走る理由

柚城佳歩

走る理由

頑張れ!

ファイト!

いいぞ抜けるぞ!

後ろから来てるぞ、行けー!


沿道から途切れ途切れの声援が聞こえる。

応援は確かにありがたい。元気をもらえる。

だけど今は素直に受け取れそうにない。

こっちはそんなん言われなくても現在進行形で必死だよ。簡単に追い越せなんて言うなよな。それが出来たらとっくにそうしてる。


高校駅伝予選会。男子はフルマラソンの距離42.195キロメートルを七区間に分けて走る。

五十近い出場校の中から上位八校が次の地区大会へ進む事が出来る。


最終七区。うちの学校は現在九位につけている。

あと一人抜ければ予選突破。

狙う背中は目測で百メートルちょっと先にある。

中継所で襷を渡されてから、少しずつ、本当に少しずつ距離を詰めてきた。


七区のコースは五キロ。もう残り二キロを切っている。

短いな、これじゃ間に合わない。無意識にそう思った自分に気付いて、こんな時なのになんだか笑えてきた。




俺はサッカー部に所属している。

なのにどうして今陸上のユニフォームを身に付けてこんな場所にいるのかと言えば、陸上部が圧倒的人手不足だからだ。


高校総体予選大会。

サッカー部は初戦勝ち抜くも二回戦敗退。

夏を待たずして先輩たちの引退が決まった。

実感が湧かないまま、次は俺たちが引っ張っていくのかなんてぼんやり思っていたところで、顧問から陸上部の応援に行ってこいと言い渡された。

いわゆる助っ人要因だ。


どうやら昔からの恒例行事なようで、早々に大会が終わった運動部を中心に、期間限定の駅伝部への勧誘が行われている。

それもあって、サッカー部の他にもバスケ部とかテニス部とか、長距離とまでは言わなくとも普段からそれなりに走り込みしている面子が揃っていた。


とはいえ参加は強制ではない。

最初の何日かまでは結構な人数だったが、一週間が経つ頃には半分以下にまで減っていた。

俺も去年同様一週間だけでやめるつもりでいた。


一言くらい挨拶しておこうかと思い主将の鹿原かはら先輩を訪ねると、まともに話すのはこれが初めてだと言うのに、名前を覚えてくれていて内心驚いた。


「いつきくん、一年生の時も来てくれたよね。フォームが綺麗だから印象に残ってた。今年は長距離部員が僕一人になっちゃったから、半分出場を諦めてたんだ。君みたいな人が残ってくれて嬉しいよ」


そんな風に言って、あんまり嬉しそうに笑うもんだから。


「……よろしくお願いします」


真逆の言葉が溢れ落ちていた。




ここしばらく、ボールに触れるより走っている時間の方が長い。

いつまで経っても俺がサッカー部へ戻る気配がないからか、仲間の部員からは

「そんなに走るの好きだったっけ?」

と聞かれたくらいだ。


その時は曖昧に濁してしまったけれど、実際どうなんだろう。

嫌いというほどではないが、特別好きでもない。

ならどうしてまだ走っているんだろうか。

自分の事なのにわからずにいる。


なぜ走り続けているのか自分でもよくわからないまま、期間限定駅伝部は凸凹でこぼこながらも形を作っていった。


一番距離が長い一区を鹿原先輩が受け持ち、二区以降は先輩によって割り当てられていく。

さすが普段から周りをよく見ているだけあって、駅伝の事をあまり知らない俺でも的確な配置だなと感じた。


「最後七区、いつきくんよろしく」

「えっ」


完全に他人事として話を聞いていた俺の耳に、とんでもない名前が聞こえてきた。

一瞬聞き間違いを疑ったが、真っ直ぐな視線を向けられて、確かに自分が呼ばれたと遅れて理解する。


「あの、七区ってアンカーですよね。そんな大事な区間、俺でいいんですか」

「もちろん。君は向いてると思うよ。前にも言ったけど、フォームも綺麗だし、ペース走でも自分の体力に合わせた配分が出来てる。集中力もありそうだし、何より負けず嫌いだよね?」


