北海道は、バイクで走ると感動するよ

黒いたち

北海道は、バイクで走ると感動するよ

 夏の北海道に、ソロツーリングに行ったことがある。

 ソロツーリングとは、1人でバイクで走ることだ。

 北海道を一筆書ひとふでがきするように、海岸線沿いをぐるりと一周した。


 こう書くと、根っからのバイカーのように思われるかもしれないが、実際は真逆だ。

 バイクに乗ったこともなければ、旅行した記憶もほとんどなく、1人で店に入ったことすら無い。


 そんな私がノリと勢いで、バイクの免許を取り、バイクを買って、連休が取れない職種の会社を退職し、北海道の海岸線沿かいがんせんぞいを一周する計画を立てた、まったくもって無謀むぼうな旅行だった。


 私の愛車になったのは、ST250という街乗まちのりに適したバイクだ。

 バイクといったら、この形を思い浮かべるよね、というオードソックスな形状をしている。

 バイクの中では小さい方だが、単体で見ると迫力がある。

 つややかなブラックの車体に、大きなヘッドライト。

 中古で買ったために、前の所有者がつけたハンドルヒーターの機能きのうがあったが、それがこの旅で、ものすごく役に立つことになる。

 

 そんな小さなバイクの積載量せきさいりょうは、リュック1つ分くらいだ。

 荷物を少なくするために、着替えを厳選げんせんしたが、北海道の寒さをなめていた。

 本州ほんしゅうは連日25度を超えていたので、15度と言われてもピンとこなかった。

 涼しくて過ごしやすいんだろうなと思っていたら、バイクの上では極寒気温のカテゴリーだとか、誰が予想できただろうか。少なくとも、私の頭では無理だった。




 出発日は、7月1日。

 20日間の予定で、軍資金は30万円。

 全国どこでもある、ゆうちょ銀行の口座を作り、そこに入金した。


 初心者は、1日300km以内の距離がのぞましいとどこかのサイトに書いてあったので、その通りに計画を立てた。

 

 出発地は、北陸地方ほくりくちほう

 酔いやすい私は、船に乗る時間を極力短くするために、できるかぎり陸路りくろを選んだ。

 北陸から新潟県を通り、船が嫌いなくせに間に佐渡島さどがしま一周をはさみ、山形県、秋田県、青森県、と海岸線を北上していく。


 青森と北海道を結ぶ青函せいかんトンネルは、バイクの侵入が禁止だったので、しかたなく青函フェリーを予約した。


 野宿のじゅくの経験はおろか、キャンプでさえ子供の頃に行ったきりだったので、毎晩の宿やどはちゃんとしたところを予約した。

 なにかあっても、辿たどりつけさえすれば、野垂のたぬことはないだろうという考えだったが、これは旅の途中、何度もこの時の自分をたたえたいぐらいの快挙かいきょだった。

 なぜなら、宿は、体力よりも精神力を回復する施設だったからだ。


 そうして、日本一周ならぬ、「日本1/4周旅行」と銘打めいうって、意気揚々と出発した。




 初日に、初めて1人でファミレスに入り、初めて1人でビジネスホテルにとまり、その新鮮さにいちいちはしゃいだ。


 2日目に、バイクと一緒に佐渡汽船フェリーに乗船する。

 佐渡島さどがしま海岸線かいがんせんを一周する道は、約190kmだ。

 フェリーの時間があるので、できるだけ早い便で行き、できるだけ遅い便で帰ることにした。

 走るだけなら余裕だったのに、あちこち観光していたらいつのまにか時間が無くなって、本当にギリギリでフェリー乗り場にたどりついた。

 最悪佐渡島に泊まろうと思っていたが、当時の佐渡島の宿は2軒だけで、そのどちらも満室だった。

 野宿のじゅくは嫌だ。

 しかも、フェリー乗り場近くのホテルを予約済だし、間に合わないと絶対にめんどくさいことになる。

 その一心で運転したが、免許とりたてのバイク初心者に、曲がりくねった佐渡島の道は強敵だった。

 それでも間に合ったのは、今でも奇跡だと思っている。




 本州を出たのは、出発してから4日目のことだった。

 バイクとともに青函せいかんフェリーに乗り込み、本州が離れていくのを感慨深く見送っていたが、5分で飽きた。

 ものすごく疲れていたので、船内を軽く探検し、フードの自販機で焼きビーフンを食べて、すぐに仮眠した。


 それでも、北海道についた瞬間は、なぜだかとても感動した。

 空気の違いが、肌でわかるほどだ。

 乗客皆がきらきらとした表情で北海道を見つめており、きっと私も同じ表情をしているのだろうなと思った。

 到着した時刻は午前0時過ぎ。

 こんなに希望にあふれる夜があるなんて、知らなかった。

 

 


