第3話
1
「おい、起きろ。いい加減起きろハクト」
オレはブラックスターの声と頬の痛みで起こされる。
「人の顔をひっぱたいて起こすんじゃあねえ。痛いぞ」
オレはベッドから上半身を起こすと、頬をさする。
「まさか、これしきのテレポーテーションで三日も気絶とか」
「て……テレポーテーション?」
たしか、古代の魔導術であったとは聞くが……。
「まあ、古代の術ではあるわな」
「だから、オレの心を読むなって」
オレは大きく溜息をつくと、横を見た。
カーテンは閉めてあった。しかし、うっすらと光が見えている。その明かりを頼りに周りを見渡す。小さな机やキャビネットが並んでいた。一番目を引くのは大きな姿見だ。こんなシンプルな部屋には不釣り合いなぐらい大きな姿見には違和を感じるのだが、ここはホテルなのだろうか。
「違う。いわゆる我らネメシスが使命の拠点とするところで、外見上はアパートメントの一室だ。この姿見は世界の裏側とつながっている」
「オレの心を読むの、マジでやめてくれよ……」
ブラックスターの回答にオレは脱力する。
「お前が気絶している間、アイアンシティのエントランスすべてが閉鎖されていることを確認した」
ブラックスターは腕を組むと、
「図書館へ行って、ここ半年の新聞を漁ってみたところ、お前の言うとおり、一ヶ月前に市長命令で街からの出入りが禁止になっていた」
ブラックスターは頬杖をつくと、
「でも全く件の理破りの気配がないんだ」
と首を捻る。
「気配がない?」
オレはブラックスターの言葉を繰り返す。
「だから、もう少し調査を行いたいんだ。手伝ってくれ」
「手伝ってくれ、って、拒否しても手伝わなきゃダメなんだろ?」
オレはじとーっとブラックスターを見る。
「よく分かっているじゃあないか」
ブラックスターは片笑みを作る。
オレは溜息をつくと、ベッドから立ち上がった。
そして、
「どこから探す? 目星ぐらいはついているんだろうな?」
とブラックスターに詰め寄る。
「いや、全く」
ブラックスターは真顔で答えた。
2
目星が全くつかないというのに、理破りを探せ、って言ったって、手がかりがなければどうしようもない。
「お前のペンフレンドに会いに行けばいいんじゃないか、少しは手がかりがつかめるはずだ、多分」
ブラックスターは無責任なことを言い出しやがった。
「おい、オレは文通は確かにしていたが、会ったことはないんだぞ」
オレはややキレ気味にブラックスターに詰め寄る。ブラックスターは腕を組むと、
「お前がハクトだと言っても、信じてもらえない可能性が、というかこの状況で十中八九信じてもらえないよな。そもそもエントランスが閉鎖されているわけだし」
「そういうことだ!」
オレは思わずがなってしまう。オレの勢いを知ってか知らずか、
「なら、雑誌記者のフリをして情報を収集してみようか」
「は?」
なんてとんでもないアイディアを! とオレは変な方向に感心をしてしまう。
「まあ、お前が行くのにはかわりないのだけど」
「は?」
ブラックスターの言葉にオレは再び呆れ声を出してしまう。
「私たち常闇人は、嘘をつくことが出来ない。それこそ理破りになってしまうし、そもそも出来ないようなシステムになっている。しかし、眷属はウソがつけるんだよ。闇の制約が薄いから」
ブラックスターの言っていることが、ちんぷんかんぷんすぎて訳がわからない。唯一わかったのは、こいつはウソをつくと、誰かに怒られると言うことだけだ。
「住所は知っているんだろう? なら、頑張って来いよ」
ブラックスターは憎らしいほど気持ちのいい笑顔でオレを見る。
本当は、すごくイヤだった。
イヤだったはずなのに、
「わかったよ、やるよ」
と言ってしまった。言ってしまった後に、今自分に何が起きたかわからなくて、混乱する。
「一応、お前は私に仕えている眷属だからな。私の命令は絶対なんだよ」
「は?」
オレは再々度呆れた声を出してしまう。
「応援しているだけ、マシだと思ってくれ」
満面の笑みでオレを見つめるブラックスターをオレは恨んだ。
3
番地までは正確に覚えてなかったけど、名前を頼りにペンフレンドのジョルジュの家の前についた。
チャイムを鳴らそうとベルに手をかけるときだった。
「あれ、ご用ですか?」
