第3話

 全く。新学期は早寝早起きをしようと決めていたのに、トイレに行ったのが運の尽き。アリエル・ミウラに捕まってしまった。

 彼女に連れて行かれたのは、なんと女子寮!

 一応、学生で男のオレがこんなところに来て良いのか、とかパニックになりながらも、アリエルが喚く「緊急事態」という言葉におされてここまで来てしまった。

 倒れていたのは、ウィズ・ラピスラズリだった。そう、オレの知り合いにクリソツな銀髪の女の子だ。昼間と違って、髪は右に結んでおらず、低い位置で結んでいたため、尚更知り合いにそっくりだ。ヤツと違って幼いけど。

 ウィズは大丈夫と言って立ち上がったものの、まだふらついているので、オレは彼女を背負って、医務室へと向かった。

 アリエルとミリアムには「一応」部屋に戻れと行ったのだけど、ウィズが心配だ、と言うので、一緒に医務室まで行くことになった。オレとしたら凄くうれしかった。もし、教授たちや寮母に会ったときのアリバイを証明してくれると思うから。

 おんぶしているウィズの息は荒い。昼間はあんなに元気だったのに、なにかあったのかと考えながら、医務室へ無言で進んでいた。

 あの騒がしいアリエルですら無言だった。


 そして、医務室の前についた。

 医務室の窓から煌々と明かりが見える。誰かいるのだろうか。

 オレは深呼吸をすると、医務室のドアをノックし、

「失礼します」

 と言って、ドアを思い切り開けた。


「わ」

 そこにはウィズの兄が積み上げられたファイルの山の真ん中にいた。手には一冊のファイルが開かれている。とりあえず驚いているように見えた。しかし、昼間と様子が変だ。

「ジャスくん! あれ、眼帯してないの?」

 アリエルの声で眼帯がないのにに気がつく。

 昼間の少年の眼帯をしていない右目を見た。紅い目をしている。邪眼だ。オレは一瞬背筋が凍る。

「その反応がイヤだから、ボクは眼帯をしていたっていうのに。とっくの前に消灯時間は過ぎているんですよ。何しに来たんですか?」

 初めて反応らしい不機嫌な反応を見せたウィズの兄でジャスと呼ばれた少年はイライラした様子でこちらを睨み付ける。

「なっ……そっちこそ、なにをやっているんだ? そっちこそ消灯時間が過ぎているのに何をやっているんだ?」

 ミリアム・エスエルはジャスも負けじとガンを飛ばす。

「一触即発のところ悪いんだけど、ねえ、降りても良いかしら? 先生の背中に吐きそう……」

「ウィズ?」

 妹の存在に気がついた途端、ジャスの表情がまた変わった。


 オレは背負っていたウィズをベッドに寝かせる。

 ジャスは、

「ウィズ、何かあったの?」

 と心配そうな目でウィズの顔を見る。

「ちょっとめまいがして。それより、ジャスは何しにここに?」

 ジャスは深く目を瞑ると、

「ちょっと、ヒーラー先生の手伝いをね」

 と大きく見開いて笑う。

「ヒーラー先生? もしかして、ヒーラー・プラチナ?」

 アリエルは首をかしげる。

「そうだよ。調べ物を手伝ってほしいって言われてさ。まったく、ロマンハック先生といい、ボクは小間使いじゃないって言うのに」

 ジャスは深く溜息をつく。

 そのとき、医務室のトビラが開いた。

「ジャスくん! しゃべっていないで、さっさとガキラキ草について調べてよ! ぼくはキミたち兄妹の捜し物をしてやっているんだから!」

 見事な金の長髪の中性的なオッサンが軽やかな笑みをたたえながら現れた。

 オレたち四人の姿を見たオッサンは、

「おや。ウィズちゃんにストレンジャーが三人。一体どうしたのかしら?」

 驚いた様子で笑う。

「ヒーラー・プラチナ、ウィズの手当をしてやって。ボクはボクでちゃんと探すからさ」

 ジャスはそう言うと、積み上げられたファイルの山へと戻っていった。

「ウィズちゃん? 一体全体何があったっていうの?」

 ヒーラー・プラチナはそう言うと、息が荒いウィズのおでこに手を当てる。

「熱はないようね」

 ヒーラー・プラチナは頷くと、オレたちの方を見て、

「ウィズちゃんの面倒はぼくが見てるから、TAくんと嬢ちゃん二人は部屋に戻って寝て頂戴。寝不足はお肌に大敵よ」

 と言って、ウィンクした。


 アリエルとミリアムはウィズが心配だから残るとだだをこねた。しかし、ヒーラー・プラチナの妙な押しに根負けして、オレらは医務室から出た。

 女子寮と男子寮の境目まで来た。寮母先生に見つかったら、言い訳をするのがめんどいし、さっさと帰ろうと三人で話していたときだった。

 窓から見えた月明かりと星明かりが消えたのだ。明かりは魔導力で出来た薄ぼんやりとしたものだけだ。

 オレの心は芯から冷えた。三年前のギムナジウム時代に経験した身に覚えのある光景だったからだ。嫌な予感しかない。

「急に暗くなったな」

「明日、雨でも降るのかしら? 洗濯物干せないわ」

 アリエルとミリアムはノー天気に窓をのぞき込む。

「お前ら、早く戻れ!」

 顔から血の気が引いたオレは、思わず声を張り上げた。

「なんですか? そんなに声を張り上げちゃ寮母先生に見つかっちゃいますよ!」

 アリエルは口元に人差し指を当てる。

 その刹那。

 ミリアムの悲鳴が聞こえてきた。

「ミリアムも騒いじゃダメよ」

 アリエルの気の抜けた声で笑う。

「それどころじゃない! アリエル、ベルリッツ先生、逃げて!」

 オレは苦しそうに叫ぶミリアムの方を見た。

 ミリアムは暗い中でも分かる黒い霧に包み込まれていた。

「闇の術だわ! 早くロマンハック先生を呼んでこなくちゃ!」

 アリエルの声は震えていた。しかし、親友を見捨てるわけにいかないためか、それとも恐怖心のためか、全く動いていない。むしろ腰が抜けているようだ。へっぴり腰でかろうじて立っているように見える。