そりゃそうだ。

スポーツに限らず勝敗の付く物事に取り組んでいるやつらは、人によって度合いが違うとしても、全員もれなく負けず嫌いだと思う。


うちは全くもって強豪校とは程遠い。

今年限り、その場限り、来年はどうかわからない即席の寄せ集めチーム。

それでも。どうせ出るなら少しでも上位を狙いたい。

毎日汗だくで走った。

実際のコースの試走にも行った。

練習をこなせると達成感があった。

タイムが伸びると嬉しかった。

そして今。七区を走る選手としてユニフォームを渡されて、緊張よりも高揚感が込み上げている。

なんだ、いつの間にか走るの結構好きになってんじゃん。




駅伝って、チームこそ組むものの、走る時は孤独なものだと思っていた。

けどそうじゃない。

実際に隣で走る事は出来なくとも、重くなった襷が、ここまで繋いできたみんなの顔を思い出させる。

俺の走りも、今この瞬間全てが、チームの走りに繋がっているんだ。


肺は痛いし、脚だってめちゃくちゃしんどい。

ただでさえ息が上がって苦しいのに、上手く飲み込めなかった唾が気管に入って噎せる。


予選突破まであと一歩のところまで健闘。

こんな寄せ集めチームでここまでやったなら、客観的に見ても充分だろって思う。

充分だ。上出来じゃないか。

頭ではそう思うのに、心の奥では納得していない。

今ここで諦めたら、絶対にこの先の人生でずっと後悔し続ける確信がある。

ほんと、絶妙な位置で襷を渡してくれたよな。


先輩がアンカーを走りたい気持ちもあったろうに、一番距離が長い一区を受け持ってくれた。

さすがずっと走ってきただけあって、入賞圏内で次に繋いでくれた。

続くみんなも、ほとんど順位を落とす事なくここまで来てくれた。


ここで負けたくない。

あと一人抜けばいいって場面で、それも相手の背中が見えてる距離で、ここまで追い付いて。

こんな場面では尚更、絶対に負けたくない。

先輩はやっぱりすごいな。確かに俺は、自分で思っていた以上に負けず嫌いだったようだ。

そして何より、いつの間にか愛着が湧いていた、この凸凹な寄せ集めチームの仲間たちと、もっと一緒に走っていたい。


ただ走る。

とてもシンプルな競技だ。

どうして俺は走り続けているんだろうって、ここ最近ずっと考えていたけど、その答えが見えた気がした。


ゴールまで数百メートル。

俺が今ここで頑張らなくてどうすんだ。

僅かに残った気力を最後の一滴まで絞り出す気持ちで腕を振る。

捉えた背中はまだ少し先。

いけるか、抜けるか、いや、やるんだ。


前だけに集中すると、周りの音が聞こえなくなった。

一歩追い付いたかと思えばまた引き離される。

相手だって必死だ。そう簡単に前を譲ってくれるはずがない。

次の交差点を左に曲がれば、残すは直線三百メートル。

コーナーぎりぎりで曲がると、遠くにゴールラインが見えた。

あとちょっとなのに。

あともうちょっとが追い越せない。


「いつき!」


その声は俺の耳に真っ直ぐ入ってきた。


「ラストだ!抜けるぞ!行けー!」


ゴールの先、先輩の姿が見えた。

めちゃくちゃに手を振り俺の名前を呼んでいる。

もうこれ以上頑張れないと思っていたのに。

限界まで体を動かしていたはずなのに。

腹の奥底から熱いものが込み上げる感覚がして、見えない何かに背中を押されたように体が動いた。


夢中で走り抜けたゴールライン。

最後まで競っていた相手は転がるように倒れ込んでいる。

どっちだ、どっちが先だった?

自分ではわからない。


「いつき!おつかれ様」


鹿原先輩の声とともに、肩にタオルを掛けられる。


「あの、俺……」

「ありがとう!やったよ入賞だ!」

「マジですか」

「マジマジ。このチームで本当に予選突破するなんて、僕たちすごいぞ!もっと喜べ」


全身で喜んでいる先輩を見て、伝染するように実感がじわじわ行き渡っていく。

単なる地方予選突破。強いチームなんて全国にいくらでもいる。

端から見れば小さな一歩にすぎない。

それでも、このチームで何かを成し遂げられたのが嬉しかった。


「なんか、走るのも案外楽しいっすね」

「だろう?これだからやめられないんだ」


短い高校生活の、ほんの一時いっとき

期間限定駅伝部はまだもう少し続く。



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