ジョルジュの家が開いた。しかし、中から出てきたのは中年の痩せた女性だった。
「ああ……ああの……」
心の準備が出来ていなかったオレは、慌てふためく。
ブラックスターはオレに肘で小突き、
「ハクト、ゆっくり深呼吸だ」
と言ってオレの肩をたたく。
「わかったよ」
オレは小声で返事をすると、大きく深呼吸して、
「僕ら、ここアイアンシティの市長について取材している者なのですけど」
と女性の目をまっすぐ見た。
女性は一瞬上に目線を持って、悩んだ様子を見せた。そして、
「分かったわ。中に入って。聞かれるといろいろとマズいでしょ?」
と言って、オレたちを中に入れてくれた。
女性は狭いところだけど、と言っていたが、通されたリビングは広かった。
「座って座って。だいぶ市長に対しての不満があるから、ちょうど良かった。これでぶちまけるわ、ぶちまけるわ」
女性に促されて、ソファにオレたちは座る。妙にウキウキ気分の女性は、湯気の立つティーポットとカップを三つお盆にのせて持ってきた。
「あのねえ。弟がいるんだけどね、最近引きこもっちゃってねえ。市長が外部とのコンタクト禁止のお達しが出てから、ペンフレンドとは文通できなくなっちゃったし、その上元々友達が少ない方だったのに、彼女と別れてからは全くといっていいほど外に出なくなって、ねえ……」
女性はそう言って、ソファの前のテーブルにカップを並べ、お茶を丁寧に注ぐ。
「私、バブルスシティで行われるライブに行くつもりだったのに、市長命令のせいで行けなくなっちゃったのよ。ねえ、酷いと思わない? ねえ、最近市税が楽になったと思ったら、この有様よ! 少なくても私たちの周りのみんなは市長に不満タラタラよ。それに、外に出られないから、食料にも困り始めているのよ! ねえ! 紅茶もこの缶がラストなの! ねえ!」
ねえ、ねえ、うるさいな、このババア……と思いつつ、オレは、
「市長は何故、そんなことを?」
とメモ帳とペンを取り出しながら聞く。
「おや。記者さんなのにご存じないの?」
オレの心臓は槍で刺されたように緊張が走った。ぬかった。この街の住民、ましてや記者だったら当たり前に知っていることだったのか! と冷や汗をかく。
「記者さんですら知らないのねえ」
女性はオレたちの向かい側のソファに座ると、お茶を口に含む。
オレはバレていなかったと一安心する。
「そりゃ一般市民であるわたしたちが知らないのも当たり前よねえ。ささ、冷めないうちに飲んで飲んで」
女性はオレたちにお茶を勧める。
ふと、オレはブラックスターはどうしたのだろう、と思って、ヤツを目線で探す。
ヤツはなんと三毛ネコを抱いていた。
「ナターシャちゃん、おとなしくていい子だねえ」
ナターシャという名札が付けられた三毛ネコは、ブラックスターに撫でられて気持ちよさそうだ。ポーカーフェイスではあったものの、ブラックスターの口調はいつもより穏やかである。
「ブラックスター。お前、ネコを愛でているのかよ」
「ああ。ネコはイルカの次に賢い動物だからな」
答えになっていない答えにオレはメモ帳を落とすほど脱力し、
「はあ。じゃあ人間は?」
と聞いてみる。ブラックスターは即座に、
「四番目」
と答えた。
「あなたの同僚さん、楽しい人ねえ!」
女性は大声で笑う。
オレは落としたスケジュール帳を拾おうとしたときだった。
「うっせんだよ! ババア!」
オレと同性代ぐらいの男が怒鳴る声が上から聞こえてきた。
「ババアじゃねえわ! まだ三十八だわ!」
女性は上階に向かって叫ぶ。
「あら、お見苦しいところお見せしたわね」
我に返ったらしい女性はごまかしの笑いをする。
上の階から乱暴に階段を降りてくる音がしてきた。
「それがうっせって言っているだろ!」
骨と皮しかないような下着姿の男が勢いよくリビングのドアを開けた。あまりの勢いにオレは固まってしまう。
「ったく。客がいるのかよ。一人で馬鹿騒ぎしているのかと思った。まったく、人の安眠を邪魔しやがって」
男はそう言って、ズカズカとテーブルに近づくと、オレの紅茶を一気に飲んだ。
「ん?」
紅茶を飲みきった男はうつむき、何かを凝視していた。そしてそれをかがんで拾った。
げ、こいつが拾ったの、オレのメモ帳じゃねえか。
男は訝しげにページをパラパラとめくる。オレの心臓は破裂しそうだ。
男はメモ帳を俺に渡すと、