 オレは深呼吸をして、心を落ち着かせようとした。しかし、心臓の音は破裂しそうなくらい大きく鳴っている。

 オレは魔導術が使えない。魔導術のスペシャリスト、ロマンハック先生がいればなんとかなるだろうが……。

 あることを思いついたオレは、

「おい、お前は誰だ?」

 闇に向かって、静かに尋ねた。

「先生。何を一体?」

 アリエルは震える声でオレの裾を掴む。

「私は常闇の人々と呼ばれる者のひとつ、ハーミットだ」

 闇は静かに答えた。頭に直接声が響き渡る。

「何故その子を捕まえているんだ?」

 オレは質問を続ける。足はガクガクと震えたはじめた。

「私には肉体がない。肉体がなければ、昼間にこの世界で行動が出来ない。だから、この肉体をもらい受ける」

 頭に直接入ってくる言葉に、オレは冷汗三斗、あまりの恐怖心から声も出なくなった。

「常闇かなんだか分からないけど、ミリアムを返して!」

 突然、アリエルは叫び、闇に包まれつつあるミリアムに向かって走り出し、押し倒した。

「そんなにこの娘が大切か。ならば、お前の身体を頂くぞ」

 この言葉が頭に響いた。次はアリエルが危ない! そう思いながらも恐怖心からか、心臓に冷たい氷が突き刺さったように身体が動かない。

「なにを言って……?」

 そう言ってすぐに、アリエルは闇に包まれた。それを振り払おうと立ち上がる。しかし振り払えず、苦しみだした。

「やめてくれ……。その子たちの肉体を奪うのは、やめてくれ……」

 オレは恐怖心から出ない必死に声を絞り出す。

「身体ならオレのを差し出す。その代わり、その子たちには手を出すな」

 オレは腰が引けてしまい、両肘は完全に突いてしまっていた。頬は涙で濡れはじめている。

「ほう。なんという自己犠牲。なら、ありがたく頂くぞ」

「その代わり、その二人には手を出すな」

 オレは恐怖心でいっぱいだった。でも、年下を置いて逃げるほど、オレはチキンじゃない。これで二人が助かるのならば……。

「分かった。契約完了だな」

 ハーミットの意思が頭全体に響いた瞬間だった。

 一本の光の弓矢のようなものがオレの胸を後ろから貫いた。

 一瞬ピリッとした痛みが走る。

「ちょっと? ベルリッツ先生の肉体を奪ったあと、あなたは何をする気なの?」

 澄んだ女の子の声が聞こえてきた。

「どうせ、その二人には手出ししなくても、この学校自体をどうこうするつもりなんでしょ?」

 やや低い少年の声も聞こえてきた。

「ジャスくん! ウィズは身体大丈夫なのか?」

 息が荒いミリアムは喘ぎ声を出しながら、ゆらゆらと立ち上がる。

「大丈夫じゃあないわよ。でも、あなたたちが襲われているって気がついた以上、戦うしかないじゃない!」

 青ざめた表情のウィズは腰に手を当てると、

「ちなみに。今、三人に光の守護術をかけたから、肉体を盗るのは難しいと思うわ」

 と片笑いする。

「ハーミット? だっけ? これ以上、あなたがボクらを含むここを攻撃しなければ、ボクらはあなたの敵ではないよ。無駄な争いはしたくはないから、何故、ここで人間の肉体を盗りたいか教えろ」

 ジャスは静かな声で闇に尋ねる。

 ハーミットは、アリエルから離れると、

「その前に、お前たちは一体何者だ?」

 その言葉を聞いた双子は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を作った。そして、お互いの顔を見合う。

