走る理由
北きつね
第1話
僕が、後一分でも早く走れれば・・・。
彼女が待っていてくれる場所まで、走り続ける。手がこぼれ落ちてしまった未来を手繰り寄せるために・・・。
『君が悪いわけじゃない』
言われなくてもわかっている。1分では何も変わらない。
だから、僕は走り続ける。君が待っていてくれた場所まで、僕の部屋から1キロの距離を走り続ける。
『いい加減にしろ!お前だけが辛いわけじゃない!他人の気持ちも考えろ!』
わかっている僕の自己満足だ。彼女を守れなかった。僕にできることは、走り続けることだ。誰かに認めてほしいわけではない。誰かに褒めてほしいわけではない。
僕が僕を許せない。だから、僕は走り続ける。誰かに、理解して欲しいわけではない。
僕が、走る理由は、僕だけがわかっていればいい。
僕が正しくないのは、僕が理解していればいい。誰かに、僕と同じことをやってほしいとは思わない。
僕ができる僕だけの贖罪だ。
僕の手元に残ったのは、彼女から送られてきたメールだけ。
”早く着いた。いつもの場所で待っている”
僕は、いつものように急いで支度を整えて、部屋を飛び出した。彼女が待つ、いつもの喫茶店までの距離を走って移動する。いつもと同じだ。
彼女が待っていると思うと、心が、気持ちが逸った。逸る気持ちを抑えて、早足で彼女のもとに急いだ。
喫茶店が見えてきた。
雰囲気がいつもと違った。彼女との待ち合わせ場所を囲むように、人だかりが出来ていた。1台の消防車と複数の救急車。そして、喫茶店の入り口付近を塞ぐように押しつぶしている巨大な鉄の塊。
僕は、待ち合わせ場所に行けなかった。
僕が、遅かったから?
僕が、走らなかったから?
僕が、僕が、僕が、僕が、僕が・・・・・。
彼女は、僕を待っていた。いつもの待ち合わせ場所で、スマホを握りしめながら、アルコールと
『お前が早く着いても何も変わらない!』
そんなことは理解している。僕が早く着いても結果は変わらないだろう。いや違う、結果は変わる。僕と彼女が一緒に居られる。僕が走る必要がない。彼女が、待ち合わせ場所で待っている。彼女が待つ必要がなくなる。他の人も、移動したかもしれない。その可能性を、僕が摘み取ってしまった。
だから、僕は走る。
走って、一分の時間を作る。違った未来のために、変わるかもしれない未来のために・・・。彼女と一緒に過ごせる未来に手を届かせるために・・・。
僕は、彼女以外には何も存在していない。
彼女は、僕以外には何も存在していない。
お互いに、相手だけが存在していればよかった。
だからわかる。僕があと1分早く到着していたら、違う未来があった。存在した未来のために、走り続ける。
僕は、僕のために、走り続ける。
喫茶店は、営業の再開を諦めて閉店した。惜しむ声もあったが、マスターの心が折れてしまった。
空き地になった元喫茶店が僕の走る目的地になっている。
彼女がまだ待っていてくれる。僕が、遅いから彼女を探せない。僕が、早く走れば、きっと彼女に会える。彼女も、僕を待っていてくれる。
僕は、走ることだけを考えていた。彼女と一緒に過ごせる時間のためだ。
走り続けても、彼女が居る未来がやってこない。
でも、僕は走り続ける。
1年が経った。待ち合わせ場所だった喫茶店のあった場所は更地になった。
3年が経った。待ち合わせ場所に駐車場が出来た。
5年が経った。ここに彼女が待っていると知っているのは僕だけになった。
7年が過ぎた。僕は、まだ待ち合わせ場所までたどり着けない。
5年辺りから、心の声も聞こえなくなった。僕を見ようとする者も居なくなった。
僕は、無心で走り続ける。僕は、走るだけだ。僕が彼女にできる唯一のことだ。
11年が過ぎて、僕は足りなかった1分を稼ぐことが出来た。彼女に会える。僕は、やっと彼女に・・・。
僕が走る理由は、僕だけがわかっていればいい。彼女にだって教える必要はない。
僕は、掴み取った未来で満足できる。僕の走る理由は、彼女との待ち合わせ場所に行くためだ。
---
「聞いた?」
「何を?」
「ほら、あの駐車場に・・・」
「あぁあのおじさん?」
「そうそう・・・。何か、ブツブツ言っている気持ちが悪い人」
「有名だからね。それがどうしたの?」
「死んだらしいよ?」
「え?そうなの?」
「うん。友達が見たらしいけど、あの駐車場の端っこで、笑った表情のまま死んでいたみたい」
「え・・・。気持ち悪い。結局、あの人は何者なの?」
「知らない。でも、あの駐車場の前を通るのが怖かったから良かったのかもね」
「そうだね。本当に、毎日・・・。何をしていたのだろう?」
「足を引きずって、歩いているのを見たことがあるけど、やっぱりブツブツ言っていたよ」
「怖いよね」
「うん。でも、本当にあのおじさんに何があったのかな?」
走る理由 北きつね @mnabe0709
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