」
「…………それで?」
彼女は長い時間をかけて、でも返答をしてくれた。
抱き締めながらゆっくりと壁を背にして座る。
何て言ったものかと黙っていたら小さく頭突きをされた。
「何で避けてたの?」
先程と同じ質問。
でも俺の目と鼻の先に詩織は居る。
走って近付く必要はない。
考えて苦しむ必要もない。
ただ言葉を口にすれば良い。
恥ずかしくて彼女の顔が見れず横を向く。
「えっと、数日前に、スーパーで詩織が誰か知らない男の人と楽しそうに話してるのを見た。それで、遠慮をしないととか、あの人は誰だろうとか考えてる内に」
言い終わる前に詩織が俺の胸を叩きだした。
ぽかぽかという感じで痛くはない。
よくは見えないが顔がとても赤いように見える。
「詩織?」
彼女は息を大きく吸い込んだ後、俺に1回頭突きをした。
何かを呟いたみたいだが聞こえない。
「え?」
「それ、私の、兄、だよぉ」
詩織は絞り出すように悩みの答えを教えてくれた。
自分の顔が熱くなるのを感じる。ヤバイ。
「じゃ、じゃあ」
「別に付き合ってる人とかいないよ」
「そういう話をしてるんじゃない……!」
自分で弱々しいなと思う程声が出てこない。
詩織がまたぽかぽかと叩いてきた。
「ここまでなって、それ!?」
「それって、なんだ――――わぁあああ!」
ドアのガラスの向こうに先生が居た。
残念美人と噂されている俺のクラス担任だ。
詩織の肩を叩いてドアを指さす。
「~~~~~~っ」
詩織が慌てて鍵を開けに行った。
先生からは軽い注意くらいで済んだ。
途中で出た単語で俺は恥ずかしくなって逃げ出したが、隣にいる詩織がちゃんと説明してくれたんだろう。
俺の視線に気付いた彼女がほほ笑んだ。
笑顔に照らされてここ数日の事が一気に思い出される。
本当は知っていた。分かっていた。逃げていただけなんだ。
「正人」
彼女の瞳を見すえる。
もう逃げない。
そう心の中で呟いて彼女の顔に自分の顔を近付ける。
本人は何をされるかまだ分かっていない様子。
小さく小さく、でも確かに言葉にした。
彼女は数秒の後目を閉じる。
2人の影が重なった。
走れ 笹霧 @gentiana
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