第2話


「ってことがあったのよ。ジャス、あなた、ベルリッツ先生とお話ししたの?」

 宿舎のロビーにある一つのテーブルを挟んでジャスと座っていた。男女で寮が違うので、あたしたち兄妹が合同授業以外で会えるのはここぐらいだ。

 周りには誰もいない。まあ、普通はルームメイトとだべっているのが普通だから、あたり前ちゃ、当たり前なんだけど。

 紅い瞳を隠すため、右に眼帯をつけたジャスは無表情にスポンジ生地のお菓子を紙袋の中からとりだし食べている。

「返事してよ。っていうか、あたしにも食べさせなさい」

 あたしは双子の兄の抱えている紙袋を奪取すると、一口大のスポンジケーキを口の中に放り込む。

「あら、なにこれ。カスタードが入っている! おいしいわ。でも変わったお菓子ね。どうしたの?」

「ロマンハック先生から貰った。荷物運びの手伝いのお礼に。一緒にベルリッツ先生と運んだんだ」

 ジャスはあたしから紙袋を取り上げると、スポンジケーキを口に入れる。

 あたしはケーキを飲み込むと、

「それにしても、ベルリッツ先生。あたしに姉さんはいるか、って聞くって、なにかあったのかしら?」

「よっぽど似ている女性に会っているんじゃない? それか未来のキミに、か」

 ジャスのとんでもない言葉に、

「まさか! あたしたち定期的にあっちに帰って肉体の意識を同期化させているじゃない!」

 と反論する。

「そんな声あげないの。今、ここにはボクらしかいないとはいえ、壁に耳あり障子に目ありってどこかの国では言うんだ。用心にこしたことはない」

 あたしは不機嫌に、

「分かったわよ。でも、その説は否定させて。今までに、どの年齢のあたしも一回もベルリッツ先生には会っていないわ」

 ジャスはスポンジケーキを口に入れると、紙袋をクシャクシャと丸め、

「そう」

 と頷く。

 あたしは、それ以外言うことがないのか? せめて他人のそら似とかぐらい言えと言おうと思ったのだけど、

「あんたら時間よ、さっさと自室へ戻りなさい!」

 後ろから寮母さんの低い怒鳴り声がした。身体全体で驚く。

 あーあ。もうちょっとジャスから聞き出したいことがあったのになあ、と思いつつ、寮母さんに連れられて自室へ行った。


 自室に戻ると、ルームメイトのアリエルが部屋の一番手前にあるあたしのベッドで高いびきをかいていた。

「ミリアム、これ。どゆこと? なんでアリエルがあたしのベッドで?」

「こういうこと」

 同じくミリアムの手には、あたしの私物の本があった。

 タイトルは、「この世の裏側・光源の人々と常闇の人々の物語」。古本屋で売られていたのを興味本位で買った本だ。

「いや、さっぱり分からないわ」

「えっとね。アリエルがね、ウィズがベルリッツ先生と同じ本を読んでいたよね、って言い出して、探すまでもなくすぐにあんたのベッドから見つかったこの本を読み出したんだよ。でも、こいつ、ノータリンでしょ? 読んでいくうちにグースカピー。で、わたしも中身が気になったから、読んでいただけ」

「はあ」

 ミリアムの流れるような言い訳に、あたしは開いた口が塞がらない。

「なかなか面白い神話よね。光と闇、どちらも善悪がないなんてね」

「はあ。そりゃ当たり前じゃないのさ?」

 軽い調子であたしの本をめくるミリアムにあたしは首をかしげる。

「そうなのか?」

 ミリアムは本を閉じると、

「そっか。ウィズは光使いだから、力については基本中の基本なのか」

 納得した様子で頷く。

「でも、魔導術学のロマンハック先生は闇を忌み嫌っているよなあ」

 ミリアムはそうぼやいた。

 相変わらず、二人ともあたしを光使いと勘違いしてくれていることに胸をなで下ろす。

 あたしたち兄妹の正体――常闇人とバレたら、今ここにいる使命が果たせなくなる。

 それでミリアムがあたしを「光使い」と勘違いしている理由は、ここのギムナジウムに入学する前、つまり、一昨年の冬にアリエルとミリアムが銀行強盗に巻き込まれているのをあたしが光の術で助けたからだ。久々に光を使ったもので、なかなか相手は倒れず、闇を使えばよかった、と後悔している時、警官が来てくれたので、間一髪で自分自身の存在が消えずにすんだ。次から使うまい、とか考えていたのだけど、今ではあのとき光の術を使ってよかった、と思っている。もし闇を使っていたら、入学試験すら受ける資格すらなくなっていたかもしれない。やっぱり偏見は多いし、事実、この学校には闇を忌み嫌っている先生や生徒が多かったから。