「お前らは何者なのだ? そこの三人みたいに闇を恐れている様子もない。そっちの娘は光使いだというのに」

 ジャスは気怠げに頭を掻くと、

「こう言えば、分かるかな。ペンタのジャスとこっちは妹のウィズです」

 とカジュアルに笑った。

「なんだと……! 何故長の秘蔵っ子がこんなところに?」

「やっぱり、あたしたち有名人なのね」

 驚きを隠さないハーミットに、ウィズは呆れ声で呟く。

「ウィズにジャス。一体何が起きているんだ?」

 オレは荒れた呼吸を整えつつ、尋ねる。

「そんなのは後にお話ししますので、ちょっと先生は黙っててください」

 ジャスにキツい目で睨み付けられた。紅い邪眼で睨み付けられるといくら年下とは言え、怖い。

「さあ、ボクらの身分は明かしたよ。ハーミット、お前が何故そこにいるのか、言え」

 ジャスは静かな声で尋ねる。

 一呼吸置いた後、ハーミットの、

「私はここの魔導力を欲している!」

 と言う叫び声が頭に響いた。

「どういうことだ?」

 オレは訝しげな顔をしてしまう。

「このギムナジウムは魔導力が際限なく溢れている場所だ。この場所にいることができれな、私の力は強くなれる」

 ここで一拍おくと、

「でも、昼間は行動出来ない。だから肉体を奪えば、ここの力を無駄なく吸収できる」

 と続けた。

「ここはボクらが管理している場所だ。攻撃をしないなら、こちらも攻撃はしない。さっさと出てけ」

「あたしたちは、長から命を受けてここを守っているのよ。あなたが出る幕ではないわ」

 ジャスとウィズは、昼間からは全く想像できない恐ろしい表情を作っていた。

「なら、力ずくでも奪ってやる! まずはお前たちを始末するぞ!」

 ハーミットはそう言うと、地響きが聞こえてきた。

「な……なにが一体始まるって言うの?」

 青ざめた顔のアリエルは口元を押さえる。

 そのときだった。

 足下から黒い手がいくつも生えてきた。

 突然のことに声を上げることが出来ず、そのまま足を捕まれた。

 そして、オレはそのまま下へと引きずり下ろされる感覚に陥った。


 オレは目を開けた。

 辺りは真っ暗だった。なんにも見えやしない。

 突然明るめの小さな悲鳴が聞こえた。

「な、なんで、ベルリッツ先生までいるんですか? 光の守護術かけたというのに!」

 ウィズの声だ。

「センセー。もしかして、闇使いだったんですかー?」

 気怠げなジャスの声も聞こえてくる。

「アリエルとミリアムは? 無事か?」

 オレのテンパった質問に、

「光の守護術かけたから、多分ここの外にいますね」

 ウィズが軽い調子で答える。

「先生こそ、質問に答えてくださいよ。先生は闇使いなのですか?」

「違うよ。オレは魔導術は使えないよ」

「じゃあ、何故先生は闇に引きずられたんですか? 普通の人間はウィズの守護術にかかったら、アレに巻き込まれないはずですよ」

 ジャスの妙な押しに、反論できなくなりそうだった。しかし、

「そっちこそ、オレのことを、普通の人間って言うけどな。そういうお前らは何なんだよ。普通じゃないって言うのか?」

 オレがこう言った途端、

「ちょっと! ジャス。なんてことを言ったの? バレそうじゃない!」

 ウィズは悲鳴のような声でジャスを責める。

「そんなこと言ったって。ボクはベルリッツ先生が敵か味方か分からなかったから聞いただけだよ。それが?」

「それが、って……!」

 ウィズは言葉をこう切って、溜息をつく。

 オレは暗くて何も見えない、と言おうと思ったときだった。

 破裂音が聞こえた。オレは耳を塞ぐ。

「何の音だ?」

