兄妹編

第1話

「ベルリッツ先生! 危ない!」

 後ろから男子学生の悲鳴がした。振り返ると、たくさんの本がオレの頭上に降り注ぐ。

 頭の痛みが強い。痛みからくるめまいでクラクラしてしまい、尻餅をつく。

「先生、大丈夫ですか?」

 男子学生がオレに駆け寄り、しゃがむ。

「ああ。オレはケガはないけど、そんなに高く本を積み上げて運んじゃダメじゃあないか」

 オレは男子学生の方を見る。

 黒髪の彼は右目には眼帯をつけていた。左の目は澄んだ水色だ。

「ごめんなさい。横着はやっぱり敵ですね。今後気をつけます」

 少年は頭を下げ、散らばった本を一冊ずつ拾って積み上げていく。

「キミ、これら、一人で持って行くのには大変だろう。オレも持って行っていくよ。どこまで持って行くんだ?」

 オレも散らばった本を拾い積み上げ、抱えた。

 少年は、

「ありがとうございます。第二図書室までお願いします」

 と再度頭を下げた。


 と言うわけで、今、黄色のバッジからわかる中等部2年の男子学生と校舎の中で一番南側にある第二図書室まで本を運んでいる。

 第二図書室はほぼ本の倉庫と化していると聞いていたので、一回も行ったことがなかった。そのため、金魚の糞のように男子学生について行くしかない。

 お互い何も話さず、無言のまま歩いていたのだが、ちょっと居心地が悪いので、彼の名前ぐらいは聞いてもいいだろうと思い、

「キミ、名前は? 何組なんだ?」

 と聞いてみた。

「ボクはラピスラズリです。中等部2年ジェミニ組ですけど、それが?」

 オレの目を一切見ずに、ぼそりと言った。

 コイツ愛想悪いな、と思いつつ、オレは、

「これ、どの先生の指示で運んでいるんだい?」

 と続ける。

「担任のロマンハック先生から。古い資料だけど、貴重な記録だから破棄するにはもったいないということらしいです」

 相変わらずの愛想の悪さ。まっすぐ前を見たまま眉一つ動かさずに答える。

 いくらオレが師範学校に今年入学したばっかの学生の身分とはいえ、一応TAをとして学校総会で紹介されているんだぞ、と喉に出かかる。しかし、そんな大人げないことをしちゃいけないと、その怒りをグッと飲み込む。

 それからこいつから引き出せそうな質問が思いつかず、無言のまま長い廊下を歩く。

 そして、やっと第二図書室まで着いた。


「ああ、ラピスラズリくん。ありがとうね。ベルリッツくんも手伝ってくれたのね。ありがとう」

 白髪交じりの黒髪をポニーテールにした女性が笑顔で立っていた。ロマンハック先生だ。濃い笑いじわが年齢と教師としての経験を感じさせられる

「今、扉を開けるから」

 ロマンハック先生は第二図書室の扉を開けた。カーテンが掛かっているためか、中は暗い。そしてほこりっぽいスモークかかった匂いがしてくる。

 魔導力で動く明かりをつけたロマンハック先生の後ろをオレたち二人はついていく。古びたインクの匂いが鼻をくすぐって、酔った感じがする。

「さ、ここの棚に並べて頂戴」

 ロマンハック先生の指示した場所にオレらが抱えていた本を二人で丁寧に並べていった。

「二人ともありがとうね。何かおごっちゃおうかしら? 食べたいもの、ある?」

 ロマンハック先生は上機嫌で指を振る。

「別に、そんなつもりで手伝ったわけじゃ」

 オレは首を横に振る。

「ボクもそんなつもりじゃなかったですけど、おごってもらえるなら食べたいものがあります」

 ラピスラズリは真顔でロマンハック先生を見る。

「ドールケーキというオリエンタルな焼き菓子のお店がこの街の郊外にあるそうです。それが食べたいのですが、外出許可が下りないために買いに行けません」

「それが食べたいのね。わかったわ。買ってきたげる。どこにあるか教えてくれない?」

 おいおいおい。なんて図々しいヤツなんだ。呆れかえったオレは、溜息をつくと、ラピスラズリがロマンハック先生にお店の場所を説明しているのをよそに、並んでいる本棚を眺めていた。

