悲しい背中

霜月このは

悲しい背中


「一緒に走ろうね」

 そう約束したはずのあなたは、今は私の遥か先にいる。


 *


 私と優里ゆりは幼なじみだ。お母さん同士がもともと友達で、家も近所だから、幼稚園に入る前から遊ぶようになった。


 だから、物心ついたときには、もう側にいた。


早希さきってさ、可愛いよね」


 小学5年生のとき、トイレの鏡で髪の毛を整えていたときに、優里は、突然そんなことを言った。


「なに、いきなり」

「早希の髪の毛、くるくるしてるからさ」


 一瞬、悪口を言われたのかと思った。


 私の髪はくるくるの癖っ毛で、まとまりは悪いし、すぐ爆発するから、絶対にショートにはできない。


 優里みたいな、ストレートのショートヘアというのに、むしろ憧れていたものだから。


「お人形さんみたいで、いいなって」


 だけど、そう言う優里の表情が、その時はなぜか悲しく見えたから、私はよく覚えている。




 中学校に入ってからも、私と優里は相変わらず仲が良かった。


 同じ女子グループで、何人かの友達と放課後にカラオケをしたり、時には電車に乗って、ちょっと都会の駅で買い物をしたりもしていた。


「これ、お揃いで買おうよ」

「いいねー」


 優里が手にとったのは、お花の飾りのついたヘアピンだった。


 校則違反になっちゃうから、学校には付けていけないけど、休みの日に付けよう、と言って、私達はそれを買った。

 

 なんとなく「お揃い」っていう響きは、ワクワクする。


 すごく小さい頃も、お母さん達の趣味で、よくお揃いの服を着せられていた。その時を思い出して、懐かしく思うからなのかもしれない。


 「お揃い」とか「一緒」っていう言葉は、なんだかとっても安心するし、まるで「あなたのことが大好きだよ」って言ってもらえてるみたいで、嬉しかったのだ。




 体育の持久走のときは、「一緒に走ろうね」と言って、いつも一緒に走る。


 たぶん本気で走ったら、私のほうが早い気がするけど、優里とおしゃべりしながら、いつもゆっくり同じペースで走っていた。


 そしてそのせいで、先生にはよく怒られた。


 中2から始まった、選択科目の授業も、同じ科目を選んだ。それは、特にどちらから合わせるでもなく、自然と一緒になってしまうのだ。


 中3の夏に、修学旅行があった。その時も同じ班になった。男女混合のグループで、男子が3人、女子が3人の6人組。


 その中の1組の男女は付き合っていた。だから班行動のときは、ちょっぴり気を使って、残りの4人は少し離れて歩くときもあった。


「いいなあ、私も彼氏、ほしいなあ」


 優里はそんなことを言う。


「早希も彼氏できたら、絶対、教えてね」

「うん、優里もだよ。約束」




 そのうち受験シーズンになった。


 優里はクラスで1番成績が良くて、私は中くらいだった。だから、なんとなく別の高校になってしまうのは、仕方がないと思っていた。だけど。


「私、早希と同じ高校がいい」


 優里はそんなことを言う。


 私の志望校は、偏差値53くらいの、家の近くにあるA女子高校だ。優里の偏差値は70くらいはあるから、明らかにそんなの、もったいなかった。


 私だって優里と同じ高校に行きたい。そんなの決まっている。だって今までずっと、一緒にいたんだもん。これからだって、ずっとずっと、一緒にいたいに決まっていた。


 だけど私は、不思議と冷静で、気づいたら優里を説得していた。


「優里ならC高校とか目指せるじゃん。もったいないよ。それにあそこなら共学だし、頭のいい男子もいるし、きっとすぐ素敵な彼氏ができるって」


 私は、心にもないことばかり言う。


「それで、いい男がいたら、私にも紹介してよ」


 精一杯の笑顔を作って、冗談風に。

 だけど、優里は。


「どうして、そんなこと言うの」


 とても悲しい顔をした。


「早希の、ばか」


 優里は後ろを向いて、廊下を走って行ってしまった。


 彼女の後ろ姿を、私は追いかけることができなかった。


 その後、しばらく私達は気まずくなって、話せなくなってしまった。



 高校入試の出願期限が迫ったある日、進路相談室から、優里と優里のお母さんが出てくるのが見えた。


 たぶん、三者面談だ。


 優里の目は真っ赤だった。



 結局、優里は、県内でトップのC高校に合格した。私は予定通り、A女子高校に進学することになった。


 卒業式の直前、私達は久しぶりに話した。


「早希、ごめんね」

「ううん、私こそ」

「高校に入ってからも、また遊ぼうね」


 そう約束して、私達は卒業した。



 高校に入学してからも、私達は時々は一緒に遊んでいた。だけど、優里は部活に入ったみたいで、次第にその頻度は減っていった。


 高2の春、優里に彼氏が出来たと聞いた。同じ部活の男の子で、ヴァイオリンが上手らしい。頭が良くてお金持ちの彼氏ができたんだ。


 それでも、羨ましいとは、あまり思わなかった。


 私達はいつのまにか、会わなくなっていた。多分、そんなもんなんだと思う。


 お母さん経由で、優里が地元のB大学の薬学部を目指していることを知った。頭のいい優里なら、きっと大丈夫だろう。




 あの日、手を伸ばせば触れられる距離にいたはずの優里は、私よりもずっと先へ走って行ってしまった。


 もう、背中も見えないくらいに。



 あの日の悲しい背中を思い出すたびに、私は少しだけ焦燥感に駆られる。


 あの日、私は本当は、どうすべきだったんだろう。もう考えても、わからない。




 ちょっとだけ昔のことを思いだしたあとは、もうやるべきことをやるしかない。



 私は、机に向かって過去問題集を開いた。


 表紙には大きな文字で、「B大学」と書いてある。


 もう見えない背中を目指して、私は今走り出したばかりだった。




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