第5話

 ふと我に返ると、オレは宙に浮いていた。しかし、すぐに身体が落ちる感覚に陥った。

「うわああああっ!」

 オレは思い切り叫ぶ。それにハモるように同じような叫び声が聞こえてきた。

 食器が割れる音と同時に全身に痛みが走る。

「お前、突然天井から降ってくるなよ!」

 ジョルジュが目の前にいる。オレの足下を見ると、割れたティーカップがテーブル中に散乱していた。

「さっさとテーブルの上から降りろ! 割れたものを片付けるんだから!」

 ジョルジュの指示に従い、オレはテーブルから降りる。

 ジョルジュは溜息をつきながら、割れたカップを丁寧に拾っている。

「全く、天井から急にお前が落ちてくるとは思わなかったぜ」

 相変わらず下着姿のジョルジュは、拾ったカップの破片を袋の中に入れながら話す。

「まったく。ハクトはどんくさいんだから」

 天井から現れたブラックスターは、ジョルジュの後ろにスマートに着地する。

「てめえまで天井からかよ! なにがあったんだよ! 話せ!」

「だから、古代の魔導術で……」

「んなこと、わかってる! なぜここに落ちてきたんだよ!」

 マイペースなブラックスターにジョルジュはキレる。

「y点を間違えた」

「訳が分からない!」

「ざっくり言えば、空間軸を間違えたんだ」

「ますます訳が分からない!」

 ブラックスターの説明にジョルジュはますます顔を赤くする。

 数日間過ごして、だいたいブラックスターの行動パターンが掴めてきていたので、

「ブラックスター、人を茶化すのもそこまでにしておけ」

 オレはブラックスターの肩を掴んだ。

「そうか」

「そうかじゃねえ」

 頷くブラックスターにオレは溜息をついた。

「なに、この大惨事!」

 エディスも奥から現れた。手にはティーポットがある。

「ねえ、なにがあったの? 話しなさい! 片付ける身にもなりなさいよ!」

 エディスはオレたちに詰め寄る。

 そのときだった。

 オレの後ろからベルの音がした。振り返ると、壁掛け電話が鳴っていた。

 ジョルジュはオレの身体をどかすと、受話器を取る。

 一言二言話した途端、ジョルジュは目を大きく開く。

 そして、

「ヴェラ! 無事だったのか!」

 ジョルジュの叫び声でオレもエディスも、もちろんブラックスターも振り返る。

 数回頷いたジョルジュは、いまから行く、と言って電話を切ると、

「ちょっと背広着てくる。ブラックスターにハクト。お前らも、身に覚えがあるならこい」

 と言って、二階に上がった。


 再びの市役所前。さっき逃げてきた場所に戻ってくるなんて、放火魔じゃあるまいし、とか思いつつ、エントランスホールに足を踏み入れる。

 癖のある短い栗毛の女性が、ジョルジュに泣きながら抱きついてきた。

「ヴェラ!」

 ジョルジュはヴェラと呼んだ栗毛の女性の頭を撫でる。

 ヴェラは怖かった……と鼻声で言いつつ、ジョルジュの顔を見る。

 ヴェラが無事でよかった、とオレは胸をなで下ろした。

「おい。感動の再会と熱い抱擁を交わしているのを邪魔したくはないのだが、我々を放っておくのはやめてくれ」

「ブラックスター、こういうのに水を差すモノじゃないぞ」

 オレたちのやりとりを聞いた二人は、顔を真っ赤にして離れた。


「なあ、ヴェラ、なにがあったんだ? 市長が死んだっていう手紙とか、市長室から大量の腐乱死体が発見されたっていうさっきの電話とか……」

 深呼吸したジョルジュはヴェラに優しく尋ねる。

「ふ……腐乱死体?」

 オレの声はひっくり返る。

「そうなの。今の今まで街の外にこっそり出ていたのよ。警官に袖の下通してね。でも、このままじゃ手紙を受け取ったジョルジュも危ないって思って、こっそり戻ってきたのよ。真相も確かめたかったしね。そうしたら、市長室は真っ暗! 明かりもなかなかつかない有様! 光使いの職員を呼んでやっとついたのよ。多分、アレは闇使いの仕業ね。おそらく市長を殺したヤツ!」

 ヴェラは恐ろしそうに握りこぶしを口に当てる。

 ああ、またここに誤解が生まれるな……オレはそう思って苦笑いをするしかない。

 ふとブラックスターの方を見ると、なんとヤツは手鏡を見ていた。

「てめえ、鏡なんて見る余裕なんてあるのかよ」

 オレはブラックスターを脱力した目で見る。

 ブラックスターは数回頷くと、

「なんだ?」

 と、オレの方を向く。

「なんだ、じゃねえ。鏡なんか見ている余裕なんてあるのか、って聞いているんだよ、こっちは」

 ブラックスターは、ああ、そのことか、と言って手鏡をポケットにしまうと、

「今、私の上司と連絡を取っていた。どうやら、あの腐乱死体はすべてあの眷属が吸収していた人間のものみたいだ。うまい具合に隠していたみたいだけど、隠していた本人がいなくなったおかげでそれが露呈しているようだ。その処理はこっちの世界の警察にまかせることにしよう。そこまでの任務は私たちネメシスにはないからな」

 ブラックスターは、オレのおでこに手をかざし、指を一回鳴らした。それから、一つ結びした長い髪を翻しながら、オレに背を向けた。そして、指を一回鳴らすと、そのまま黒い霧とともに消えた。

「ん? ブラックスターは、どこへ行ったんだ?」

 オレはジョルジュの質問に答えられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る