 気になるタイトルが目に飛び込んできた。

 「この世の裏側・光源の人々と常闇の人々の物語」。

 オレは目を見開いた。オレの専門は公民だ。政治・経済・時事ネタについては自信あるけど、こういう民俗学は疎い。しかし、オレには、ギムナジウム時代のとある経験から、この本がとても魅力的に思えて、思わず手に取って、目次を開いてしまった。

 「第一章 世界の裏側とは」

 「第二章 世界を作ったのは光と闇どちらだ?」

 ここまで目次を見ていたら、

「ベルリッツくん?」

 ロマンハック先生の声で我に返った。

「その本、気になるの?」

 ロマンハック先生はいたずらな目をする。

「あ、いや。すみません」

 慌てて本を元の場所に戻そうとした。しかし、

「読みたいなら貸すわよ。裏表紙の裏にある貸出カードに名前を書いて、私に渡してくれたら」

 突然ロマンハック先生は恐ろしい顔をして、

「でも、それは眉唾物だから、あまり信用しない方が良いわ。闇は邪悪だから」

 と言った。それからすぐにロマンハック先生は明るい表情に戻り、右目をウィンクした。

「ラピスラズリくん。お目当てのもは後でね」

 ラピスラズリにもウィンクすると、

「ささ。こんなほこりっぽいところから出ましょ」

 と楽しそうに鼻歌を歌って、第二図書室から出た。

 残されたオレは、件の本を握りしめる。

「ベルリッツ先生? 本当にその本を読むんですか?」

 ラピスラズリはやっとオレの目を見て話しかけてきた。

「ダメかよ」

「いや、そういう訳じゃ」

 ラピスラズリはそう言うと、第二図書室のドアを開けた。

 残されたオレは、パラパラと本をめくった後、ほこりっぽいここで読むのも何だかな、と思って、明かりを消して、外へ出た。


 オレは、ロマンハック先生に貸出カードをキチンと出した例の本を学食で読んでいた。

 昼時を過ぎた学食は人がまばらだ。授業もTA担当の授業も午前中にすべて終わったのは幸いだった。そして割と静かなので、落ち着いて読んでいられる。

 本の中身は、自分の乏しい知識を補強するのにはもってこいだった。

 例えば、「ウソ」の話。光源の人々はウソをつける。何故なら光は心の表の部分。繕うことは簡単だからだそうだ。逆に常闇の人々はウソがつけない。闇は心の裏の部分で自分を偽ることが出来ないからだと書いてあった。

 闇使いの人間が凶悪な事件を起こすイメージが強いのは、ウソがつけないため、心が行動に直結してしまうからで、自分自身を見繕うことが出来る光使いの人間が必ずしも本当の善人とは限らないらしい。