「もしかして、お前、ハクト・ベルリッツか?」
見下ろしながら、聞いた
オレの心臓は破裂したように感じた。顔から血の気が引く。
「エナメルシティにいるはずなのに、何故お前がそこにいる?」
オレの思考は完璧に停止してしまった。
「どうして分かった?」
オレは恐る恐る聞いてみる。
「こんなキタネエ字はお前ぐらいしかいねえよ」
その言葉を聞いたオレは頭が真っ白になった。出来たことと言えば、震える手でブラックスターを指さすことぐらいだ。
ナターシャに夢中だったブラックスターは顔を上げ、
「人のせいにするのか」
ナターシャを優しく下ろすと、立ち上がる。
ブラックスターにも見下ろされて、緊張が増すが、
「そりゃ、そうだ。そもそもお前がオレを巻き込まなきゃ、記者っていうウソをつかなくて済んだんだから!」
「ハクト……。それを言っちゃあおしまいだぞ」
ブラックスターはそう言うと残念そうに再びオレの隣に座り、ナターシャを抱え、不満そうに彼女を撫でる。
下着姿の男は頭をかきむしると、
「訳が分からねえ。市長は死ぬし、エナメルシティにいるはずのハクトと思われるヤツは目の前にいるし」
「なんだって? 市長が死んだ?」
男――絶対ジョルジュだとは思うが――の言葉に、ブラックスターはナターシャを抱きかかえたまま再び立ち上がる。
「ネコを下ろせ、ネコを」
オレはブラックスターを恨めしそうに見上げる。
「ジョルジュ! 市長が死んだって、どういうこと?」
見た目より実年齢が若かった女性は、ジョルジュに詰め寄る。
「あーもう! 姉さん、声大きすぎだ。わかったから、もうちょっと静かにしてくれよ」
ジョルジュは口元に人差し指を当てる。
「ちょっと、ジョルジュとやら。もしかして市長は闇使いに殺されたのではないか?」
ブラックスターもジョルジュに詰め寄る。とうとうジョルジュは、
「頭がパンクしそうだ。ちょっとは整理させてくれ!」
と耳を塞いだ。
4
「整理するぞ。お前はこの白髪……ええと。ブラックスターがここで起きた異変を追っかけていて、お前はそれに巻き込まれて……ってことだよな?」
ジョルジュは足を組み、腕も組む。
「でも、分からないのはあなたたち、どうやってこの街に入ったの?」
ジョルジュのお姉さん、エディスは口元を押さえながら、ブラックスターに問いかける。
ブラックスターは、
「古代の魔導術を使っただけだ」
とだけ答えた。確かにウソは言っていない。
「古代の魔導術? ハクト、こいつ、何者だ?」
なおさらこの姉弟の興味を引きつけてしまった。どうごまかそうかオレは二人から目線をそらす。
「おい、ブラックスター。オレ、どうしたらいいんだ?」
もうどうしたら分からなくて、ブラックスターを見る。
ブラックスターはナターシャをあやしていた。
「現実から目をそらすな」
オレはブラックスターの頭を両手でつかみ、こちらに向ける。
「痛いな、ハクト」
「痛い、じゃねえ。元はといえばお前がまいた種だろ」
「そうだな」
オレの言葉にブラックスターは頷く。
「だあああっ! いい加減にしろ。ブラックスターさんよ! お前は何者だ?」
ジョルジュはキレ気味にブラックスターの胸ぐらをつかむ。ブラックスターは一瞬うつむくと、
「私は人間から常闇人と呼ばれているものの一人だ」
ジョルジュの灰色の目をまっすぐ見た。
ブラックスターの正体を知ったジョルジュはヤツから離れ、飛びはねる。
「ジョルジュ、そんな態度とるものじゃないわ。このナターシャがなついたのよ。極悪人っていう程ではないと思うわ。変人だとは思うけど」
エディスはナターシャを抱きかかえると笑む。
「確かに姉さんの言うとおりだよなあ。こいつが本当のことを言っていれば、だけど」
ジョルジュはナターシャを撫でる。
ネコを信頼度に使うな、と心の中で突っ込みをいれつつ、
「こっちも情報を整理していいか? 市長が死んだってどういうことだ? ジョルジュ」
オレはエディスが再び淹れた香ばしい香りのお茶を飲む。
「そのままの意味だ。ブラックスターには悪いが、市長は闇使いに殺された」
相変わらずパンツとシャツ姿のジョルジュはティーカップ片手に小声で言う。
「ジョルジュ、あなた。どこでそんな情報を得るの?」
エディスは首をかしげる。
ジョルジュは目を深く瞑った。開いた目には少し涙が浮かんでいる。