 オレは何も見えない中、右と左と顔を動かす。

「先生、危ない!」

 ジャスが叫ぶ。再び、破裂音がする。

「先生、邪魔です! これじゃあ攻撃できないわ!」

「邪魔って言ったって、ウィズ。オレは何も見えないんだ! 動きようがないじゃないか!」

「それもそうですね」

 ウィズはそう言うと、軽やかに指がはじく音がした。光が出てきている。

 光はウィズの両手から生まれていた。

「これで見えますか?」

 光を抱えたウィズは片笑みする。

「ウィズは先生を守ってて。ボクはハーミットを懲らしめる」

 ウィズの後ろからジャスの姿が見えた。

「分かったわ」

 頷いたウィズは、持っていた光を宙に浮かせると、髪の毛を右結びにする。

「こうでなきゃ、戦えないわ」

 ウィズは商手で両頬を叩いた。気合いを入れたようだ。

 また破裂音がした。ウィズの明かりのおかげで安心しきっていたオレはびっくりして腰がひけてしまう。

 ジャスが走ってこちらへやってきた。頬に擦り傷が見える。血がにじんでいて、痛そうだ。

「ジャス! 大丈夫?」

 慌てた様子のウィズに、ジャスは、

「全然……大丈夫……じゃない」

 ジャスの息は荒い。

「どうするのよ?」

 ウィズの声は裏返る。

「どうも、こうも。まあ、ここにはキミの光のおかげで相手は来ないよ」

「でもその代わり、あたしたちも消滅してしまうわ!」

「そんなこと言ったって。ベルリッツ先生を守るにはそうするしかないでしょ?」

「そうだけどさあ」

 傷ついた頬をさするジャスにウィズは食いつく。

 明らかに、オレは二人の足を引っ張っているのが分かった。だからこそ、どうにかこの二人だけでも助けなければ。オレのわずかなプライドが許さない。

 オレは冷や汗で濡れた拳を思い切り握りしめ、

「なあ、お前たちさ。オレを囮にしてくれないか?」

 と震える声をなるべく冷静に保ちながら言った。

「本当に囮にして良いんですか?」

 ジャスの顔が明るくなった。

「よし、ウィズ。これで作戦がいけそうだ」

 自信ありげにジャスはウィズの顔を見る。

「先生、本当にいいんですか?」

 ウィズは心配そうな顔でオレを見る。

 オレはつばを飲み込むと、

「ああ」

 と、歯を思い切り食いしばった。

「先生がそこまでいうなら……。なるべく三人でここを出られるようにしますから、多少の怪我は許してくださいね」

 真剣なまなざしでオレを見たウィズは、二回指を鳴らした。

 光は消えた。しかし、ウィズとジャスの顔は見える。

「暗視の術をかけました。先生、今からボクらはここを離れます。多分、先生は真っ先に狙われると思いますので、ひたすら逃げてください」

 ジャスはそれだけオレに言うと、

「ウィズ、行くよ」

 ウィズの顔を見た。ウィズは頷く。

 二人は走って、闇の中に消えていった。

 オレは緊張が全身に走り、さっきよりも強く拳を握った。

 すると、耳元に強烈な破裂音がした。耳が痛い。押さえてしまう。

「お前……。見捨てられたのか? やはり愚かな人間を助けるほど、あいつらもお人好しじゃないんだな」

 ハーミットの笑い声が頭に響く。

「オレはあいつらを信じているんだ。お人好しかどうかはわからないけどな」

 オレは片笑みをして強がる。

「まあ、いい。お前の身体を頂くからな」

 このハーミットの声が聞こえた途端、首が絞められる感覚に陥った。

 だんだん息が苦しくなって、意識がもうろうとしてくる。

 オレはあいつらの行動を恨みつつ、オレの軽率な発言に後悔し始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る