 入試自体はそんなに難しいものじゃなかった。一応、一ヶ月ぐらい上司のラバーズさんからみっちり勉強を教えて貰ったおかげというのもあるかもしれないけど。何はともあれ、ラバーズさんの厳しさのおかげで、二人とも難なく試験には受かり、入学できた。

 ルームメイトのアリエルがあたしが魔導術を使えると吹聴しまくったせいで、あたしは魔導術を研究する部活に入らされそうになったけど、なんとか逃げて、部活に入らずに済んだ。入っていたらお目当てのモノを探せない。

 あたしは時計を見る。あと一時間で消灯時間。お風呂で身を清めることもできない。魔導術で身を清めても良いんだけど、その方法は闇なので、使ってバレたらここにいられなくなる。

 まあ、御託言っているけど、とにかくあたしは熱いお風呂に浸かりたい。

「ミリアム。あたし、今からお風呂に行ってくるわ。行ってるうちに、アリエルをどかしてよ」

 あたしは自分のクローゼットからお風呂セットを取り出すと、浴場へと向かった。


 浴場で身を清めたあたしは、脱衣所で髪を乾かしていた。

 完璧に乾いた自分の髪をいつもの右結びではなく、一本結びで結ぶ。寝る前なのにいちいちセットするのは正直面倒くさい。これでいいか、十分髪はさらさらになったし、と思っていたら、

「ラピスラズリ! まだ風呂に入ってなかったの? さっさと出て行った! こっちはお湯を抜かなきゃダメなんだからね!」

 と言う怒鳴り声が聞こえてきた。寮母さんの声だ。

「わ……わかりました……」

 あたしは振り返って申し訳なく頭を下げた。


 あたしは歩いていると、消灯時間を知らせる鐘の音が聞こえてきた。慌てて帰らなければ、マズい。お目当てのモノ探しに夢中になって、消灯時間を破ってしまい、一度こってり怒られたことがある。二度もこんなことをしたら、どんな風に怒られるか分からない。早く自室に戻らなければ。

 あたしは歩みを早くする。だんだん廊下の明かりは暗くなっていく。暗くても常闇族なので見えるから、怖くはないけど……。それより、寮母先生に怒られる方が怖い。

 戦々恐々で歩いていると、いきなり目の前がグルグルと回った。完全に気分が悪くなってしまってしゃがみ込む。

 めまいだ。吐き気もしてきて思わず口元を押さえる。

 空気というか、ここらあたりの雰囲気がおかしい。よく周りを見ていたいのだけど、めまいがあんまりにも酷いので、全く動けない。

 そのときだった。

「ウィズ!」

 あたしの名前を呼ぶ女の子の声がした。

「あんまり帰ってくるの遅いから何かあったのかと思ったよ。大丈夫? 立てるか?」

 ぐわんぐわんとめまいは激しいけど、声でミリアムと分かる。

「ちょっと立つのは無理っぽいわ」

「そうか……。アリエル、寮母先生を呼んできてくれないか? あたしはウィズの介抱をしている」

「分かったわ。ウィズ、ミリアムの心配性が発動して良かったわね」

 アリエルはそう言うと、遠ざかる足音が聞こえた。

「ウィズ。大丈夫か?」

 ミリアムはそう言ってあたしの身体を揺さぶる。

「お願い。そうされるとますます気分が……」

「わるかった」

 しばらくミリアムの膝枕であたしは目を瞑っていた。


「先生を連れてきたよ!」

 あたしはアリエルの声で目を開けた。すっかり、めまいはなくなっていた。

「ばっ……先生って! アリエル、ベルリッツ先生連れてきてどうすんだよ!」

 あたしは起き上がる。目の前にはアリエルと目が点になっている短い黒髪に緑の瞳、ガタイの良い男性――ベルリッツ先生がいた。どうやらアリエルに無理矢理連れてこられたようだ。

「あのさ、オレが女子寮にいちゃ、マズいと思わないのか?」

 ベルリッツ先生の困り果てた顔に、

「緊急事態ですよ! キンキュウジタイ! 他に先生がいないから、連れてきたんだよ!」

 騒ぐアリエルを尻目にあたしは立ち上がり、

「あたしはもう大丈夫です。失礼しました」

 と頭を下げる。しかし、めまいは完璧に治ったわけではないなかったらしく、クラッとよろける。

「全然大丈夫じゃないじゃないか。オレじゃどうしようもないから、医務室に行くか」

 あたしはそこまでしなくて良いのに、と思いつつ、この状況を回避するのにどうしようもないから、おとなしく従うことにした。

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