 あいつが言った「闇そのものの常闇人はウソをつけない」という頭の中によぎった。

 そういや、あいつ、今頃何やっているんだろう……。

 そう思った瞬間だった。

 女の子の黄色い声が三人分聞こえてきた。

 うるせえなあ、今何時だと思っているだと、時計を見ると、生徒たちの放課後の時間だ。もうこんな時間か、って思って本を閉じ、立ち上がる。

「あ、ベルリッツ先生だ!」

 オレの名前が叫ばれた。オレは座り直し、振り返る。そこには長く赤いツインテールの女の子がニヤニヤしながら近づいてきた。

「ベルリッツ先生、勉強しなくっていいんですかぁ?」

 声のトーンから、明らかにオレをからかっているのが分かる。

 オレは顔を本に戻し、深く溜息をつく。

「一応、こっちは読書をしているんだが?」

 不満げな声でオレは返事をする。

「アリエル、先生を茶化しちゃいけないよ」

「えー。だってぇ」

 眼鏡をかけた短い茶髪の女の子はアリエルと呼ばれた赤毛にキツい口調で注意する。アリエルは不満げだ。

 女は老いも若きもうるさいと聞くが、目の前でこういう会話をされたら、どうしたらいいいのか悩む。

「まあ、まあ。アリエル、ミリアム。ちょっとは落ち着きなさいよ。先生が困っているじゃない?」

 助け船が来た。ホッと胸をなで下ろし、その声の方を見た。その声の主に驚きのあまり目を大きく開いた。そして、マジマジと見つめてしまった。

 長い銀髪を右に結んだ女の子だった。大きな瞳は水色だ。服はここの制服。バッジは黄色なので中等部二年がわかる。そう、見かけは普通の女の子でしかない。オレはそれに驚いたのではない。

 あまりに知り合いにそっくりなのだ。

「先生? 人の顔を見てそんな表情されたら、あたしがいくら上機嫌でも不機嫌になります」

 銀髪の女の子はオレをふてくされた顔で見る。

「ウィズ、そんなこと言わないの! 先生、あんたに惚れたのかもよぉ?」

 アリエルはウィズに肩を回し、ニヤニヤと彼女の顔を見る。

 オレは、

「あ、いや。知り合いにあんまりそっくりだったものだから」

 オレはそう弁明をしたあと、思わず、

「ウィズさん、だったっけ? キミ、お姉さんとかいる?」

 と訊いた。何十年も前に死んだはずのあいつの話じゃ、あり得ない話なのに。

「いませんよ。兄ならいますけど」

 速攻で否定されてしまった。

「ウィズの兄貴、あんまり話したことがないけど、人と関わろうとしない変人だよな。あんなのと会話できるなんて、流石兄妹だ。まだ眼帯しているけど、一向に目は良くならないのか?」

 ショートカットの少女、ミリアムもウィズの肩に腕を回す。

「暑いわ!」

 ウィズは二人の腕を振り払うと、

「良くならないものは良くならないの。そのことはもう触れないでちょうだい」

 ウィズは悲しげに二人を見る。

「あ……ごめぇん」

「すまなかった」

 アリエルとミリアムは頭を下げた。

 眼帯の少年と聞いて、さっきのことを思いだし、

「もしかして、ウィズさんの名字って、ラピスラズリ?」

 ともう一つ質問した。

「ええ。ウィズ・ラピスラズリです。それが?」

 ウィズは訝しげな表情をする。

「あ、いや。さっき、ラピスラズリっていう眼帯つけた男の子と一緒に本を運んだからさ。変わった子だったから印象に残ってて」

「ふうん」

 ウィズは納得したような納得していないような曖昧な顔でオレを見る。

「あ、でも、学年一緒だよね? キミたち二人とも黄色いバッジつけているし」

「双子なんですよ。あたしたち」

 オレの質問にウィズは即答する。

「あ……そうなんだ」

 オレは返しに困って、開いた本を見つめる。

「先生、何を読んでいるですか?」

 ミリアムは興味津々で本をのぞき込む。

「民俗学の本。光源の人々と常闇の人々の伝説をまとめてある本らしい」

 オレは顔を上げ、苦笑いをする。

「先生は公民でしょ? なんで民俗学の本を?」

 ウィズは首をかしげる。

「ちょっと勉強したくてね」

 オレは真実をごまかしつつ腕時計を見た。夕方ももう夜に近づいている。

「宿舎に戻らないと、怒られるんじゃないか? 点呼の時間が近づいてるぜ」

 本を鞄に入れると、

「オレも自分の勉強をしてくるから。キミたちもちゃんと勉強して、オレを困らせないでくれ」

 と言って立ち上がった。

 三人の揃った返事が聞こえた。

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