 5日目から15日目まで、北海道にいた。

 北海道の国道は、幅が広くて、まっすぐで、信号が無い。

 時速60キロで走っていたら、1時間で60キロの距離をかせいでしまう。

 1日300キロほどの予定で組んでいたから、早い時は午前中で、その日の宿に着いてしまった。


 チェックインの時間まで、いつもその辺をうろうろしていた。

 旅行の経験が無いので、時間をつぶすことに慣れていなかった。


 どこに行けばいいのかもわからない。

 何があるのかもわからない。

 なまじ遠くに行って迷子になっても困る。


 一番の心配は、不審者ふしんしゃだと思われて、通報されたらどうしようというものだった。


 方向音痴ほうこうおんちのくせに、なぜか私はちゃんとした地図ツーリングマップルを持っていなかった。

 手の平サイズのガイドブックに、主要道路しゅようどうろは書いてあるし、迷ったら人に聞けばいい! と走り出したが、案の定、1日に1回は迷子になった。

 海岸線沿いを走るのだから、迷うことはないと単純に考えていた私の頭は役に立たないほど単純なつくりでしかなかったと、たくさん後悔した。


 道はまっすぐではない。

 ぐにゃぐにゃ曲がり、自分が今どの方向に走っているのかが、わからなくなる。

 ガラケーだった私の携帯は、ナビができるわけでもなく、頼みのつな、方位磁石が壊れた時が、一番絶望した。

 その上、店に入る→出る→自分がどっちから来たか、覚えていないのだ。

 なんとお粗末そまつな頭の中身だ。


 コンビニを「避難小屋ひなんごや」と呼び、そこで心と体を落ち着けることがたびたびあった。

 避難小屋コンビニは、すばらしいアイテムショップだった。

 食事はもちろん、運転で酷使こくしした手首に貼る湿布を買ったり、地図を立ち読みして現在地を把握するのにも役立った。


 慣れてくると、駐車場の縁石えんせきに腰かけて、晴天に映える自分のバイクを見ながら、そこで買ったパンを咀嚼そしゃくできるまでになった。

 すれ違うスーツ姿の男性が、私を見て笑いをこらえるようにしていたが、あれはどういう意味だったのか、いまだにわからない。

 悪意は全く感じなかったから、単純に縁石に腰かけてパンをかじる人間が珍しかったのだろう。


 店があるうちはいい。

 2時間走ってお店が1軒も見当たらないことなどザラにある。

 一番困ったのは、トイレだ。

 2時間も強風を受け続けていれば、トイレも近くなる。

 もういっそこの辺の茂みで、と何度思ったことだろう。

 そのたびに、でももう少し走ったら店があるかもしれない、と自分を励まし、なんとか毎回、運よく間に合わせることができた。

 街は、国道を脇道わきみちにそれた場所にあるので、店も脇道に入らないと無いと教えてくれたのは、旅の終盤しゅうばんで会った人だった。


 北海道の人は、優しかった。

 人を見つけるたびに道を聞き、人間の温かさに目が潤んだ時もあった。

 旅の恥はかきすて。

 自分は思っていた以上に、かなり図太い人間だった。

 そして必要にせまられれば、なんでもできるものだと思った。




 日程の半分が雨だったので、人生の中で、こんなに風雨ふううにさらされることがあるのかというくらい、風雨にさらされた。

 北海道に梅雨は無いという通説だったが、私が行った時にはすでに気候変動しており、地元の人が「エゾ梅雨つゆ」と呼ぶ雨期に入っていた。


 最北端の道北地方の気温は10度を下回っていて、雨が降ると体感気温がマイナスになった。

 見た目で選んだグローブはまさかの防水性ゼロ商品で、バイク用品は、性能が命であると、身をもって体感した。

 ハンドルヒーターがなければ、指が凍傷になっていただろう。

 前の所有者に感謝したが、いかんせん温かいのは握っている手の平だけで、体は寒いままだった。

 しかたがないので、大声で歌を歌いながら走った。

 歌うと、すこしだけ体温が上がる。

 メットの中で、自分の声と雨音が響くのを楽しむしかない。

 持ち歌が尽きると、適当に歌う。 

 シンガーソングライターだ。

 1日に5曲は作った。




 天気が良くて気温が高い時は最高だった。

 晴れ渡った水色の空、乾いた風は涼しく、太陽はあたたかい。

 このすがすがしい風景を求めて、全国各地からバイカーがやってくるのか、とおおいに納得した。


 国道沿いには、海か林か牧場しかなかった。

 牧場には牛がいる。

 馬好きの私は期待していたが、行けども行けども牛しかいない。 

 遠くまで続く緑の牧場に、巨大な干し草ロールがいくつも転がって、その間に牛、牛、牛。

 そして、臭い。

 牛糞の匂いが、鼻につく。

 空も地面もこんなに広いのに、あんなに匂いがこもるのは、なぜだろうか。

 ものすごく強烈で、だからこの匂いを嗅ぐと、この夏の旅行を思い出す。



 

 人生観が変わるほどの体験が次から次へと押し寄せてきて、自分の常識がいかにちっぽけだったかを思い知らされたし、自分の世界は何倍にも広がった。

 泣いたり笑ったり、あの時の私は、馬鹿で、自由で、最高だったと断言できる。


 だから、声を大にして言いたい。


 北海道は、バイクで走ると感動するよ!!

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