「姉さん。一ヶ月前、ヴェラと最近別れたっていったろ。本当は違うんだ。あいつとは別れたんじゃない。市長に抗議して、警察にしょっ引かれて、そのまま行方不明になったんだ」
「抗議?」
ブラックスターはナターシャを撫でつつ、ジョルジュの顔を見る。
「ああ。あいつ、市役所の生活支援課に勤めていたのは知ってるだろ? 苦しい生活を強いられている人々を担当するところだ。最近……と言ってもあいつが行方不明になってからはどうかわからないけど……生活支援課が担当している人たちが次々と行方不明になっていったんだ」
ジョルジュは勢いよく仰いでティーカップの中身を飲み干すと、溜息をつき、
「正義感の強かったヴェラは行方不明になった人たちを探し始めた。そして、原因を突き止めたんだ。市長の秘書がゲロって判明したのだけど、そいつらは生け贄にされている、って」
ジョルジュは目を伏せると、こう続けた。
「市長はとある闇使いに心酔してて、その闇使いに生け贄を捧げているんだ。オレはその闇使いの正体を暴くため、ひきこもりながら電子計算機とかで色々調べていたのだけど、行き詰まって」
「なあ、ブラックスター? そんな生け贄を欲しがるヤツっているのか? 同じ闇としてさ、何か分かるか?」
オレはまだナターシャを抱きかかえ撫でてるブラックスターに聞く。
「私は分からん」
即答だった。
「ただ、人間の命は世界の裏側にいるアウトローにはかなりの価値があって、誤解を招くかもしれないが、あえて例えるとすれば、この世界で言うところのゴールドやプラチナみたいなものだ。あればあるほど裕福に生きていけると考えていい。でもあくまで概念的なものとして捉えてほしい。目に見える何か、形、というよりは一種のエネルギーみたいなものとして考えてくれ」
「闇の世界の中の闇だな」
オレは頬杖をつく。
「闇だけじゃない。光のヤツらにも欲している者は多いぞ」
ブラックスターは真顔でオレを見た。
「ねえ。ジョルジュ。あなたはどうして市長が死んだって知っているの? 家に引きこもっているのに」
ティーカップに紅茶を注いでいるエディスは、ジョルジュに尋ねる。
「ヴェラの最後の手紙だよ。市長が闇使いに目の前で殺されたって書かれていたんだ。その手紙を最後にヴェラは行方不明になった」
エディスはティーカップを口につけたあと、
「無事だといいわね」
と、切ない声で呟く。
ナターシャを下ろしたブラックスターは立ち上がると、エディスにごちそうさまでした、と頭を下げる。
「ジョルジュの恋人、ヴェラが無事に帰ってくるのは時間との闘いってワケだな。行くぞ、ハクト」
ブラックスターはそう続けると、リビングから出ようとした。
「おい、ちょっと待て」
オレはブラックスターの上着の裾を掴む。
ブラックスターは振り返り、なんだ? と返事をする。
オレは、
「なんだ、じゃねえ。ちゃんと言ったことの説明をしてから行動してくれ」
ブラックスターを見上げながら言う。
「件の闇使いの中で、市長が死んだことを知っているのは、ヴェラだけだ。つまり、ヴェラを殺せば、市長の死は明るみに出ない」
ブラックスターはそう言うと、ポケットに手を突っ込み、手鏡を取り出す。その手鏡をのぞき込んで二回頷くと、
「どうやら、ヴェラの手紙はバレていないようだ」
ジョルジュに向かって微笑む。その確証はどこから来るのか、と訊きたかった。しかしすぐ、
「おそらく今はその闇使いが……正確には理破りである闇の眷属が、市長のフリをしているのだろう。野良の闇の眷属は肉体を持つことを許可されていないから、逆に言えば、姿を自在に化けることは容易い。肉体に縛られているとそううまくはいかないから」
ブラックスターはそう続けると、
「だから、一刻も早く理破りを倒さなければならないんだよ。ジョルジュ、あんたの恋人のためにも。だから行くぞ、ハクト」
と言って、リビングから出た。ドアが開閉された音がする。
オレは、改めてとんでもないことに巻き込まれてしまったと再認識した。でも、
「ハクト? 大丈夫か?」
心配そうなジョルジュの声に
「ああ。なんとか」
となんとか答え、慌ててブラックスターの後を追いかけた。
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